あなたの血を飲み干したなら

佐久間 譲司

プロローグ

 ベッドの上で、ぼんやりと天井を見上げる。そこには、蜂の巣のような吸音材が、隙間なく貼り付けられていた。


 次にバンザイのような形で、ベッドの上部に上げた腕を動かしてみた。だが、硬質な金属音がして、思い通りに動かせない。


 手錠が嵌っているせいだ。それは、両足も同じだった。手錠はどちらも、パイプベッドのパイプ部分に繋がれていた。


 周囲を見渡す。十畳ほどの部屋だ。元は寝室だったのだろうと思う。窓はあるものの、今は板と吸音材でバリケードのように塞がれていた。おそらく、雨戸も閉まっているはずだ。そのため、日の光は全く入って来ないが、照明のお陰で、部屋は明るかった。


 部屋の壁に貼り付けられた吸音材と、その塞がれた窓のせいで、どれだけ大声を出しても誰かの耳に届くことはなかった。


 だが、それでもおかしい気がした。ここに監禁されてから、すでに十日ほど経っている。その間、散々叫び続けた。にも関わらず、外から一切、アクションがないのだ。いくら何でもこんな完全とは言い難い防音施工で、全く人の耳に声が届かないということは、ありえるのだろうか。


 おそらくだが、この家の周囲に人がほとんどいないのだ。それこそ隣家と相当離れた、田舎の家のように。


 自分の体を見てみる。


 タオルケットだけが、体に乗っていた。部屋は空調により、適温が保たれているので、寒くも暑くもない。


 タオルケットの下は、ほとんど裸だった。唯一身に付けている物は、おむつ一枚。これは、アイツがいない間に、排泄が生じた際、ベッドを汚さないための措置だ。


 玄関の開く音がする。アイツが帰って来たことがわかった。


 同時に、不安と恐怖がマグマのように吹き上がる。動悸が激しくなり、体が震えた。


 アイツが家に帰ってきてから、始めにすることは決まっている。


 のだ。


 安普請の扉が開く。幾度となく聞いた木が軋む不快な音が、部屋の中に響き渡る。


 「ただいま」


 開いた扉から、アイツがひょっこり顔を出し、にこやかに笑いかけてきた。声を掛けられても、こちらは答えるつもりはない。当たり前だ。監禁した当の本人だ。顔すら見たくなかった。


 アイツは部屋に入ってくる。手には、細いチューブのような物と、ガラスコップを持っていた。それを見て、恐怖が身を襲い、体がすくんだ。


 アイツがベッドの側まで歩み寄る。やがて、こちらに覆うようにして、馬乗りになった。ベッドが軋み、大きく沈む。


抵抗する気力はなかった。無駄だと散々学習したからだ。


 アイツは、馬乗りになったまま、こちらの上げた手に触れた。二の腕の間接部に、ヒヤリとした感覚が生じる。アルコールが付いた脱脂綿で拭いたことがわかった。これから始まる『地獄』のための消毒である。


 続いて腕に、チクリとした痛みが走った。針を刺したのだ。この痛みには慣れず、思わず小さな呻き声を上げてしまう。


 腕に刺さった針には、チューブが繋がっており、それは、目の前で馬乗りになっているアイツの手まで伸びていた。


 アイツの手元の方のチューブには、注射器のようなものが取り付けてある。


 そして、アイツは、その注射器を引いた。たちまち注射器の中身は、赤い液体で満たされていく。これは、自分の血だ。


 注射器に溜まった血は、本体からシリンダーを抜かれ、ガラスコップに注がれる。


 やがて、コップは血で満たされた。こうして見ると、トマトジュースと酷似していた。


 やがて、アイツはコップに溜まったその血を、あおるようにして飲んだ。夏場の暑い時期に飲むビールのように、とても美味しそうに喉を鳴らしている。むしろそれ以上だろう。恍惚とした表情と、堪えきれない愉悦。アイツからは、その感情が溢れ出ていた。


 血を飲み干したアイツは、再び注射器を引いた。『おかわり』だ。よほど血を我慢していたらしい。


 気が付くと、おむつの中が生暖かい。無意識に失禁してしまったようだ。この『地獄』のせいで、体が悲鳴を上げているのだろう。そして、この排泄物はアイツによって片付けられる。それはひどい屈辱と羞恥を伴った。せめてそれだけは自分で片付けたい、と、申し出ても、聞き入れて貰えなかった。それほど拘束を解くのに抵抗があるらしい。


 監禁された上、毎日毎日、血を抜かれ、自分の排泄物を他人が処理するのは、耐えられなかった。気が狂いそうだった。


 再度、コップが血で満たされるのを眺めながら、あまり働かない頭で思う。


 一体いつになったら、ここから出られるのだろうかと。一生? それとも明日?


 ここから出られるとして、それまで自分は、正気を保てていられるのか不安になる。


 ただ、一つだけ確かなのは、ここにいる限り、ずっと血を奪われ続けるだろうということだった。目の前で、自分の血を美味しそうに飲む感染者の姿を見ながら、非感染者である自分は、それを悟っていた。

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