ACT11
彼女は細身のシガリロを、真っ赤にマニュキアを塗りたくった爪で摘み上げると、
”禁煙”と書かれた張り紙など気にもせずに銀色のダンヒルで火を点けた。
尖った鼻と顎、吊り上がった
近くで見るとまさしく60年代から70年代のB級怪奇映画に出て来た魔女そのものだ。
どこからどう眺めても医者、それも名医なんかには見えない。
彼女・・・・名南精神科病院院長兼理事長の徳大寺紗季氏は、下品にも鼻から煙を吐き出し、胸元から小切手のホルダーを出すと、
『今回の騒動については警察沙汰にするつもりはありません。妹を渡してくれたらこれでカタをつけましょう。さあ、幾らお望み?言って頂戴。』
そう言いながら、続けて万年筆を取り出した。
俺はそれには答えず、傍らのブリーフケースに手を伸ばしながら、
『見損なって貰っちゃ困る。俺はこう見えても国から免許を貰ってる私立探偵だ。汚職の真似事なんざ、真っ平御免だ』
ここは病院の院長室。
今日の俺は清掃会社のアルバイト小山田一郎ではなく、れっきとした私立探偵の乾宗十郎としてやってきたのだ。
俺は型通りにライセンスとバッジを提示してから、ブリーフケースを
『欲しけりゃいくらでもタダでやるよ。どうせコピーだからな。その中の報告書には、俺が調べ上げたこの病院の内状が細かく記してある。
だが、あんたの手に渡った途端、同じものが知り合いの弁護士先生の手で、世間に向かってばらまかれるって訳だ。
それでなくっても今の世の中、人権ってやつに
『私を誰だと思ってるの?ここの院長よ。それだけじゃないわ。学会、いえ政界にだって相当の力を持っているのよ。ここはお金でカタを付けた方が良くってよ。さあ、幾ら欲しいかおっしゃい!貧乏な探偵さん』
彼女の声が金切り声に代わった。
『定型通りの脅しと来たか・・・・だが、それも聞かないぜ。同じものはあんたの親父さんの所へも行く手筈になっているんだ。あんたの親父さん、なかなかモノの分かった人格者のようだね。おまけに”力”って事に掛けちゃ、あんたなんかより充分持ち合わせておられるようだ。しかもその力を悪い方に使おうとはしない。今時珍しいお人だ。
それが親父さんに知れたらどうなるか・・・・そいつを考えてみなくちゃならないのはそっちの方じゃないのかね?』
『・・・・自分の身がどうなってもいいの?』
『どうするってんだ?免許を取り上げて探偵を出来なくするか?
やれるもんならやってみろよ。今よりももっと自由になれるってもんだ。』
『・・・・何が望みなの・・・・』彼女は硝子の灰皿にシガリロを押し付け、唇を噛みしめた。
『別に、何も。あるとすれば、あの気の毒なラプンツェル・・・・おっと、妹の陽子さんを自由にしてやって欲しいって事さ。幸い彼女は別にあんたを追い出して病院を乗っ取ろうなんて欲は欠片もないようだし、病気でも何でもない。普通の女性なんだ。あるとすればそれくらいかな』
紗季は自分の中の虚栄心を辛うじて保ってでもいるのか、目を前よりも吊り上げて、俺を睨みつけたが、その肩は細かく震えていた。
『このままで済むと思ってるの?このままで・・・・』
まるで壊れたアナログレコードみたいに、くどくどとまだ繰り返している。
俺は彼女の言葉を無視してソファから立ち上がり、口の端にシナモンスティックを咥えた。
『さあ、こっちの用件はこれでしまいだ。後はあんたがどうするか、よく考えて決めることだね』
さよなら、そう付け加え、俺はドアの脇に貼ってあった、
”禁煙”の張り紙と、ついでに”人権を守りましょう”のポスターをはがして丸め、彼女の方に投げた。
外に出る。
ドアの両側に張り付いていた黒づくめの仁王尊二人にも、
『あばよ』
と告げ、俺はそのままポケットに手を突っ込んで建物の外に出た。
いい気分だ。
今日は久しぶりに一杯ひっかけるとするか。
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