ACT10
『誰だと思う?塔の上のラプンツェルを助けに来た王子様だよ』
俺はそう言ってウィンクをして見せた。
彼女の右手の指には洗濯バサミみたいな器具が挟まっていて、そこからコードが壁に向かって伸びている。
どうせ何か仕掛けがしてあるんだろう。
構やしない。
『立てるかね?』
俺の言葉に彼女は黙って頷いてみせた。
彼女の指から洗濯バサミを取る。
すると、辺りに響き渡るほどの音で、ベルの音が鳴り響く。
思った通りだ。
俺はひとまず陽子に毛布をかけ、しばらくじっとしてろといい、ドアの陰に隠れ、さっき警備員から奪ったゴムの警棒を構える。
複数の足音が近づいてきて、ドアが開いた。
屈強な男性看護師が二人、慌てて部屋に飛び込んできた。
一人が懐中電灯で彼女を確認する。
その瞬間、俺は物陰から飛び出し、看護師の後頭部を思い切りどついた。
前のめりにどうと倒れる。
すかさず後ろを向き、もう一人の腕を捩じりあげて壁に押し付ける。
『動くなよ。これ以上抵抗するとタメにならんぜ』
大人しいもんだ。俺が脅しつけると黙って首を縦に振る。
『いい子だ』
そう言って俺はそいつもどつき、二人を後ろ手にして、結束バンドで手首を縛る。
『さ、行こう』
『どこへ?』
『自由へさ』
俺の言葉に彼女はそこでやっと小さく微笑んだ。
『背を低くして、俺の後についてくるんだ』
元来たように階段を降り、一階の入り口をそっと開ける。
さっきの警備員は、相変わらず伸びたままだ。
暗視ゴーグル越しに暗闇を見回す。
闇の中に、さっきのワゴン車が止まっている。
大した距離じゃない。
『あそこまで走るぞ』
俺の言葉に、ここでも陽子は素直に従った。
ワゴン車の後ろは開いたままだ。
車の周りには誰もいない。
俺は前に回って運転席に乗り込む。
やっぱり神様はいるんだな。俺はそう思った。
エンジンキーはかかったままになっている。
俺は構わず運転席に乗り込み、心の中で、
”何でもいい。神様とやら、俺に御加護を!”
そう言ってからキーを回し、アクセルを思い切り踏み込んだ。
白状しよう。
俺は運転が下手くそだ。
自衛隊時代、隊内で物損事故を二度やらかしてから、ずっとペーパードライバーだ。
しかしここではそんなこと構っちゃいられない。
『しっかりつかまってなよ。飛ばすぜ!』
俺はバックシートの陽子に声を掛けると、そのまま車を発進させた。
正門に回ると、ゲートが半分閉じかけている。
”南無三!”
俺は心でそう唱え、ゲートを突っ切った。
片側をこするやな音がし、続けて複数の怒鳴り声が耳に届いたが、そんなことに構っちゃいられん。
『大丈夫か?』
俺は後ろに向かって呼びかけた。
『大丈夫です。でもこれからどこへ?』彼女はか細いがハリのある声で答えた。
『天国さ』
俺はそこでやっとヘッドライトを付け、そのまま暗闇の中を突っ走った。
さて、その後どうしたかって?
大藪某センセのバイオレンス小説なら、ここで俺は彼女とベッドを共にして・・・・となるところだが、生憎俺はそこまで飢えちゃいない。
名古屋のめんどくさい道を駆け回り、尾行があった時の為に、俺としては器用に巻きながら、知り合いの弁護士事務所に駆け込んだ。
こっちの方に仕事に来た時には、いつも世話になってるおっさんだ。
検事上がりで、曲者だが、人情だけは心得てる、弁護士としては嫌いじゃない。
奴の事務所兼住宅に着き、俺が事情を話すと、
”まったく無茶をやるもんだな”とか、
”幾つ犯罪を犯したと思ってるんだ”なんて嫌味を言ったが、取り敢えずそれ以上は何も聞かずに俺達二人を匿ってくれた。
俺と陽子は二人して事務所のソファでコーヒーをご馳走になり、毛布を借りてぐっすり眠った。
彼女も俺も、本当に疲れていたのだ。
やっぱりな、やりつけないことはするもんじゃない。
俺は腹の中で独りごちた。
翌朝になって、目を覚ましたところで、二階堂陽子から事情を聴いた。
とはいっても、殆どは俺の推測通りだったがね。
彼女は病気でも何でもない。
ある日突然、姉と姉の夫が、彼女を無理矢理にあの病棟へ入院させたのだという。
自分は院長になろうという野心などまったくない。
ただ、患者と病院の為に良い仕事をしようと思っている。それだけだと語った。
何度か脱出を試みたが、その度に連れ戻された。
俺が出くわしたのも、その時だったんだろう。
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