ACT8

いっちゃん、午後は何処をやるんだね?』

 昼飯を終えた俺が、椅子から立ち上がり、鎌と大きめのゴミ袋3つ、それから籠と竹箒を持って、休憩所から出て行こうとすると、岡田さんがそう言って声を掛けた。

 あれからもう半月は経ったろうか。

 俺は小山田一郎という名前にすっかり馴染んでしまい、他のメンバーからも

いっちゃん”なんてあだ名で呼ばれるようになった。

『二棟の裏に特別病棟ってのがあるだろ?あそこの周りが草ぼうぼうだったからさ』

 俺が”特別病棟”という言葉を口にした途端、そこにいた連中の顔が蒼ざめるのを見逃さなかった。

いっちゃん、前にも言ったろ?あそこは近づくんじゃないって』

 主任と岡田さんが同時にそう言った。

『大丈夫っすよ。なんかあったら俺が責任を取ります。何だったら首にして貰っても構わないんで』

 作業用手袋を嵌めた俺は、二人にそう返した。

『俺、昔から綺麗好きなんですよ。特に草がぼうぼうになってるってのは見過ごせない性質たちなんでね』

 にやりと笑い、俺は一人で休憩所を出た。


 本棟を一周して第二棟(病棟の事だ)を過ぎた端の辺りにあるのが、みんなが”特別病棟”と呼ばれている建物だ。

 ここには用がある時以外は近づいてはならないというのは、この病院で働く者にとっては、暗黙の了解だ。

 勿論俺もそれを知っている。

 別に草刈りなんか、どうでもいい。

 俺には他に大きな目的があるのだ。


 特別病棟は他と違って、陰気そのものな建物だ。

 まず、外壁は全て濃い灰色で塗られている。

 次に窓が殆どない。

 その窓にも硝子窓の上に、目の細かい金網が掛けられている。

 入り口には、

”特別病棟”と素っ気ないプレートが掛けられてあり、その横には、

”許可のない者以外は病院関係者であっても立ち入るべからず”とあった。


 建物の周りは、俺の腰の高さくらいまでに雑草が生い茂り、夏だというのに枯葉も溜まって、とてもじゃないが美しいとは言えない。

 俺は籠を置いて、竹箒で落ち葉を掃き始めた。

 次に雑草を抜きにかかる。

 土が乾いているからか、それとも根が張っているせいか、草との格闘は思いのほか骨が折れる。

 だがこんな作業、昔はさんざんやらされた。

 屁でもない。

 30分も経つと、凡そ3分の一くらいは、見違えるように綺麗になった。

 ふと、音がした。

 見ると俺の頭上10メートルほどにある窓が開いている。

 開いているといっても、全開しているわけじゃない。

 凡そ10センチあるかないかくらいの幅までしか開いていない。

 というよりも、それ以上開かない構造になっている。

 精神科病院の病棟ってのは、みんなこうなんだ。自殺と逃亡防止というのが理由らしい。

 

 そこから女性らしい(いや、”らしい”ではないな。明らかに女性だ)が顔を覗かせた。

 長い髪、青白い頬、そこだけは分かった。

 彼女は下に俺の姿を見つけると、窓の隙間から何かを丸めてこちらに落とした。

 風がなかったのが幸いした。

 その”何か”は真っすぐに俺の作業をしていた直ぐ近くに墜ちた。

 拾って、広げてみる。

 消しゴムの欠片かけらを芯にした、大学ノートの端のようなものだった。

”タスケテ下さい。私をここから出して下さい。ヨウコ”

 それだけが書かれてあった。

 もう一度頭を上げてみたが、窓はもうその時には閉まっていた。


『何をしている?』

 背後から声がした。

 後ろを振り返ってみると、前と同じ制服を着て、硬質ゴムと思われる警棒を構えたいかつい警備員が立っていた。

『見りゃわかるでしょ。掃除ですよ。私は清掃会社のものでね』

『注意書きを読まなかったのか?』

『読みましたよ。でもこっちはこれが仕事でね。それに俺は草が生い茂っているのをほったらかしにしてあるのを見ると、我慢が出来ない性分なもので』

『名前は?』

『いちいちあんたらにそんなこと言わなきゃならないのかね?』俺はポケットに手を突っ込むと、にやりと笑って四角く折りたたんだモノを渡した。

 警備員は辺りを見回し、そいつを受取り。

『ん、まあ仕方がない。だったら草取りだけさっさと済ませて帰るんだな。今回は見逃してやる』

 狡そうな顔をしてそう言い、向こうに行ってしまった。

 俺は窓を見上げ、また草むしりと掃除にかかった。


 

 




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