ACT7

 基より俺は清掃業なんかで喰ってゆくつもりはない。俺の本業は私立探偵だ。

 しかし今回は依頼人もいない。当たり前だがギャラも出ない。

 金が出ないからってなんだ?

 車に押し込められたヨウコという女。

 訴えかけるような眼差し。

メモに書かれた言葉。

『タスケテ・クダサイ』

 それらが俺に諦めることを許してくれない。

 損な性格だと思うさ。自分でもな。

 でも、それが俺の性分なんだ。


 俺は、清掃の仕事の合間に病院内のあっちこっちで情報を拾って回った。

 最初はどこでも口が堅く、なかなかいい話は引っかかってこない。

 しかし粘り強く調べてゆくうちに、分かってきたことが幾つか出て来た。


 この名南病院は、今から60年前に先代の院長である、徳大寺慎太郎とくだいじ・しんたろうが創設した事。

 当時は精神科専門の病院と言えば、名古屋市内には殆どなかったので、市の中心部から外れているとはいえ、名南病院の創立は、心の病気に苦しんでいる患者にはまさに救いの神そのものだったようだ。


 それでなくても精神治療というのは、我が国ではお世辞にも進んでいるとは言えなかったので、猶更なおさらだったろう。

創設者の徳大寺慎太郎という医師は、なかなかの人格者で、患者たちの治療に関しても熱心で、率先して人権に配慮した治療を施して結構評判だったそうだ。


 事実彼は年齢としを重ねても、院長の座に留まり続け、患者を診ることを辞めなかった。

 彼が引退をし、後進に後を託すことにしたのが、今からおよそ一年前の事だった。

 

 それに相応しい人物(世襲が良いかどうかはさておき、)の候補者。

 それは彼の二人の娘である。

 一人が長女の紗季さき

 もう一人が妹の陽子。


 紗季は東京大学の医学部を優秀な成績で卒業し、アメリカの大学に学士留学。

 最年少で両国の医学博士号を取得したことで、当時話題になったという。

 医師としては文句のつけようのないくらい優秀な女性である。

 問題はその性格だった。

 冷徹な癖に時としてヒステリックになる。

 利潤やデータを何よりも優先し、患者、否、人の気持をおもんばかる思慮深さに欠けている割には計算高く、上昇志向が強い。

 と、まあ、性格の点では問題ありというより、問題しか持ち合わせていないと言った方が良いだろう。

 一応結婚はしている。子どもはいない。

 夫もやはり医師だが、現在診療の方はたまにしか行っておらず、病院のヒラ理事の職にある。

 こちらの方もあまり評判は良くない。

 というより影が薄いと言った方が正解らしい。

 

 妹の陽子は、彼女より6歳離れている。

 最初彼女は医者になるつもりはなかったらしい。

 しかし、父の医療に対する真摯な姿を見ていて、自分も医学の道を志そうと決心したという。


 成績の方はお世辞にもさほど良くはなかったが、努力家で一浪した後、地元名古屋の公立医科大学に入学し、卒業し医師となった後は、幾つかの病院に勤務医として渡り歩いた後、博士号を取得、父の元で精神科医になった。

 性格は温厚、誰にでも優しい。

 父を誰よりも尊敬しており、他の医師や看護師やスタッフのみならず、患者やその家族にも慕われて、信頼も厚かった。

 当然、名南病院二代目院長は彼女・・・・即ち陽子が継ぐものと思っていた。

 いや、

“そうなって欲しい”と思われていたという方が正確かもしれない。

 しかし、彼女の一時が万事控えめで温厚な性格が、院長なんて自分には似合わないと思ったのかもしれない。

 それでも副院長くらいにはなっても良かったところだ。と誰もが思った。

 いや、事実副院長にはなったのだが、いざ父が引退し、後継ぎをという話になった時、彼女は自ら、

『体調不良』を理由に副院長の座も降り、療養目的で病院も退職してしまったという。

 と、ここまで書けば、読者諸君ももう分かっただろう。

 後はご推察の通りだ。


 つまり俺が総回診の際に目にした、ホラー映画の魔女のようなあの”院長”が姉の紗季。

 そして、俺が最初に出会ったあの時、何かを訴えかけるような目をして、

 俺に”タスケテクダサイ。ヨウコ”のメモを渡したあの女性が、妹の陽子である。



 






 

 

 

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