ACT3
ウィークデーの昼過ぎだというのに、その病院の待合室兼廊下には、大勢の人で
無理もあるまい。
ここは名古屋、否、愛知県内でも五本の指に入ると言われているほどの精神科治療の専門病院である。
愛知県警中署の古馴染みによる”手助け”で、ワゴン車のナンバープレートから、この病院・・・・同じ名古屋市内にある『聖愛会・名南病院』が割れたのだ。
まず、俺は”総合受付”と札の出ている窓口に行ってみた。
美人だが、SF映画に出てくるアンドロイドみたいな顔をした受付嬢は、俺の顔を見るなり、
”初診なら、紹介状をお持ちでないと診察出来ませんし、それ以外の御用件ならば、事務所の方へどうぞ”と、この手の病院ならば、極めて常識的な答えを返して寄越した。
仕方がない。俺は事務局の場所を聞き出すと、外来診察室とは反対側の建物に歩いていった。
事務局のドアをノックした時、最初に顔を出したのは、風采の上がらない顔をした女性だった。
俺はフリーのルポライターと名乗り、あの夜出会った女性について聞きたいと切り出した。
だが、ここでも帰ってきた答えは予想した通りだった。
”病院の内部事情、特に入院患者の問題については個人情報漏洩の危険がありますので、お話しすることは出来ません”
我ながら情けない。
こういう所でストレートにモノを訊ねたって、まともに答えてなんかくれる筈がないってのは、いわば私立探偵のイロハだ。
仕方がない。
こうなりゃ絡め手からいくしかない。
正面玄関を出て裏手に回ると、そこには4~5人の男女がたむろしていた。
彼等は別に制服を着ているわけではないことから、職員でないのは直ぐに分かった。
服装はまちまちで、中にはこの暑いのにジャンパーを二重に着込んでいる人さえある。
4~5人の男女、と言ったが、それは正確ではないな。
女性は一人だけ、後は全員男だった。
若い男、中年過ぎ、還暦をとうに過ぎたのまで様々だ。
だが、共通点がある。
煙草だ。
足元を見ると、金属製の筒形をした大きな灰皿が二つある。
全員がその灰皿の周りに集まるようにして煙をあげているのだ。
時々何やら話をしているが、大半は何も言わず、黙々と喫煙に集中している。
その
ポスターの裏側を使ったんだろう。
太いフェルトペンででかでかと、
”煙草はここだけで喫ってください!”
”喫煙時間は午前11時から午後2時まで!”
その真っ赤な太い文字が、何だかひどく威圧的に感じられる。
俺は腕時計を見た。
時刻は午後1時30分、即ち後30分しかない。
『すいません。ちょっと混ぜて貰っていいすか?』
俺が声を掛けると、全員が胡散臭そうな目でこっちを見た。
俺はジャケットの内ポケットからシガレットケースを出して一本咥える。
『申し訳ないが、誰か火を貸してくれませんか。ライターを忘れたもんで』
一番右側に居た背の低い坊主頭の、まだ若い男が百円ライターを渡してくれる。
俺は礼を言って火を点けた。
え?
”お前、煙草は止めたんじゃないのか”だって?
探偵ってのは忍者と同じさ。
周りに溶け込むためなら何でもしなくちゃならない。
こんな時の為に、シナモンスティックに混ぜておくのさ。
最もこいつは本物じゃあない。
ある製薬会社が販売している薬用煙草ってやつでね。
ニコチンはゼロ、タールもゼロ、それでいて喉にはいい。
そういう代物なのさ。
『見ない顔だね。あんた、外来?』
丸坊主の男が俺に訊ねた。
『そう、今日初めて来たんだがね。初診の患者は紹介状がいるなんて規則を知らなかったもんで』苦笑いをしながら俺は答えた。
『誰でも最初はそんなもんだよ。俺も同じさ。前に通ってたクリニックで鬱だって診断されたんで、ここへ来たんだが、やっぱり同じことを言われたよ』
『仕方ないわよ。ここの規則なんだから』
眼鏡をかけた紅一点の中年女が言った。
そこまでで大方の事は読めた。
この五人は入院患者で、ここは病院の敷地内で唯一喫煙の許された場所なのだということが。
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