第73話 誘拐



「え……?」


 聞き間違いか? 今、モブという、この世界では聞かない単語が聞こえた。

 驚きを隠せない私に、ミリィは笑みを浮かべる。その笑みが底知れない感じがして、私は後ろに下がろうとしたが、すぐに背後の洗面台にぶつかった。


「いいわよね、あなたは。悪役令嬢なんて、最高のポジションじゃない。それを利用してルイス様と仲良くなるなんてズルいわよ」


 先程とは口調も違う。


「同じ転生者なのにどうしてこんなに違うわけ? 片や、侯爵令嬢でお金持ち。顔も美人で婚約者もイケメン。片や、ただの子爵令嬢で、お金持ちでもなければ容姿がいいわけでもない……ズルすぎない?」

「ズル、と言われても」


 私はズルなどしていない。ただ、健康になろうと……生き残ろうとしただけだ。

 間違いない。この口調に話の内容。ミリィは……。


「あなた、転生者なの?」

「そうよ。やっと気付いた?」


 ミリィは私の目の前に立った。


「転生したらただのモブなんだもの。つまらなすぎてビックリした。なのにあなたはストーリーを変えて……ねえ? どうして? どうしてあなたと私はこんなに違うの?」

「……私だって大変だったのよ。まさか転生し悪役令嬢が、病弱だったんだもの」


 本当に大変だった。食べるものも自由に食べられないし、少し歩くと息切れするし、無理をすると倒れてしまう。


「ハッ! それぐらいなんだって言うの? それでもお釣りが来るぐらい恵まれているじゃない!」


 ミリィがバンッと私の背後にある鏡を叩いた。パリン、とガラスが割れた音がする。


「あなたには消えてもらうわ」

「……どうして。あなたに迷惑かけてないわ」

「かけてるわよ。だって私、ルイス様が推しなんだもの」


 ミリィが顔赤らめた。


「あなたのポジションを私が貰うの。いい考えでしょ?」

「いい考えって……あのねぇ。仮に私がいなくなったとしても、あなたにルイスが見向きもしないかもしれないじゃない」

「私は何度もルイス様を攻略してるのよ? 好感度を上げるなんて簡単よ」

「嘘でしょう」


 私ははっきり言い切った。


「もし、本当にあなたがルイスを攻略できるなら、もっと前から行動していたはず。――もう行動に移して、見向きもされなかったんじゃない?」


 バッサリと話の矛盾を指摘すると、ミリィの顔が歪んだ。


「うるさいわね……」

「ここはゲームとは違うの。だから」

「うるさいうるさいうるさい!」 


 ミリィがもう聞きたくないとばかりに耳を両手で塞いだ。


「今更何を言っても遅いのよ」

「何言って……」


 そこで私の言葉は遮られた。首に大きな衝撃を受けたからだ。

 何?

 私は立っていられずそのまま倒れ込むかと思ったら、誰かに抱き止められた。それを誰か確認する前に、私の意識は沈んだ。



         ◇◇◇



 目覚めたとき感じたのは首の痛さだった。


「うっ……」


 首を押さえて起き上がる。硬い床に寝かされていたようで、身体も痛い。


「どこ? ここ」


 見覚えのない倉庫のようなところにいるようだった。


「目が覚めた?」


 声にバッと顔を上げると、そこにはミリィが立っていた。


「ミリィ! こんなことしてタダで済むと思ってるの!? あなた、侯爵令嬢を誘拐したのよ!? 今頃きっと大騒ぎになってるわ!」

「大騒ぎにはなってるでしょうね。でも私は問題ないわ」

「問題ないって……」

「だって誰にも目撃されないようにやったもの。誰も見てなかったら、誰がこんなモブがあんたを誘拐したと思う? 誰も私の仕業なんて気付かないわよ」


 どうやら衝動的に行動ではなく、計画的犯行らしい。


「……私の首を叩いたのは誰?」

「俺だ」


 ミリィ以外にも人がいたのか。スッと現れたフードの男に、私は警戒した。

 この男が、ミリィの協力者。


「あなたは誰?」

「そう言って答える人間はいないだろう」


 正論だ。


「……どうして私を生かしてるの? 私を消すのが目的なら、殺したほうが早いでしょう」


 おそらく彼らに私を殺す気はないと判断して聞いた。殺す気なら、気を失っているときにしたはずだ。そのほうが相手に抵抗されないし、スムーズに実行できる。でもしなかったということは、私を生かしておかないといけない理由があるはずだ。


「聡いわね。そうよ。あなたは殺さない。そのままあるところに売るの」

「……どこに?」


 ミリィがニヤリと笑った。


「リビエン帝国よ」


 リビエン帝国……?

 なんだろう、どこかで聞いたような……どこだっけ……。

 必死に記憶を手繰り寄せ、ふとエリックの顔が浮かんで思い出した。

 エリックの故郷!


「どうしてリビエン帝国に……」

「あの国は転生者を集めている。転生者はこの世界にない知識を持っているから、囲い込んで自分たちのものにしてるんだ」


 フードの男の説明に、私は思わず口を閉ざした。集めている? 囲い込んで自分たちのものにしてる? とても転生者が望んでいる暮らしだとは思えない。つまり、それは――こうして無理やり攫っているということだろう。


「酷い……」

「転生者の知識でリビエン帝国は栄えた。なぜか昔から転生者があの国では多く生まれた。……しかし、近年は生まれなくなった。だから、最近はよその国からそれらしい人間を攫っているんだ」


 フードの男は一国の恐ろしい闇を淡々と話す。


「……今の話が本当なら、ミリィ、あなたも危ないんじゃないの?」

「心配してくれるの? お優しいのね」


 ミリィが小馬鹿にしたように言った。


「さっき言ったでしょ? 転生者の知識が必要だって……残念ながら、私にはあなたのように現代の重要な知識がないの。だから、あっちからしても、要らないものってわけ」

「私のような重要な知識……?」

「栄養学って言うの? そういうの」

「……私は本格的に学んだ人間じゃないかな、そんな知識たかが知れてるわよ」


 ただの趣味だったのだ。栄養士ではないから、知識は偏ってるし、知らないことのほうがきっと多い。


「そんなの向こうには関係ない。役立ちそうな知識があったらそれを奪う。それがやつらのやり方だ」


 フードの男が言った。


「……あなた、リビエン帝国の人じゃないの? 言葉の節々にリビエン帝国を嫌っている様子が見えるけど、もしそうならどうして私をリビエン帝国に連れていこうとしてるの?」

「……少し話しすぎたな」


 フードの男は腰に下げていた剣を鞘から抜いた。


「これ以上の無駄口は不要だ。知識さえあればいいから、五体満足でいる必要はないからな」


 目の前に剣先を向けられ、私は息を飲む。


「――わかった。もう話さない。だからそれしまって」


 私の言葉に、男は少し間を置いて、剣を鞘に戻した。私はふう、と息を吐く。

 とんでもないことになってしまった。ルイスの心配は行き過ぎじゃなかった。


 ――ルイス、どうしてるかな。


 きっと私を心配してくれているだろう。こんなことになって申し訳ない。

 でも今頼れるのはルイスだけだ。私が戻らなければルイスが動いてくれるはず。


 ――ルイス、助けて。


 私は目をつぶって祈った。


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