第65話 ルイスの看病



 一ヶ月寝込んだらしい。

 そして驚くべきことに、その間ルイスはずっとそばを離れなかった。

 朦朧とする意識の中、誰かに介助されながら食事したりしてたけど、その相手がルイスだとは思わなかった。アンネだと思っていた。

 目覚めた瞬間げっそりしたルイスの顔が目に飛び込んできてビックリして叫んでしまった。


「きゃーーー!? 何ゾンビ!?」

「フィオナ! 目が覚めたか!?」

「さ、覚めたけど……」

「うっ……」


 どう見ても私よりボロボロのルイスが大粒の涙を流し始めて私は狼狽えた。


「どうしたの? なんで泣くの? どうしてそんなにげっそりしてるの? 私の風邪が伝染った?」


 泣いているルイスにオロオロしながら、私も混乱してるのであれこれ聞く。ルイスは涙を拭いながらこの状況について説明してくれた。


「一ヶ月もあれから寝込んで……食べないと死んでしまうから、食事はフィオナの意識が少し戻ったときに食べさせていた。汗をかいて冷えてもいけないし不衛生にするのもダメだと言うから、身体を拭いて着替えもさせた。でも中々意識が戻らなくて……フィオナに何かあったらあの女を殺して自分も後を追おうかと思った」


 今すごく怖いこと言った……。目覚めてよかった……。


「私そんなに寝込んでたのね……心配させてごめんね。それで、どうしてルイスはそんなに体調悪そうなの?」


 痩せこけ寝不足なのか隈もできている。ルイスの長所である美しさが損なわれてしまっていて、私への心配からだろうかと私は申し訳なく思った。


「それは……フィオナの看病をしていたのが俺だから」

「え?」


 看病? 公爵家嫡男が?

 わざわざ自分の手で?

 いや、待って、それよりさっきルイスは何をしたって言ってたっけ?

 私は病み上がりでぼんやりする頭を必死に働かせた。

 ルイスは確かにこう言った。『身体を拭いて着替えさせた』と……。

 身体を拭いて着替えさせた!?


「わ、私の着替えとかしたのってアンネよね!?」


 お願い! アンネだと言って!

 しかし、ルイスは不思議そうに首を傾げた。


「? 俺だが?」


 何を当たり前のことを、みたいな顔をされても!


「婚約者が寝込んでいるのだから、それぐらいしても当然だろう」

「当然じゃないと思うわよ!? 心配して見舞いにくるぐらいじゃないかしら、普通は!」

「じゃあ俺は普通じゃない」


 あっさり自分が普通じゃないと認めたルイスは、恥ずかしさで震える私の手を取って、頬に寄せた。


「目覚めてよかった……一時は本当に危なかったんだぞ」

「え、そうなの?」

「肺炎にもなっていたらしい。俺は自分の死を覚悟して遺書を書いた」


 私の死ではなく自分の死なところを考えると、さっき言っていたことは本気だったのかもしれない。

 本当に目覚めてよかった。あと少し遅ければルイスが早まっていたかもしれない。


「フィオナ、フィオナ……」


 ルイスが私の手にスリスリと頬を寄せると、彼のカサカサになった頬の感触がわかって、本当に私を心配してくれたことがよくわかった。

 着替えに恥ずかしがっていたのが申し訳なく思えてくる。ただ看病してくれただけなのに、私ったら。


「心配させてごめんね、ルイス」

「いや、俺が離れたのが悪かったんだ。もう片時も離れない」


 ルイスが私の手を握る手に力を込めた。

 ルイス? 片時もなんて嘘よね? 本気で言ってないわよね?


「これからは護衛も付けてフィオナに誰も危害を加えられないようにする。俺も常にそばにいて……ああ、そうだ。フィオナの住まいを移すことにしたから」

「は?」


 住まいを移す?


「ハントン公爵家にフィオナがすぐに住めるように手配した。ご家族も納得している」

「え」

「アンネももちろんそのままうちに来る」

「あ、ありがとう……?」


 アンネは結婚後も一緒だと約束したものね。

 って違う違う違う!


「私は納得してないんだけど!?」

「ハントン公爵家にいればフィオナを守りやすい」

「そ……れはそうかもしれないけど……」


 ハントン公爵家の守りならきっと鉄壁だろう。だけど、私はハントン家に住む気はない。というか、嫁入り前に住むってどういうこと!?


「私、まだやりたいこともたくさんあるし」

「ハントン公爵家でやってもいいぞ」

「お、おばあ様とうまくやっていけるか不安だし」

「おばあ様はフィオナを気に入ってるから大丈夫だ」

「今家で育ててるハーブとか、ここの人間は管理できないし」

「人を雇おう」


 ダメだ、もう思いつかない。

 そのとき、ガチャ、と扉が開いた音がした。

 振り返るとエリックとアンネがいた。

 私は救世主だとパッと顔を明るくした。


「エリック、アンネ!」

「お嬢様、お目覚めになりましたか!」


 アンネが私に駆け寄った。


「よかった……このアンネ、お嬢様の後を追う覚悟でした」

「命は大切にしてね……」


 どうしてみんな私の後を追おうとするんだ。安心して天国に行けないからやめてほしい。いや、そもそもまだ生きてるけど。


「ちょっと失礼」


 エリックが私に近付き、脈を測り、目の動きを確認し、胸の音をチェックすると、エリックはふう、と息を吐いた。


喘鳴ぜいめいももうないね。肺炎も完治とみていいよ」


 よかった!

 そしてエリックを見て閃いた。


「エリック、私は可能な限りストレスがない環境のほうがいいわよね」

「それはもちろん」

「環境の変化もストレスになるわよね?」

「なるだろうね」


 よし、医師から言質を取れたぞ!


「ほら、今の環境のままのほうが、私の負担にならないと思うの」


 だからルイスの家に移住はなしでお願いします!

 ルイスは私の言葉に見るからに肩を落とした。


「……俺と暮らすのは負担というわけか?」 


 まるで捨てられた子犬のような瞳に、思わず顔を背けた。

 そんなしょんぼりすると罪悪感が湧くじゃなじゃない!


「そういうことではないの! その……結婚してから住んだほうが、新婚を楽しめると思うし」


 新婚の醍醐味であると思う。

 というか大半の貴族がそうして結婚してるから、普通と違うことはしなくていいと思うの!


「結婚してくれるということか!?」

「え?」

「フィオナは婚約破棄の話も出してきたし、本当は結婚したくないんじゃないかと思ってたんだ……たとえそうだとしても離す気はなかったけど、そう言ってくれるということは、結婚する未来を見据えてるってことだよな?」


 違います……。

 まさか結婚というワードに反応するとは思わなくて、私が何か返事を返す前にルイスが嬉しそうに頬を緩めた。さっきまで捨てられた子犬のような顔をしていた男とは思えない。

 しかし、これははっきり「違います」と答えたらどうなるのだろう。さっき、離す気はないとか言ってなかった? 否定したらルイスの実家に連れていかれたりしないよね?

 そんなことはないと思いたいけど笑顔の圧がすごいから、私はすごく小さな声で「そうです……」と答えた。

 ルイスは私の返事を聞くとさらに笑顔になり、満足そうに頷いた。


「フィオナの言う通りだな。うん。新婚の醍醐味は大事だよな」


 いや、必死の言い訳で言っただけで、本当にそうは思っていないんだけど。

 ルイスはうんうん呻いていたが、少しして答えが出たようだった。


「じゃあ外出は俺に必ず事前に知らせて、必ず俺も同伴すること。家の中も心配だから、必ずアンネから離れないこと。これを条件にしよう」


 箱入り娘かな?

 貴族令嬢ということで、箱入り娘は間違いないけど……ルイス心配しすぎじゃない? 私、ルイスに許可もらわないとおでかけできない上に、必ずルイス同伴なの?


「仕事があるんじゃ……」

「大丈夫だなんとかなる」


 何をどうするつもりなんだろう。私といる間仕事に進まないだろうし……仕事命なんじゃなかった?


「心配しなくていい。フィオナに苦労させないようにこの国一番の金持ちの地位を誰かに渡す気はない」


 稼げなくなることを私が心配してると思ったのか、安心させるような笑顔でそう言うけれど、そこを心配していたのではない……。


「まだ不安か? じゃあフィオナが家にいるときも護衛を雇って……」

「もう充分よ! 大丈夫だから!」


 これ以上護衛という名の監視を付けられたらたまらない。私の自由が一切なくなってしまう。不満しかないがここで受け入れないともっと大変なことになると私の頭の中で警鐘が鳴り響いている。


「わかってくれて嬉しいよ」


 ルイスはずっと笑顔だがその張り付いた笑顔が怖い。


「そうだ。フィオナとジェレミー殿下の結婚だが……」


 そういえば、国王陛下が諦めてくれていなかった。何かまた王家からアクションがあったのかと身構える。


「ジェレミー殿下は長年恋焦がれた相手と結婚することになったから白紙になった」

「……はい?」


 突然急展開すぎる。


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