第64話 カミラとジェレミー



「実は……カミラとはもっと前に会ってるんだ」

「え?」


 まさかの回答に、カミラは目を瞬いた。なぜならカミラはお茶会前にジェレミーに会った覚えがないからだ。


「カミラは俺だと気付いていなかったと思う」

「気付いていなかった?」


 ジェレミーは言いにくそうにしながらも、口を開いた。


「毎日次期王としての教育ばかりで息抜きをしたくなったときがあって……変装して街に行ったんだ」

「変装って……もしかして平民の格好なさっていたのですか?」


 ジェレミーが頷いた。

 カミラは驚いた。カミラの知っているジェレミーは品行方正で、そんなことをするとは想像もしたことがなかったからだ。

 カミラが驚いていることに気付き、引かれたと思ったのか、ジェレミーが必死に言い訳をした。


「君に出会ってからはしたことがないからな!? 君に会う前のことであって、それからはまったく!」

「いえ、別にそれぐらいいいとは思いますが……」


 カミラは驚いただけで、それが悪いことだとは思っていない。責任の大きな次期国王という立場であるジェレミーに、息抜きは必要だと思っている。ただ、今までのジェレミーはカミラの前でそんなことをする素振りをしたことがなかったから驚いてしまっただけだ。

 カミラの反応に、ジェレミーはほっとした様子で胸をなで下ろした。


「よかった……君は真面目な人だから、この話をして嫌われたらと思って……」

「そんなことで嫌いになったりいたしません」


 カミラのジェレミーへの思いを舐めないでほしい。


「いや、わかっている。君はとても誠実な人だと」

「ご理解いただきありがとうございます。それで、わたくしとはどのように会ったのですか?」


 カミラもたまに街に出ることはあった。ジェレミーと違い、貴族令嬢でとしての外出だったが。


「街に出たとき、破落戸ならずものにぶつかってしまったのだ。お忍びで出かけたから護衛はいないし、俺が王太子だとは誰も気付かず、破落戸に口汚く罵られて、手を振り挙げられた」

「まあ! 殿下のことを殴ったのですか!?」


 カミラは今すぐその輩を見つけ出して厳重に罰せねばと思った。


「いや、殴られてはいない。君が助けに入ってくれたから」

「え?」


 カミラが助けた。ジェレミーはそう言ったが、やはりカミラはまだ思い出せなかった。

 人助けはしたことはある。カミラは理不尽を許すことができない。今の話を聞いていると、助けたと言うのなら、おそらく、幼い子どもを殴ろうとしている大人が許せなくて間に入ったのだろう。


「ちょうどそのときそこを馬車で通っていた君が、俺を見つけてわざわざ馬車を止めて出てきたんだ。そのとき君が言ったことも一語一句覚えている」


 ジェレミーはそのときのことを思い出しているのか、どこかうっとりとしながら言った。


「『大の大人が、力で適わぬ子どもに拳を上げるとは、恥を知りなさい』……カミラは恐れることもなく、俺と相手の間に立ち塞がりながら言ったんだ」


 ジェレミーはそのときのカミラを思い出した。すっと背筋を伸ばし、相手に臆することなくしっかり目を見て、堂々としていた。

 その姿は今まで見てきたどの人間よりも美しく、感動した。


「そして、思ったんだ。俺もこうでありたいと」


 高潔に、強く、誇り高く、民を守れる王になりたい。

 カミラの姿はジェレミーに目標を与えた。


「……申し訳ございません。覚えておりません」


 正確に言うなら、似たようなことがありすぎて、一個一個覚えていない。護衛には毎回怒られていた。だが、カミラは悪いことをしたとは思っていないし、今こうして当時助けた人間の話を聞いて、やはり間違っていなかったと思った。


「覚えていないのも無理はない。君にとっては日常の一コマだったのだろう」

「……面目ございません」


 覚えていないと伝えても、ジェレミーは気にした様子もない。カミラが覚えていないことを予測していたのかもしれない。


「それからその貴族の娘がどこの人間か調べて、カミラを見つけた。あとはどうやって君に選んでもらえるかを考えていたよ」

「殿下が選んでくだされば、良いだけでは?」


 王太子殿下から婚約を申し込まれれば、断る家門は少ないだろう。


「いや、それでは意味がない。俺はカミラに選んでもらい、両思いで結婚したかったんだ」


 ジェレミーがなぜわざわざあんなお茶会を開いたのかがわかった。あくまで自然にカミラに出会い、カミラにジェレミーを選ばせたかったのだ。

 いきなり個人だけ呼び出したりしたらそれは自然ではないし、ジェレミーの言う通りだとしたら、確かにスムーズな作戦だったのかもしれない。

 だが、今の話だと疑問が残る。


「ならば、なぜわたくしを正式に婚約者にしてくださらなかったのです?」


 その流れなら、そのままカミラを婚約者にしてもいいはず。むしろそれが自然だろう。

 しかし、ジェレミーはカミラを婚約者にせず、あくまでカミラの立場は『筆頭婚約者候補』。そのおかげでカミラはいつも自身の危うい立場に不安を抱いていた。

 いつ誰に足元をすくわれるか。ジェレミーが誰か他の人間を選んだら……。

 ジェレミーがカミラを婚約者にしてくれていたら、そんな不安を抱かずに、心穏やかでいられたというのに。


「それは……カミラと俺の想いの強さが違うから」


 想いの強さ?


「できれば俺と同じぐらいカミラが俺のことを好きになってくれたらと思っていたんだ」

「わたくしは殿下をお慕いしております」


 カミラは初めからジェレミーへの想いを隠していない。おそらくほとんどの人間がカミラがジェレミーに懸想していることを知っているはずだ。


「うん。それは知っているんだ。知ってるんだけど……」


 ジェレミーは歯切れが悪い。


「ここまで来たらはっきり言ってくださいませ。たとえお互い想いあっていても何か結婚できない理由があるのならわたくしは身を引きます」

「身を引く……!?」


 今日一番の大きな声でジェレミーが叫んだ。


「ダメだ、それだけは! 君が俺と結婚してくれないなら死ぬ!」

「大袈裟すぎますわ」

「大袈裟じゃない!」


 カミラが呆れたように言うと、ジェレミーは真剣な声で否定した。


「君に嫌われるのが怖くて隠していたけど……」


 ジェレミーが、自室の中にあるもう一つの扉に手をかけた。


「頼むから嫌わないでくれ……」

「殿下を嫌うなどありえません」

「その言葉に責任を持ってくれよ……」


 ジェレミーはついに意を決して扉を開け放った。

 目の前に広がる光景に、カミラはポカンと口を開いた。


「……は?」

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