第62話 ルイスの後悔



 俺はフィオナを抱きしめながら、激しい怒りを感じていた。

 フィオナの身体にはワインがかけられており、それはフィオナの近くに立っていたカミラが掛けたことは、火を見るより明らかだった。

 だってカミラは空のワイングラスを持っていたから。


「君がやったのか、カミラ嬢」

「あ……」


 俺の怒りにカミラは顔を青ざめた。それは自分が犯人だと認めたも同義だった。


「あの……ちょっとした牽制のつもりで……まさか倒れるとは……」

「フィオナは何度も体が弱いと伝えたいはずだが?」

「それは……」

「信じてなかったんだな」

「……」


 返せる言葉がないのか、カミラ嬢は黙ってしまった。


「ただでさえストレスがあったのに、冷たいワインを被って……身体に限界がきたんだな……パーティーなど休んでいいと言ったのに……」


 だが今休むと、さらに噂が加速すると言ったのはフィオナだった。だけど、こんなことになるなら、フィオナを説得して家にいるべきだった。


「噂なんか放っておけと言うべきだった」


 後悔しても遅いが、後悔せずにいられない。

 俺はフィオナを抱き上げた。


「あ、あの、申し訳ございません……そこまで身体が弱いとは……思って、おりませんでした……わ、わたくしが」

「謝罪も弁明も結構」


 俺はピシャリと言った。


「それはフィオナに言ってくれ」

「……はい」

「それから」


 俺は大慌てでこちらに来る男を視界の端に捉えながら言った。


「君たちには話し合いが必要だと思う」

「え?」

「カミラ!」


 ようやくこちらに辿り着いた男――ジェレミー殿下がカミラの名を呼んだ。

 カミラはジェレミー殿下を見ると、青い顔をさらに青くする。


「ジ、ジェレミー殿下……」

「カミラ、これはいったい……」

「これもすべて殿下のせいです」


 俺の言葉に、ジェレミー殿下はハッとし、カミラは首を横に振った。


「違います! わたくしが勝手に……!」

「その行動は不安からだろう。そして、不安にさせているのはジェレミー殿下だ。そうでしょう、ジェレミー殿下」


 俺の指摘に、ジェレミー殿下は、いつもの穏やかな笑みを引っ込め、真剣な表情で頷いた。


「そうだ。その通りだ。すまない」

「さっさと話し合ってください。あなたの行動でこちらまで迷惑です」


 ジェレミー殿下は申し訳なさそうに肩を竦めた。


「殿下のせいではございません! わたくしが……」

「その弁明はもういい。俺はもう行く。あとは二人でよく話して、こちらにもう迷惑がかからないようにしてくれ」


 俺は言いたいことを伝えると、フィオナを抱えて会場を後にした。

 馬車で移動している間、フィオナに何かあるのではないかと気が気ではなかった。

 馬車がエリオール侯爵家に着いてすぐに、俺はフィオナを抱えながら大声を出した。


「エリック! エリック! すぐに来てくれ!」


 俺の声にただ事ではないと思ったエリオール家の人間が一斉に玄関先に出てきた。


「フ、フィオナ!? これはいったい……」

「会場でワインをかけられました……守れなくて申し訳ございません」


 フィオナの姿に驚いている彼女の家族に経緯を説明し、頭を下げる。


「いや、パーティーに行くと言ったのはこの子だし、避けられなかったのだろう。君が気にすることはない」

「……」


 フィオナの家族は許してくれたが、俺は自分が許せない。

 一時でも離れるべきではなかったんだ。


「どいて!」


 エリックも到着し、フィオナの様子をその場で診る。


「熱があるね……身体が衰弱しているところに冷たいものを被ったからだ。すぐにベッドに寝かせて。服を着替えさせて身体を温めて。でも熱で苦しいだろうから、脇の下や鼠径部そけいぶを冷やして熱を下げてあげて」

「わかった!」

「承知しました」


 俺はすぐさまフィオナを彼女の部屋に連れていき、ベッドに寝かせる。一度部屋から追い出され、フィオナの侍女が彼女のために着替えなど必要なことを行った。

 エリックの処置も終わり、部屋に呼ばれ、フィオナのそばにある椅子に腰掛けた。


「熱が高かったから、解熱剤を投与したよ。症状は酷くないから、きっとすぐに熱は下がる」


 エリックの言葉に、俺はようやく深く息を吐いた。


「そうか……ありがとう」

「この部屋の隣にいるから、何かあったら呼んで」

「わかった」


 俺が頷くと、エリックは部屋を出て行った。


「フィオナ……」


 フィオナは顔を赤くして、苦しそうに息を吐いている。俺は汗でフィオナの額に張り付いた前髪を払った。


「守れなくてごめん」


 俺はフィオナの手を握った。熱い。

 フィオナの身体は本当に弱い。ワインをかけられただけで高熱が出るほどに。

 だからこそ、俺が守らなくてはいけなかったのに。


「もっと、もっとフィオナに気を配らないと……」


 俺は決意を新たにしながら、フィオナの回復を祈った。



          ◇◇◇



 一方。


「……」

「……」


 ジェレミーとカミラは二人で向き合いながらも、どちらも言葉を発せずにいた。

 パーティー会場から場所を移して、今は王城のジェレミーの部屋にいる。

 結婚前に二人きりでいる許可は出ていないため、ドア近くにアーロンが立っている。


「……」

「……」


 二人とも、どう話し出すか考えていた。

 長い沈黙の中、先に口を開いたのはカミラだった。


「申し訳ございません、殿下。ご迷惑をおかけしてしまいました」


 カミラが深々と頭を下げるので、ジェレミーは慌ててそれを止めた。


「いや……すべては俺の不徳の致すところだ」

「いいえ。わたくしは殿下の筆頭婚約者候補……それだけだというのに、要らぬ嫉妬心を持ってしまいました」


 カミラは初めてジェレミーに出会った日のことを考えていた。


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