第61話 カミラの誤解



「ア、アリスありがとう……でもボコボコはいいわ……」

「そうですか? 残念……」


 アリスがしょんぼりしながら腕を下ろした。

 アリス……可愛らしいヒロインなのに、考えが脳筋すぎる……。

 ニックと話が合いそう……。

 そう思ったときに、会場内がザワついた。私はザワつく方向を見ると、そこには私と噂になっている相手――ジェレミー殿下がいた。

 ジェレミー殿下がこの場に来るなんて!

 ゴシップにさらに情報を提供するようなものだ。ほとぼりが冷めるまで、お互い会わないようにするべきだと思っていたのに、こんなところで会ってしまうとは!

 ジェレミー殿下は私を見つけると、にこりと微笑んだ。

 ジェレミー殿下、笑ってる? あんな噂が流れてジェレミー殿下にとっても不名誉だろうに、怒っていないのかしら……。

 ジェレミー殿下は私たちの目の前に立つと、穏やかに話し出した。


「やあ、フィオナ嬢、ルイス。久しぶりだな」

「お久しぶりでございます」

「お久しぶりですね、殿下。事態の収束に時間をかけ過ぎなのでは?」


 いきなり喧嘩腰のルイスに私はギョッとする。


「ル、ルイス!」

「おかげでフィオナも俺も迷惑がかかっています。あなたのせいです、ジェレミー殿下」

「それについてはほんとうに申し訳ない」


 ジェレミー殿下が素直に謝罪をした。


「国王陛下を止められなかった俺の責任だ。陛下はこの話を一時取りやめてくれたが、勝手に記事にされてしまい、フィオナ嬢が俺の婚約者になろうとしていると、みんなが思ってしまった」


 まるで状況を説明するように……いや、説明しているのだろう。この場にいる人間は私たちの会話に聞き耳を立てている。きっと今の話で、婚約の話はすでに一度流れており、ジェレミー殿下も、私も乗り気でなかったことは伝わっただろう。


「どれも殿下があのことをちんたらしてるからです」

「面目ない」


 ……あのこと?

 なんだろう、ルイスとジェレミー殿下には通じる話があるようだ。


「いくらなんでも長すぎます。相手にも失礼でしょう」

「面目ない……」


 ジェレミー殿下が叱られている……。

 どうもジェレミー殿下に非がある話らしい。

 気になるけど私が突っ込んでいい話じゃないよね。


「まあ、婚約の話は何とかするから問題ない」


 ルイスからの責め立てから逃れたジェレミー殿下が、私を安心させるように言った。

 ジェレミー殿下も私と婚約する気がまったくないことがわかってほっとする。


「ところで君は……」


 ジェレミー殿下が私の近くにいるアリスに気付いて声をかけた。


「アリス・ウェルズと申します」

「ああ、確か最近ウェルズ男爵家に入ったという子か」


 ジェレミー殿下はアリスのことを知っていたらしい。


「王太子殿下ですよね! お目にかかれて光栄です!」


 アリスがニカッと太陽のように笑った。浄化されそう。

 ハッ! 待って! もしかして今二人の貴重な初対面シーン!?

 私は途端に胸がドキドキし始めた。

 ゲームだとルイスと同じく、ジェレミー殿下もアリスに一目惚れするはずだけど……。

 私はジェレミー殿下の反応を見た。

 にこにこしている。

 あれ? ゲームだと、アリスの可愛さに呆然としてしまってたはずなんだけど……。


「じゃあ、私そろそろ行きますね! フィオナ様、また!」

「え、うん……またね!」


 アリスもジェレミー殿下に対して特に反応なく、あっさりその場を去っていってしまった。ジェレミー殿下も引き止めない。

 あ、あれ?


「ジェレミー殿下、あの……」

「うん?」

「アリスのこと、可愛いと思いませんか?」

「うん。可愛いんじゃないかな?」


 ジェレミー殿下はなんてことないように答えた。

 ゲームだとアリスが可愛いか聞かれて、すごく照れていたのに……。


「で、殿下の好みのタイプでは……」

「いいや」


 あっさり否定されてしまった。

 そんな、ゲームの展開と違いすぎる。


「俺は可愛いよりどちらかと言うと……」


 そこまで言って、ジェレミー殿下は止めてしまった。なんだろう。気になるが、ジェレミー殿下はもう話す気がなさそうだった。


「あまり一緒にいてもよくないだろう。俺ももう行くよ。じゃあ、フィオナ嬢。迷惑かけて申し訳なかった」

「あ、いえ……」


 ジェレミー殿下が爽やかに去っていく。

 いや、言葉の続きを教えてください!

 私は小さくなるジェレミー殿下の後ろ姿を見送りながら、モヤモヤを隠せない。話してくれないなら中途半端に聞かせないでほしい。

 でも可愛い系がタイプではないのか。じゃあアリスは? あんなに可愛いのに。


「ねえ、ルイス。アリスって可愛いし美人よね?」


 ルイスに訊ねると、ルイスは複雑そうな顔をした。


「……フィオナはやけにあの男爵令嬢を気にするな」

「え? そ、そう?」


 もちろん気になる。だってこの世界のヒロインなんだから。


「もしかして警戒するべきはサディアスよりあの男爵令嬢なのか……?」


 ルイスが何かをブツブツ呟いているが私には聞こえなかった。


「何?」

「いや、なんでもない。たとえそうだとしても、俺が頑張ればいい話だった」


 何の話だろう。


「何か飲み物でも持ってくるから、少し待ってていてくれ」

「わかったわ」


 ルイスを見送り、ふう、と一息吐いていると、目の前に陰が落ちた。ふと顔を上げると、カミラが立っていた。

 その表情はいつもの取り澄ましたものではなかった。


「あ、あの……」

「ジェレミー殿下のことは違うと言っていましたわよね?」


 カミラが静かだが有無を言わさぬ声で言った。


「もちろんです! 私とジェレミー殿下は、一時一緒に仕事をしていただけの仲です! それ以上でもそれ以下でもありません! 先程ジェレミー殿下のお話した通りです!」


 カミラもこの場にいたのなら聞いていたはずだ。だから、ジェレミー殿下も婚約に乗り気でないことも伝わっているはず。それなのに、カミラの表情は晴れなかった。


「なら、どうして……」


 カミラの身体が小刻みに揺れる。


「どうしてあなたには笑うのです……?」

「え?」

「あの方は、わたくしの前では笑ってくださらない……」


 カミラの声は静かだが、それでもよく聞き取れた。

 笑わない? 誰が? ジェレミー殿下が?


 そんなはずない。だって彼はとても穏やかな性格だ。きっと私以外にも笑いかけているはず。カミラにだって、ゲームでは笑いかけていた……そう、そのはずだ。そのはずなのに。

 カミラの表情から、彼女の言葉が本当なのだと知る。


 どうして? ゲームではカミラと距離はあっても、嫌いあっているという描写はなかった。ジェレミー殿下も、アリスと出会うまでは、カミラを尊重していたはず。


「あなたの前ではあんな風に笑うのですね」


 カミラは悔しそうに唇を噛んだ。


「いえ、私の前だけではなく……」

「嘘つき」


 私が否定しようとするも、その声は遮られてしまった。


「わたくし、あなたのこと、信じようとしましたのに……」

「誤解です!」


 私は本当のことしかカミラには言っていない。今カミラが考えていることは、完全にカミラの勘違いだ。

 そう伝えたいのに、口を開く前に、バシャッと何かを頭からかけられた。


 かけられたものの冷たさに、身体の芯から冷えていく。

 ドレスを見ると、紫色にシミができていた。

 これは……ワイン?


「ジェレミー殿下に近付かないでくださいませ!」


 カミラは普段の冷静さを失い、大きな声で私に言った。

 待って、本当に誤解なの。今騒ぎを大きくすると、またみんなの勘違いが加速してしまう。

 だからなんとかカミラに伝えたいのに、声が出ない。

 あれ、身体が寒いのに熱くなってる……。

 視界もちょっとぼやけて……。


 そうだ。ここしばらく、ストレスからパン粥などの胃に優しいものばかり食べていたから……。

 やっぱりきちんと食べないとダメね……。


 そう思いながら崩れる身体の視界に入ったのは、慌てているルイスの顔だった。

 ルイスなら大丈夫。きっと事態を終息させてくれるはず。

 そう思って私は目を閉じた。


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