第41話 サディアスとフィオナ


「その猫、ちょっと様子が変じゃない?」

「え?」


 私に言われてサディアスが子猫を見ると、子猫は苦しそうにえずいていた。何かを吐き出したくて堪らないようにクァッ! クァッ! と声を出している。


「な、なんでしょう……こんなの初めてだ」


 子猫の様子にサディアスが動揺するのがわかった。私も子猫を飼ったことがないから、この症状がなんなのか知らない。ただ、苦しそうなことはわかった。


「動物病院……この世界にあるのかしら……ええっと、そうだ!」


 私は苦しそうにしていた子猫を担ぎ上げて走った。


「フィオナ嬢!?」

「いいから付いてきて!」


 驚いて私に声をかけたサディアスに、私は言った。

 私の剣幕に驚いたのか、サディアスはそれから余計なことは言わずに私のあとを付いてきた。

 普段走ることなどないから、足が震えるし、息切れもすごい。苦しいし、頭痛もする。でもとにかく急がないと!

 懸命に足を動かして、ようやく目的地に着いた。


「エリック! 急患よ!」


 慌ててエリックのいた教室に駆け込んだら、エリックと一緒にいた国王陛下から手伝うように言われた王宮の人間は驚いていたけれど、エリックはすぐに真顔になって「こっちに」と子猫を広いスペースに移動させた。


「急に苦しそうになっちゃったの。なんとかなる?」

「猫は専門外だけど……わかった、見てみる」


 エリックがチラリとこちらを見た。


「集中したいから出ていってくれる?」

「わかった」


 私たちはエリックに従って部屋の外に出た。

 エリックは天才だもの。きっと大丈夫。

 そう自分に言い聞かせるが、不安はなくならない。

 横にいるサディアスを見ると、サディアスは顔を青くして立っていた。

 そうだ。サディアスは生き物を大切にするし、何よりあの子猫はサディアスが可愛がっていた猫だ。心配でたまらないだろう。

 大丈夫だよ、と言うべきだろうか。でも無神経にそんなこと言えない。私は医者ではないのだから。

 どれだけ時間が経ったか。じっとただ部屋の前で立っていると、急に扉が開いた。


「終わったよ」


 中からエリックが出てきた。

 私とサディアスは慌てて部屋の中に入った。


「にゃー」


 そこには座ってこちらを見ている白猫がいた。

 見た感じ、元気そうだ。


「よかった……」


 私はほっと肩をなで下ろした。

 子猫はゴロゴロ鳴いてサディアスの足元にスリスリと擦り寄った。


「毛玉だった」


 ………。


「「けだま?」」


 サディアスと被ってしまった。

 エリックは詳しく説明してくれた。


「猫は自分で毛づくろいする。そのとき自分の毛を飲み込んでしまうんだ。だけどその毛は消化されずにお腹に残る。だから定期的に毛玉となった毛の塊を口から吐き出すんだ」


 これ、とエリックはさっき白猫がいた場所の近くに落ちている毛玉を見せてくれた。


「吐き出すときにえずくから、ちょっと苦しそうになることもある。今回はたまたまそのときに二人が居合わせたんだろう。一応一通り異変がないか確認したが、特に問題はなさそうだったよ」


 私とサディアスは顔を見合わせた。


「ということは…」

「なんともないのに騒いだということですか?」

「そうなるね」

「「……」」


 私は申し訳なさでいっぱいになった。


「ごめんなさい。私が早とちりして……」

「いや、私も焦ってしまって……」


 お互い謝ろうとすると、エリックが不思議そうにこちらを見た。


「いや、何も悪くないけど?」

「え? でも何もなかったのに騒いでしまったのよ?」

「それの何が悪いの?」


 エリックは子猫を持ち上げると、サディアスに手渡した。


「何もなかったは結果論。もしかしたら病気や怪我だったかもしれないし、猫だって低血糖や脱水になることもあるからね。いつもと違うと気づくのは大事で、もしそうだったら遠慮なく専門の人間に見せるのが大事だよ」


 サディアスが抱っこしている子猫を撫でながらエリックは言った。


「気になるけどこれぐらい大丈夫だろうと放置するのは一番いけない。万一がないように、医者にかかることを渋らないように。父さんがそう言ってた」


 エリックは父親から医学を学んだと言っていた。エリックの父親は、息子に医者としての心得もしっかり伝えていたようだ。

 そうだ。今回はなんともなかったが、もしそれで慢心して、異変に気づかないフリをして取り返しのつかないことになったら……。


「そうね。そうよね。何も無かったらそれでよかった。それでいいのよね」

「そう。ただそれだけだよ」


 これからも何かあったらすぐにエリックを呼ぼう。エリックはそれを嫌がらない。


「この子猫……」


 私はサディアスに向けて言った。


「この子猫、私が飼ってもいいかしら? うちは猫がダメな人間もいないから、よければ……」

「いいんですか?」


 サディアスが意外だという表情をした。


「もちろん。大事に育てるわ」


 私がにこりと笑って言うと、サディアスの耳が赤く染まった。


「動物に優しい人間に嫌なやつはいないんです」


 サディアスが抱いていた子猫を私に差し出した。私は子猫を恐る恐る受け取った。

 フワフワの毛が首をくすぐる。温かな温もりに柔らかい触感。確かな重さに笑みが浮かんだ。


「この子、名前は?」

「ホワイトマスク一号」

「ごめんなさい、なんて?」


 聞こえていたけど念の為確認した。


「ホワイトマスク一号」

「…………」


 確認したら女の子だったので、ルビーと名付けた。


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