第40話 サディアスと猫



 今日は学校でジェレミー殿下に教材のチェックをしてもらっている。


「わかりやすくていいと思う」


 何度目かのやり直しで、ようやくジェレミー殿下から教材のお墨付きが出た。私は心の中でガッツポーズをした。

 やった! やっと!

 ついつい私が現代日本の人が知っていることを省略してしまったりして、あれこれやり直したけど、ついにその日々も終わる。


「これなら子供にもわかりやすく、栄養を気にしようという気になるよ」

「本当ですか!? よかった」


 子供が読んでもわかりやすいように、イラストを入れてみたり、わかりにくそうな部分はさらに細かく説明してみたりしてよかった。


「料理のやり方が載ってるのもいい。実際作ろうという気になる」

「実際作れないと意味ないですからね」


 現代日本の家庭科を目指して教材を作った。だから栄養についてだけでなく、料理の仕方や実習も内容に含まれている。子供たちが楽しんで学んでくれるといいな。


「あ、あと、思ったんですけど……」

「なんだ?」

「大人用の学校も作りませんか?」


 ジェレミー殿下が目を瞬いた。


「それは……考えてなかったな。でも、大人が学校に通うとなると、仕事があると難しいだろう?」

「夜間学校はどうでしょうか?」


 私は現代日本の夜間学校を思い出していた。私は実際通ったことはないが、友人は日中働いて、夜に学校に通っていた。


「夜なら働いている方も通えるでしょう。この国は夜遅くまで働いている職は少ないですから。子供だけでなく、大人の識字率も上げられていいと思うんです」

「名案だ!」


 ジェレミー殿下は興奮していた。


「早速陛下に進言してみるよ! ありがとう、フィオナ嬢」

「あ、待ってください!」


 去っていこうとするジェレミー殿下を、私は慌てて引き止めた。そしてカバンからカミラから預かったハンカチを取り出した。


「これは?」

「カミラ様から預かりました。ここ最近、ジェレミー殿下が忙しいから、お守り代わりにと」


 ジェレミー殿下はそれを受け取ると、じっと眺めた。

 そして懐に仕舞う。


「ありがとう。カミラにはまたこちらからお礼を言っておく」

「はい」


 ジェレミー殿下は今度こそ部屋を出ていった。


「喜んでるのか嫌がってるのかわからなかったわね……」

「ああ、あれは……」


 仕事中はなるべく余計な口を挟まないように口を酸っぱく言って、それを守ってくれているルイスが、何か言いかけた。


「あれは、何?」

「いや……それより今日は商談があって、これから俺は帰らなきゃいけないけど」

「ああ。大丈夫よ。むしろいつもついてこなくていいんだけど」

「いや、これからもついて行く」

「そ、そう……」


 いいんだけどな……本当にいなくても……。

 ルイスは私がこの事業に携わるようになってから、外に出なきゃいけないときは、こうして必ずついてくるようになった。自分が一緒にいれないときは、必ずエリックを私につけた。ちなみにアンネは悔しがっていたけど無関係な人間を連れてくるわけにもいかないからお留守番である。


「今回もエリックのそばにいるように」

「わかったわ」


 私がしっかり頷くのを見てから、ルイスは部屋を出ていった。

 私も部屋を出て隣の部屋に入った。そこにはエリックがいた。


「救護室にはちゃんとした医者を配置しないと」

「教師も医学知識がないと厳しいでしょうか?」

「いや、僕が教えるのは、身体の仕組みだったり、風邪をひくメカニズムだったり、基礎的な人体の仕組みがメインだから、教材にプラス少し知識がある人ぐらいでも――」


 めちゃくちゃ議論してる。

 エリックは学校事業にノリノリで、率先して動いていた。私が「学校で怪我をしたときのための処置できる部屋が必要では?」と言ったらエリックがサクサクと救護室の設計をしてくれた。エリック、行動が早い。天才というのは頭の回転が早いから決断も常人より早いのだろう。


「エリック、ルイスが帰ったんだけど……」


 話し中に申し訳ないな、と声をかけると、エリックと、彼と話していた王宮の人は話を止めてこちらを見た。


「小公爵が帰った? でも僕もまだかかりそうだけど……話聞いておく?」

「いや……頭痛そうになるからいいや……」

「今日はあとは学校の修繕の気になる箇所確認するだけだったよね? 先に見ててもらえる?」

「わかった」


 この部屋でじっと討論を聞いているより余程いい。私は部屋を出て、学校を見て回ることにした。

 教材についての最後の打ち合わせが終わり、いよいよ学校も始まるか、とワクワクしながら学校を見て回っていたそのとき。


「にゃあーん」


 子猫の声が聞こえた。

 視線を下に向けると、子猫がいた。

 円な瞳の白い毛がフサフサのその子は、甘えるように私に擦り寄ってきた。


「か、かわいいぃぃぃ!」


 私は子猫が大好きである。

 甘えたように鳴いている子猫の頭を撫でる。

 フワフワしていて最高だ。

 ほわほわした気持ちになりながら撫で続けていると、私の上に影ができていることに気付いた。

 しゃがんだ姿勢のまま、恐る恐る上を見上げると、そこにはサディアスが立っていた。


「わああああああ!」


 驚いて子猫を抱っこして後ずさると、サディアスが眉間に皺を寄せた。


「なんですか。人を化け物のように」

「い、いや、いきなりいたから……」


 誰だって驚くと思う。

 できる限り会わないように。そう思っていても、一緒に事業をしている以上、出会うことはある。今がそうだ。

 なるべく避けてたんだけどな……。

 ちょっと気まずい気持ちになりながらも、なぜかこの場から去っていかないサディアスに訊ねた。


「えっと……他に何か御用ですか?」

「いえ、別に」

「……」

「……」


 用がないのにどうしてどこかにいかないの……?

 私が子猫を持ちながら首を傾げると、子猫は私から降りようともがいた。

 私が慌てて手を離すと、子猫はサディアスのほうに行き、スリスリと擦り寄った。


「懐かれているのね」

「別に」


 別に、というが、先程の私より、子猫がゴロゴロと喉を鳴らしている。


「猫が好きなの?」

「猫だけではなく生き物全般が――」


 そこまで言ってサディアスがハッとして口を閉じた。余計なことを言ったと思っているんだろう。

 そうだ。サディアスは人間不信ぎみだから、その代わり、動物が好きになった。彼らは人間のように複雑な感情を持たず、好き嫌いがハッキリしているから。


「この猫、ここに住んでるの?」

「ええ。ですが、そろそろ移動させないといけないですね。猫が苦手な子もいるだろうでしょうから」


 サディアスの発言に私は目を瞬いた。


「どうかしましたか?」

「い、いえ」


 そうだ。サディアスは、何も意地悪な人間ではないのだ。私がズルをしたと思っているから、私にだけ当たりが強いだけ。

 こうしてこの子猫に好かれるほどこの学校に何度も足を運び、国王陛下やジェレミー殿下の期待に応えようと、努力もしている。きっと私の何倍もこの事業のために手を尽くしている。

 彼は努力家で、常に一生懸命なのだ。

 ――誤解を解かないとね。


「あなたの家に連れていくの?」

「いいえ。母が、猫に近づくとくしゃみと目のかゆみが出てしまう体質なので」


 子猫アレルギーか。それなら飼うのは難しいだろう。


「どこかに引き取り手がないか探しているところです」

「そうなの」


 それならうちが――あれ?


「その猫、ちょっと様子が変じゃない?」


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