第6話 悪役令嬢の婚約者
「し、死ぬぅ……」
木枯らしが揺れる素晴らしい快晴の中、屋敷の騎士が利用する演舞場で、運動着を着た私はヘロヘロになっていた。
始めはきちんと走っていたのだ。そう、始めの1分ぐらいは。
「病弱さを見誤っていたわ……」
とても走れるどころの体力ではなかった。歩くのがやっとである。
「思えば、自分の部屋と食堂を行き来する程度しかまともに身体を動かしていなかったしね」
もともと病弱。そして3日間寝込んでいた身体。
家族も心配して、私が「身体を動かしたい」と言ったら「しばらく安静!」と言って運動させてくれなかったのだ。
そしてそのまま家族に過保護にされて1週間。
さすがにそろそろ動かねば! とこうして運動着を着て走ってみたのだが……
「死にそう……いや、死なないためにやってるんだけど……」
辛くてやめたくなるが、そうもいかない。これも健康になるためだ。
身体は食べ物だけで健康にならない。人間は身体を動かすこともとても重要なのだ。
筋肉が付くだけでなく、血栓予防などにもなる。
「ダメだけど……ダメだ……休憩しよう……」
もう足が動かない。
私は木陰で休むことにした。
「アンネ」
「お呼びですかお嬢様」
「はやっ!」
大きな木のそばに座り込んでアンネを呼ぶと、アンネはすぐそばに現れた。走って――というかほぼ歩いて――いたときはちょっと離れたところにいたはずなのに、いつの間にそばまで来ていたのだろう。
「あれを出して」
「かしこまりました」
アンネがスッと差し出したもの、それは――飲み物の入ったコップである。
コップを受け取ると、中身がよく冷やされているのがコップを持つ手から伝わった。
私はそれを口に当て、ごくごくと喉に通す。
ほのかに甘いけれどくどくない口当たり。レモンの爽やかな風味でへばっていた身体がすっきりする。汗を出して干からびた身体に染みる水分。
そう、自作スポーツドリンクである。
作り方は実に簡単。
スポーツドリンク1Lに必要な材料は、水1L、食塩小さじ1/4、レモン汁大さじ3、はちみつ大さじ4。
まず初めに水以外の材料をボウルに入れて混ぜ合わせ、あとは水も加えて混ぜるだけ。これだけで自作スポーツドリンクの出来上がり!
これで汗をかいて失われたミネラルや水分などの補給が効率的にできる。はちみつがなければ砂糖大さじ6で代用することも可能だ。つまり家にあるもので作れるのだ。
簡単に作れるので、作り方を覚えておくと何かと便利ではあるが、日常的に飲むには糖質が多すぎるので、運動をしたあとや脱水気味なときに限定して飲むのが身体のためにはいい。お茶代わりなどにしたら逆に身体に悪いので気を付けてほしい。
ちなみにレモン汁はなくても作れるが、あるほうが味がいいのと、何よりクエン酸やカリウムも摂取できるので入れるのをおすすめする。
本当ははちみつレモンもいきたいところだが、私は胃が弱いため、酸性成分のある柑橘系を今は控えているので、スポーツドリンクだけで我慢である。スポーツドリンクにもレモン汁が使われているが、このぐらい少量なら胃に問題はない。
「せめて胃腸だけでも早く元気になって、はちみつレモンを食べたい……」
運動のあとに食べるとおいしいんだよなぁ。ああ、はちみつのよく染みたレモンかじりたい……
「お嬢様、おくつろぎのところ失礼いたします」
「わあ!」
私にコップを渡して去っていったと思ったアンネがサッと戻ってきた。
アンネ、その素早さ、侍女にしておくにはもったいないわね……ジャパニーズニンジャにも劣らない素早さよ……
「お嬢様にお客様です」
「お客様……?」
誰だろうか。自慢ではないが私は嫌われ者なので人が滅多に訪ねてこない。
「私としてはお嬢様に会わせたくないナンバーワンな人物なのですが、お嬢様との関係性を考えると追い返すこともできず……口惜しい。闇に屠るべきか?」
「アンネ、アンネ、暗殺計画は実行しないでね」
誰だかわからないが殺されようとしている。私の大事な侍女に罪を犯させるわけにはいかない。私の言葉にアンネは正気に戻ったのか、口調を元に戻した。
「失礼しました。あの憎らしくて消し炭にしたい婚約者様がいらっしゃいました」
とにかくアンネが彼を毛嫌いしていることはわかった。
「婚約者……」
私の婚約者といえば、ゲームでの攻略対象。
そう、私が記憶を取り戻す前にケンカをしていた相手。
「いつまで待たせるつもりだ?」
不機嫌そうにそう言って現れたのは、見目麗しい青年だった。
陽の光を浴びて反射する美しい銀髪を風になびかせ、海のように澄んだ青い瞳でこちらを睨みつけてくる。今は眉間にシワを寄せているが、柔らかい笑みでも向けられたら、万人が惚れてしまいそうな美しさだ。
ルイス・ハントン。
このゲームの攻略対象で、私が悪役令嬢として断罪されるきっかけとなる人物である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます