ゴンギツネの記事は私も見ました
そんで感じたのは思慮深さが失われつつあるように思ったっす
映画を倍速や、なんかやりながら観る人が増えてるのが楽や効率を求めた結果だとすると
桶屋の話のごとく過程をすっ飛ばして結果だけ求めるのと似てそうですね
そうなると深く考えることをしなくなるんやないかなーと
それにしても自分の落ち度をコケバシセンセのせいにするとは愚かな
彼が思慮深く考えていれば後が怖いってわかるはずなのにw
作者からの返信
Edy先輩!コメントありがとうございます!
文字で書くと非常に難しい問題だなぁ、と今回改めて思いました。
「効率的」でもあるし、肥大した「妄想力」の弊害だとも思います。その割に、前後の流れをぶった切り斬鉄剣で、目の前にある一点だけを注視してこたえを出す、そこが「非論理的」であるようにも思うのです。
今は、ネットで誰でもダイレクトに「答え」や「真実」を見つけ出せる時代です。
我々モノカキは、そこに至るまでの仮定を楽しむ傾向にあると思うのですけれど、そうじゃない勢もいる、ということですね。
そうであると仮定するなら、なろう系に見られる「とりあえず俺は転生したらしい」的な、結果を優先する文章構成がある程度の人気を得ている理由も分かる(理解はできないけれど)気がするのです。
ある意味、ゼロ1の、デジタル世代なのかもしれませんね。
後輩クンの件は、まあいい勉強になったかな、とw
損失は大きかったですけれどorz
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コミュニケーションがうまくいかないときって、どちらかが悪いとかどちらに原因があるのではなく、双方が悪くて双方に原因があるんですよね……。
仮に想像力がある人とそうでない人とのやりとりで齟齬が起こった場合、前者が「あいつは想像力が足りない」と一蹴して結論付けてしまいがちですが、本当に想像力があるなら今のコミュニケーションのやり方では齟齬が生じることも想像できるハズなので、結局いうほど想像力ないやん……と思ったり。
このあたりは生徒と接するときにもけっこう意識しますが、なかなか難しいですね。
作者からの返信
JEDI_tkms1984先輩!コメントありがとうございます!
ソーナンス。
結局のところ、どちらか一方に非がある、なんてことはありませんで、大なり小なりありつつも、お互いになにか足りないところがあるものなのです。はい。
喩え話をしたつもりでも、その喩え自体が世代差によってそもそもピンとこない、だったり、ジャンルがまるで興味のないものだったり。そうすると喩えのつもりでも喩えじゃないんですよね。
テレビを観ず、ネットが当たり前にある世代と、そうでない世代では、特段とその「共通項」が少なくなってきます。
どれだけ相手を思いやれるか、だったりするんでしょうけれど…。
これも言うのはやすし、相方きよしってくらいで(←これが通じない)
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