第四十八回 想像力と空想力と妄想力と
はじめての方はよろしくお願いします。
お馴染みの方はようこそ懲りずにお越しいただきました、虚仮橋陣屋(こけばしじんや)でございます。
さて第四十八回ですが、ふとしたきっかけでとあるYoutuberさんの動画を拝見して、新たな気づきとともに、「えー! ホントなのかなー?」と思ったことがあるのでそれをテーマにしたいと思います。
では、早速お送りしますね。
■子曰く
そのYoutuberさんですが、仮にAさんとします。
正直言いましてこけばし、その方、あまり好きではありません。なので、多少のバイアスがかかっていることをあらかじめご了承下さい。とは言っても、悪口を書くつもりはないです。
Aさんが仰るには、
「今の子どもたちには、想像力が欠けている」
ということです。
この一文だけに関して言うと、こけばしも異論はありません。実際に、IT屋の現場で体験・体感してきたことだからです。なにもクリエイティブな事柄についてではなく、一般的なことで、です。
■こけ曰く
たとえばです。
こけ「後輩クン、△社のプレゼン資料、準備お願いしていたと思うんだけど、進捗はどう?」
後輩「進んでますけど?」
こけ「うん。ありがと。でも、提案にうまく持っていくためにはデータ必要だよね? いる?」
後輩「……提案資料がきちんとできていればいいんですよね?」
こけ「もちろんもちろん。で、でもさ? データがないと根拠が薄くならない?」
後輩「……は? 提案できて、受注できればいいんですよね?」
こけ「う、うん……だけどね? A社がGOサイン出すには、データも必要にならないかな?」
後輩「意味分かんないんですけど。何が言いたいんですか?」
こけ「……」
こういう感じのやりとりです。
単純にこけばしがコミュニケーション下手な部分も大きかったと思うんですが、結局そのA社向けの提案資料は「納得のいくデータがないと判断できない」と言われてしまいました。ちなみに後輩クンからは「きちんと提案資料作ったのに、受注できなかったのはこけばしさんのプレゼン力が足りないからです」と言われてしまいましたとさ。まる。うーん……。
社内コミュニケーションにおいて、彼だけに限らずどうしても伝わらなかったのは、ことわざで言う「風が吹けば
まるで意味不明かもしれませんが。
まあ、待て。
■アイツの噂でチャンバも走る……は違うか
「風が吹けば桶屋が儲かる」――。
このことわざは、今風に言えば「バタフライエフェクト」のようなものを指します。
・時は江戸時代。乾燥した季節に風が吹く
・風が吹くと砂ぼこりが目に入る
・砂ぼこりが目に入って眼病になって視力を失う
・視覚障害になったので三味線引きになる(当時の視覚障碍者の代表的な職業)
・三味線が売れすぎて皮の材料が足りなくなり猫が捕獲される
・猫がいなくなったので鼠が大量発生する
・大量発生した鼠が木桶をかじる
・木桶不足になって売れまくり桶屋が儲かる
ざっとこんな感じの流れのストーリーで、物事の「因果関係」を表すことわざとされています。
当時は医療が充実してなかった時代ですし、視覚障害者の職業にも限りがありました(他には
いろいろ今の常識とは異なる点があるものの、「一見するとまるで関係ないような起点と結末だとしても、そこにはそれなりの因果関係が存在するのだ」という内容だと皆さんも理解できると思います。
(脚注:「バタフライエフェクト」(または「バタフライ効果」)とは、気象学者エドワード・ローレンツが一九七二年のアメリカ科学振興協会で行った講演のタイトル「予測可能性:ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?」に由来しています。なお、大好きな同名映画がありまして、主人公の最後にとった決断がガチィで号泣モノでした……)
ですが、どうしても一定以上年齢・世代の離れた子たちには、これ、通じませんでした。
さて、その理由と原因とは、一体なんだったのでしょうか?
■想像力は、非効率的?
彼らのこたえは決まって、
「風が吹けば桶屋が儲かるんですよね? その途中の面倒臭いのは良く分からないのでいらない(説明不要)です」
というようなものでした。
つまり「風が吹いた」という起点と「桶屋が儲かった」という結末が分かれば、途中の仮定は余分な情報だということなのです。なぜなら「効率的でない」から。であれば、前々項に登場した後輩クンの論理は正しいことになります。しかし、正しいのにも関わらず、期待する結果を得られなかった。だから、こけばしの責任、という理屈になるんですね。
また、冒頭のYoutuber・Aさんは、石井光太さんの著書「ルポ誰が国語力を殺すのか」から、『「ごんぎつね」の読めない小学生たち』のくだりを引用して紹介していました。ご存知でない方にカンタンに。
「著者・石井さんは、東京都内の小学四年生の授業を見て、衝撃を受けたという。
物語の主人公・兵十の、母の葬儀の準備で『大きな鍋で何かがぐずぐず煮えていた』というくだり登場する。これは、葬儀の参列者に食べ物をふるまう準備している描写だ。
ところが、教師が『鍋で何を煮ているのか』と尋ねたところ、『死んだ母を鍋に入れて消毒している』、『昔は墓がなかったので、死んだ人を燃やす代わりにお湯で煮て骨にしている』と複数名の子が真面目に答えたのだ」
人間は、自身が経験していないことについては、読解力と想像力で補って考えるものです。この新美南吉の『ごんぎつね』の舞台は、幕末から明治初期だと言われていますので、当然、現代の常識や感覚とは少し異なる部分があるのはたしかでしょう。なので、想像力の出番だ!
で……ああなっちゃったと。
ただ、この問題を取り上げたY!ニュースやAさんは、「読解力・想像力の欠如」と結論づけていましたけれど、こけばしはちょっと違うんじゃないかな、と思っています。
と言いますのも、現代の子どもたちは、自分自身で実体験しなくてもインターネットという高度で多様な情報源からそれを得ている、という背景があるからです。いわば、「仮想体験」を我々よりもっと幼い頃からしているんですね。だからこそ、それを「仮の経験」としたうえで先に挙げたようなこたえを導き出したのではないでしょうか。
だって、そう考えでもしないと「煮て消毒する」や「煮て骨にしている」という発想が予備知識なしにナチュラルに湧いてくる子どもって、心配になりません? サイコパスやん……。
まあ、読解力と想像力は乏しいけれど、「妄想力だけが突出している」という考え方もできるような気がしています。これに、前々項に書いたような「起点と結末だけを理解する」というロジックが作用したら、これまでの物語の流れを無視して「仮の経験」と「目の前の事象」から自由に「妄想」してしまう、ということが起きるんだと思うのです。
だからと言って「インターネットが悪い!」というつもりはありません。
しかし人間は、より刺激的なものに、より興奮するものに興味を惹かれやすいものです。インターネットはそれらを無差別に提供し、誰でも容易に入手できるようにしてしまいました。だから、オトナでも知らないことを、子どもたちは当たり前に知っていたりします。特にまだ幼い頃は、情報の善し悪し、取捨選択ができませんから、好奇心に突き動かされるまま、どん欲にそれを吸収してしまいます。
「SNS炎上」や「ネットにはびこる陰謀論」にも同じようなことが言えると思っています。
目の前に提示された情報だけを見て、それを真だと判断してしまう。
その経緯や、話の前後などには目くれない。
だって、くわしく調べたり、スレッドの流れを
この流れ、こけばしはちょっぴり心配なのでした。
さて、皆さんはどう思われましたか?
そろそろお終いの時間です。
次回もまた、どうぞよろしくお願いいたします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます