第三十八回 おまえは今まで食ったパンの枚数をおぼえているのか?

 はじめての方はよろしくお願いします。

 お馴染みの方はようこそ懲りずにお越しいただきました、虚仮橋陣屋(こけばしじんや)でございます。


 さて第三十八回ですが。


 こけばし、『スネークマンショー』って大好きなのです!(唐突)


 ん?


「レッドスネーク、カモン!」ってヤツっしょ? って、それは「ゼンジー北京ぺきん」師匠……と思い込んでいる人が多いのだけれど、実は「東京コミックショウ」の「ショパン猪狩いがり」師匠なのよ! 間違えないでね!(なお「中の人」は奥様→ご子女の模様)



 ……はいっ!



 駄々滑りの状態のまま、チャレンジ系実写Youtuberのような元気で快活な返事をしつつ、今回のざわざわするテーマ「読書数」について、早速お送りします。




■いまどきの人はきっと「若い山彦やまびこ」って知らないぜ


 謎の小見出し。


 これ、前述の『スネークマンショー』のコントのひとつなのですが、それより先に、恐らく『スネークマンショー』をご存知でない方向けの解説をせねばなるまい(な、なるまい?)。



『スネークマンショー』とは――。



 坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏で構成された伝説級のテクノユニット、それがご存知の方もきっといらっしゃる「YMO」こと「イエロー・マジック・オーケストラ」であります。


 その最先端音楽集団のYMOのメンバーをものちに巻き込むという暴挙に出ることになる、桑原茂一と小林克也の二氏によるプロジェクト、それが「スネークマンショー」なのです。



 元々はアパレルメーカーからの依頼で、限定された場のみでDJを行うという、いわばイベント向けプロジェクトだったのですけれど、その方向性、目指すものはかの有名な「ウルフマン・ジャック・ショー」のようなものだったそうです。元々は。


(脚注:「ウルフマン・ジャック」とは一九六〇年代から一九八〇年代半ばまで活躍した伝説のラジオDJ。当初その放送は、事実上の「海賊放送」として行われ、犬の遠吠えの声真似からはじまるそのユニークなスタイルが人気を博しました。さまざまな映画、小説などにも影響を与え、パロディ的な引用もしばしばされます。こけばしも某MMORPGのレイド戦では「レディオ・ウルフ」を名乗って戦闘そっちのけで実況をしたりしています(働けよ))


 やがて「スネークマンショー」は活動の場をラジオに移すのですけれど、その際、本家同様に音楽に加えてコントを作るようになります。ここで途中参加したのが「会いたかったよ、ヤマトの諸君――」(デスラー総統)として有名な伊武雅刀。時のパンク・ムーブメントに乗り、ラジカルで毒気をたっぷり含んだ名作コントがいくつも生まれました。



 と、枕がやや長くなりましたけれど(予定調和)、この「スネークマンショー」の名作コントのひとつが、見出しに挙げた「若い山彦」です。


 ざっくり内容を綴りますと、



「若い音楽評論家数人がラジオ局に集まり、八〇年代のロックシーンを語る企画に参加したものの、同じ内容の主張をしつつどこまでも意見が合わない内容。番組名はNHK―FMの若者向け音楽番組『若いこだま』のパロディ。」(以上、Wikipediaより抜粋)



 という感じです。


 ここで登場する英語の分かる音楽評論家Aは、毎日八時間ロックを聴いていると言い、その上で「良いものもある、悪いものもあるんだよね」と持論を展開します。その主張を聞いた銀色のロンドンブーツを履いた渋い声の音楽評論家Bは、所持している五万枚のLP(「ロングプレイ」レコードの略。今でいう「アルバム」ですね)を聴きまくった上で「時間の問題じゃないんだよなー。その上で言わせてもらうと、良いものもある。だけど悪いものもある」と対抗します。やがて互いのやりとりは、やれ俺はロンドンブーツを十足持っているとか、やれ俺は外タレ(来日した外国人タレントの略。今はあまり聞かない言い回しですよねw)の面倒ぜんぶ見てやっているんだとか、やれラジオ番組を一〇本持っているとか、自慢とエゴのぶつかり合いになっていき、険悪なムードが流れ、無理解な相手に露骨に舌打ちまでします。最終的にはふたり揃って「良いものもある! 悪いものもある!」と叫んでコントは終わります。



 近代稀に見る「説明下手くそ侍」なこけばしなので、どの程度面白みが伝わったかは分かりませんが。


 結局、この音楽評論家AとBの主張は、一貫してまったく同じなのです。



 けれど、同意したくない。自分の方がワンランク上だと誇示したいあまりに、相手の主張なんてこれぽっちも聞いちゃいない。で、「君とは違うんだって」とマウントを取り、同じ主張を繰り返す。これ、当時の音楽評論界においてはタブー視されるような痛烈な風刺だったワケですね。これを業界内の人間がやってのける、というところが猛烈に面白かったワケなのです。



■同じような主張……だけど一緒にされたくないデス!


 どこの業界でも同じような話題に行きつくもので。

 ときおりX(Twitter)を賑わすのが、この「読書数」に関する紛争です。


 具体的にはどうこう言いませんけれど、こけばし個人の考えとしましては、「読書数が多いのは良いことなんだろうけど、歴史や雑学や言葉など、広範囲のものをまんべんなくインプットされた方がよろしいのでは?」と思っています。



「売れたきゃ、受賞作品をぜんぶ読むくらいしたらどうですか?」

「ラノベ読書数が千冊にも満たない作者の作品なんて読む価値無し」



 そんな意見もあるようですけど、なんか違うんじゃない? っていつも思っています。


 純文学にしろラノベにしろ、研究論文にしろなんにしろ、書籍と名の付くモノをすべて読んだと豪語しても、それだけしかないなら、むしろそれ以上なにも知らない人に過ぎません。


 もちろん、前回にも書きましたとおり「良き読み手は、良き書き手の才能を持っている」と思っていますので、いろんなモノから学ぶ姿勢はステキだと思いますけれど、世の中は「読書」だけがすべてではありませんよね。


 で、結局のところ、それだけ読んだ上で「良いものもある、悪いものもある」が結論なのであれば、たとえ読書数が数冊でも同じことが言えちゃいます。「若い山彦」と同じです。


 つまりは、ただのマウントの取り合いなのかなぁ、とそっ閉じするのでした……。



■文字数で判断する人も同じだよね


「○○文字以上の文章でなければ読む価値なし」

「○○文字以上読まなければ、この物語の真価は分からない」

「○○文字以上書けばランクインなんて誰だってできます」



 この類の発言も、まあまあ同等かな、と。


 正直長編が何文字からだなんて、出版社ごとに判断は違うでしょうし、そんな終盤まで読まないと理解できない文章が読者の心をそこまで惹きつけておけるのか、と問われたらこたえるのは難しいでしょう。とかく文字数やら話数を誇る人は、いい加減広げに広げた大風呂敷を閉じたられたらどうですか? と言いたい。「終わらないことが人気のヒケツ」と誤解されている方は少しご自身を振り返ってみてください。ホントに回収できるの? ぜんぶ? と。


 ぎゃあぎゃあ言うつもりはないのですけれど、正直この手のやりとり、恥ずかしくって見ていられません……。



 それでも、という方は是非、受賞作家様一〇〇○人を対象に、今までの「読書数」のアンケートを取ってみたらいかがでしょうか? きっと面白い結果になると思います。


 誰も見栄を張らない、正直な回答をもらえることが前提ですけれど。




 おっと、そろそろお終いの時間ですね。


 というワケで。

 次回はなるべく不燃性のテーマを採用したく思います。


 どうぞ、よろしくお願いいたします。



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