第二十回 キャラが勝手に動き出す派 VS 言霊が降りてくる派 VS 傀儡使い派

 はじめての方はよろしくお願いします。

 お馴染みの方はようこそ懲りずにお越しいただきました、虚仮橋陣屋(こけばしじんや)でございます。


 さて第二十回ですが。

 もうあきらめて、タイトルを変えました。


 今回は、物語を綴るにあたって、創作者が「言いがち」な発想の出どころ、ソース元(?)について少しこけばしなりに書いていければと思いました。


 では、張り切ってお送りしましょー!




■なぜ三つの派閥が存在するのか


 タイトルにも書きましたが、創作者の口から物語の進捗、行く末を語る場合に、



 ・キャラクターが勝手に動き出すんです

 ・言霊が降りてくるので、それを書き出すんです

 ・キャラクターをうまく操って、そのシーンを描き出すんです



 という3パターンをしばしばお見かけします。


 ただし、ひとつめ、ふたつめのパターンに関しては、こけばし個人的に、ネガティブなイメージがあったりします。なぜかと言えば、そうそれは、進捗の停滞、更新の遅れの際にしばしばお見かけするからだったりします。たまたま? たぶん、それも間違いではないのでしょう。



 勝手にこけばしは、作家あるあるの「厨二病的な流行り病」だと思っています。

 だって、そう言った方がなんかカッコいいじゃん(←馬鹿)。



 まあ、自分もそうだったので、今では過去をそう振り返っている、ということなのです。よく言われるたとえ話ですが。



「優雅に水面を泳いでいる白鳥も、水面下では必死に足をばたつかせている」



 というものがありますよね。

 アレなのかな、と。



「もう夜も寝ないで必死に無い知恵をひねくり出して、ようやく書き上げました!」



 というと、夢がない気がしません?

 ある意味、夢を描くのが仕事なのに、一番夢からほど遠い苦行ですもの。



■キャラクターが勝手に動き出す派の言い分


 とはいえ、正直昔のこけばしは、どのパターンかで分けるなら、「キャラクターが勝手に動き出す派」でした。


 今になってそれを自分なりに分析すると、こういう理屈と背景があったように思います。



 ・キャラクター先行で物語を考えていた。

 ・世界観や設定が曖昧で、いくらでも後付け、こじつけができた。

 ・シノプシスやプロットはあるものの、頭の中だけのもので、確立されていなかった。



 誤解のなきよう申しあげておくのですけれど、これはあくまでこけばしの場合であり、このような状況下においても、物語を書くことに支障が生じることはない方も大勢いらっしゃると思います。ですが、少なくともこけばしにはこの手法は向いていませんでした。うむ。


 結果として、その当時書いていた作品は、未完のものが多かったです。


 空想癖と妄想癖があるこけばしは、いつでも物語について考えていました。勉強をしていても、友人と遊んでいても、電車に乗っていても、お風呂に入っていても、とにかく四六時中頭のリソースの半分近くを使って、物語のことを考えています(これは今もそうです)。


 となると。



 勝手に物語が進行してしまうんですよね。

 しかも、「世界観=箱庭」と「設定=柵」がない無法地帯で、です。



 すると何が起こるかというと、「その時、不思議なことが起こった」的強引で後付けな方法で難関をクリアしてしまったり、初期想定にない未知のチカラに目覚めてしまったり、本来の筋書きでない部分に寄り道をしてしまったり、その時、その瞬間にホットな情報を得てしまうと、それに少なからず影響を受けてしまったりするのです。うーん、これは良くない……。


 ただ、物語に没頭している時に、一番楽しいのはこのパターンかな、と思っています。書いている作者が一番、その物語のファンでもあるワケですからね!



言霊ことだまが降りてくるのでそれを書き出す派の言い分


 これ、意外と過去の大家・大先生でもおっしゃりがちなパターンかな、と個人的には思っています。



「アイディアが降りてこない……」

「もうちょっとで降って来そうな気がするんだ……」



 という感じで。


 ドラマや漫画に登場する「センセイ」って、こんなイメージですよね。つまり、一般の人の抱く「作家のイメージ」がこれに近しいんじゃないかな、って思うワケです。


 もっともらしく考えるのなら、全身全霊を使って、自分の中にある常識をぶち壊して、他の誰にも思いつかなかった物語やトリック、仕掛けを無理やりひねくり出すワケですから、その出てきたものって、自分のチカラだけでは思いつくことができなかった「降りてきた何か」と考えることができるのかもしれません。


 それこそ古代信仰においては、供物を捧げて巫女が祈り、天におわす「存在」からご神託を得る、という儀式がまことしやかに行われておりましたから、あながち嘘だとも言い難いですよね。この現代においても、国や地域が違えば、今でも信じられている儀式なのですし。


 ただ、こけばしはひねくれ者でいやらしい性格をしている子なので(えっち、という意味ではありません)、「肝心な、天におわす『存在』が一向にこたえてくれないのである」と言われたら、「じゃあ、仕方ないですね……」と編集者さんもあきらめざるを得ないのかな、と。


 この最終奥義を生み出した過去の大センセイ、さすがです!



■キャラクターをうまく操りそれぞれのシーンを描き出す派の言い分


 そんな(どんな!?)こけばしも、今はこのパターンに落ち着いております。


 書く前にすでに脚本は決まっておりますから、それにのっとって演者に演じてもらえればいいのです。とはいえ、脚本家兼演出家が自分なワケで。おまけにカメラマンも兼ねちゃったりしているので、素人仕事ですべてが万事、うまくいくはずもなく。それでもなんとかスムーズに物語が進行するようになりました。マル。



 いえね?

 どれが正しいとか間違っているとか申し上げるつもりは毛頭ございません。


 それに、このパターンであっても、「勝手にキャラクターがやらかす」ことは多々ありますし、「大いなる未知の存在から啓示を受ける」ことだってしばしばあります。これ、ガチィで。



 少なくとも言えることは、その結果、物語が面白くなれば、ちゃんと結末に向かってくれさえすれば、どれだって良いのかな、と。意味ねえ結論!




 おっと、そろそろお終いの時間ですね。


 次回のテーマは何にしようかな……と、ぼんやり考え中です。大体決まってるんですけど。

 お楽しみに!



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