第十三回 プロッター・ウント・パンツァー!~第二章~

 はじめての方はよろしくお願いします。

 お馴染みの方はようこそ懲りずにお越しいただきました、虚仮橋陣屋(こけばしじんや)でございます。


 さて第十二回ですが、前回のテーマ「パンツァー型」と「プロッター型」で、こけばし自身を題材として(さらし上げ、とも言います)「プロッター型」の執筆の進め方について綴って参りましたが、あえなく文字数。


 ということで、今回はその続き、です!

 では、張り切ってお送りします!




■「プロッター型」のココが凄い!(前回の続きより)


 たとえば、現在連載中(脚注:二〇二三年八月現在)の拙作、



 ■被告人「勇者A」~勇者の証を得るためダンジョンに籠っていたら争いが終わってました~

 https://kakuyomu.jp/works/16817330653870628957



 を例に挙げますと、冒頭の「プロット」はこんな感じでした(ここ、宣伝です)。



『・主人公の日常→非日常→気付けば異世界へ


 ・ようやく辿り着いた城下町で王との謁見→お前は勇者なのだと告げられる→真の勇者として認められるために仕方なく単身《始まりのほこら》の攻略へと向かう


 ・臆病な性格と戦闘への不慣れが災いし《祠》攻略に時間がかかる→七日後うのていで無事生還し地上へ→しかし何故か主人公は刑務官によって囚われの身に


 ・唐突の捕縛と投獄→オークの刑務官からすでに魔族が勝利した世界だと知らされる→死を覚悟するが……→処刑ではなく法廷での裁きを受けられることを知り安堵する』



 はい。

 割とざっくりテキトーな感じです。



 ですが、こけばし的にはこの程度の分量でよろしいかと思っております。これ以上、あれやこれやどれやねんと盛り込んでも、本編以上に熱が入るだけで、その分の労力と時間と脳のリソースを本編に費やせよ、となってしまうからです。


 これが、実際の作品でご確認いただきたいのですけれど、大体一話「高校生の日常」から第六話「出てきてみれば」あたりまでに相当します(ここも割と大事な宣伝です!)。ひとつのプロットに対して一話なのか、というとそんなことはありません。「全体の流れ」である「シノプシス」から外れていなければ、「ひとつのエピソード・イベント」である「プロット」の中身の分量は、ケース・バイ・ケース、適宜増減させるのが当たり前だと思っています。



 これがこけばしの考える「シノプシス」と「プロット」の関係性です。



 なので、前回「新たなアイディアが浮かんだ時に修正するのはシノプシスだけ」と書かせていただいた理由がお分かりになられたかと思います。もちろん、これだって絶対ではありません。追加する「プロット」が他の「プロット」に影響を及ぼす可能性はゼロではありませんから。しかし、大抵の場合には「シノプシスの見直し」で対応できる、ということです。



 この経験から学ぶ「プロット型のメリット」とは、「物語全体の流れを常に俯瞰視ふかんしできる」という点にあると思っています。


 いわゆる「あらすじ」=「シノプシス」で、物語のはじまりから終わりまでをまとめてありますので、話が前後したり、脱線して脇道にそれたりしていないかを常に確認・修正することができるからです。


 たびたび言われている「型を決めてしまうと物語が陳腐ちんぷ化しちゃうんじゃないの?」というのは誤り、誤解だと思っています。


 あくまで「シノプシス」も「プロット」も、どちらも「お品書き」、「式次第」みたいなものなワケですから、その中身が爆笑必至の過激なドツキ漫才なのか、人知を超えた魅惑のイリュージョン・マジックなのかは、はじまってみないことには分かりません。まあ、作者であれば、ある程度の目途めどは付いているものの(でないとさすがに困る……)、それでも「どのように表現していくのか」は本番次第なのです。



「それでもキュークツなんだよねー。オイラってば自由人だからさー!」


 うんうん。

 分かりますよー。



 ただ、設計図も地図もないのでは、こけばしは超ガチィで不安な子なのでこうしないと無理なのです。特に「シノプシス」がないと、どのあたりからラストに向けて盛り上げていかないといけないのか、どのあたりで卓袱台ちゃぶだい返しをして読者を驚かせないといけないのか、まったく目印がなくなってしまうと困るのです。


 なので、計画的な作業が性分に合っている人には「プロッター型」をオススメします!



■「パンツァー型」のココが凄い!


 正直、こけばしはパンツァー型の作業の進め方はしておりませんので、詳しくは語れません。


 ただ……昔から「プロッター型」の作業スタイルを確立していたワケではないので、それと意識していなくても、過去には「パンツァー型」の作業スタイルを実践していたような気がするのです。


 でも、たぶん向いてなかったんでしょうね。

 その時の作品で、きちんとカタチにできたものは少なかったです。


 ……と、このように書いているとステマ(「ステルス・マーケティング」の略)っぽい香ばしさなので、「パンツァー型」の代表であり、偉大な大御所でもある「あの方」にご登場いただきましょう。



『スティーヴン・キングの方法は「パンツィング(seat-of-the-pants =経験と勘を頼りにする、即興で行う)」と呼ばれ、次の三つの条件を満たす人だけがうまくいく。


(a)ストーリーの計画を練らなくても内容がつかめている

(b)理想的な構成が自然にわかっており、何が必要か勘でわかる

(c)即興で書いた原稿を直して仕上げる意志がある。


 大多数の新人がこの方法で苦労しているのだ。驚くことに、ベテランも多数いる。「続きが思いつかなくて」と原稿用紙を何度も破り捨てるのが自慢な人もいる』



 これはキング本人の言葉ではなく、シカ・マッケンジーとラリー・ブルックスによる「工学的ストーリー創作入門 売れる物語を書くために必要な6つの要素」の中の一文なのですが(注:こけばしの意見でもないデス)、さすがは鬼才にして天才、と思わせるエピソードです。


 ここで注目したいのは、前述の(a)の項では脳内「シノプシス」を、(b)の項では脳内で「世界観」や「設定」、その他あらかじめ決めておきたい事柄の構想を済ませていることと、脳内「プロット」についてもある程度組み立てているということです。もしかして違うかも。


 でも、こけばしはそう解釈しました!


 ただ、脳内劇場だけですべてを完結させようとすると、(c)の項の作業がとんでもなく大変そうです。脳内の資料を参照するのと同時に書き上げたモノを読んで、よりベストな表現があるか、流れに誤りはないか、漏れや矛盾は生じてないかを思案してひねり出さないといけないワケです。マルチタスクの子じゃないと、とてもじゃないけれどこなせませんね、これ……。


「脳みそロケットペンシル」とほまれ高いこけばしですので(注:褒められてはいません。しかも世代ェ……)、とてもじゃないけれど真似はできないですね。どうりで昔書いた作品って、最後の方わやくちゃになって破綻したワケだーといまさらながら納得しております。



 ともあれ、パンツァー型のメリットは、とにかくスピーディーに物語づくりに入れることですね。出力しなくても脳内にすべて揃っているので、余計な時間が省けます。ごちゃごちゃ悩むより、まずは書く! というあなたにはオススメかもです。




 おっと、そろそろお終いの時間です。


 今回も前回に引き続き「プロッターとパンツァー」について掘り下げました。これには向き不向きがありますので、絶対的な正解というものはありません。あなたのスタイルにあわせて下さいね。


 では、次回もどうぞよろしくお願いいたします。ぺこり。



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