7-7 頭の芯がゆっくりと冷えて

 デコピンの首輪から発信された精密な位置信号と、ビデオカメラに映ったヤツの映像を元にそこへ到着した。

 古い商店街の片隅にある空き地で、様々な瓦礫が山となっていた。

 どうやら古い家を取り壊している最中らしい。

 暗がりの中に立つ長身の人影が見えた。


 あたしは腰の得物をゆっくりと抜いた。


「犬塚さん、ソコを退いてくれる?」


「イヤよ」


「今回の件、何処にも報告するつもりは無いわ。

 幸い、あなたがかくまっていた間に被害は出ていないようだし、事の子細を知っているのもごく一部。

 今回の一件は少し手こずったけれど永らく徘徊していたヤツを今晩ようやく見つけて狩った。ソレだけ。

 あなたが素直に引き下がってくれれば大事に為らずに済むし、八方丸く収まるのよ。」


「修はヒト喰らいなんかじゃない」


「そうね、もう食べられちゃったものね。その犯人は食べた餌に擬態して、ソコの瓦礫の中に隠れているものね」


「修はヒト喰らいなんかじゃないっ!」


 一際甲高く叫んだ後に、彼女は獲物である二丁の手斧を抜いてあたしに斬りかかってきた。


 諸手で寸瞬の時間差を駆使して振る。

 悪くない動きだがあまりにも教科書通りだ。


 軽く躱して彼女の背後に回り、そのまま瓦礫の中のアレへ駆け出した。

 間合いを外し、完全にやり過ごせたという確信があった。

 だが、そのすり抜けの一瞬で片方の獲物を手放し、振り向きざまにあたしの足を捕ったのだ。


「!」


 しまったと焦ったがもう遅い。

 そのまま引きずり戻され、振り回された後に力任せに地面に叩き付けられた。


 土木用の重機が転倒したのかとも思しき轟音。

 頭の中が真っ白になった。


「修、修っ。出てらっしゃい。お姉ちゃんと一緒に逃げよう!」


 彼女の大声で我に返った。

 畜生、やってくれる。地面に叩き付けられるなんて一〇年ぶり位だ。

 身を起こしてみれば地面が何センチか窪んでいた。

 よく身体がつぶれなかったものだ。我ながら感心する。


 そしてあの子、膂力脚力だけではなく咄嗟の判断も大したものだ。

 瞬きにも満たない時間の間に己の得物を手放し、あたしの足を掴む事を選択した。


 あのセンスは天性のものなのか、それともたゆまぬ研鑽の果てに体得したものなのか。いずれにしても与えられたフィジカルに頼っただけの猪武者なんかじゃない。


 やれやれ、あたしとしたことが見誤っていたわ。


 苦笑と共に立ち上がって軽くスカートの埃を払った。

 アイロンをかけたばかりの制服がシワだらけ埃まみれだ。

 これでは人前に出られやしない。

 どんな連中を相手にしても、血しぶき浴びるどころかシミ一つ無く、制服を着崩すことすら無いまま仕事を終えるのが密かな自慢だったというのに。


 ちょっと天狗になっていたのかしら?


 認めよう、あたしは此の子を些か見くびっていた。

 だが己を叱咤することはあっても、彼女への憐憫れんびんが自分自身を曇らせたとは思いたく無かった。


 彼女はいまや、瓦礫の中から這い出てきたアレを庇って手斧を構えている。

 渡して為るものかと、禍々しい殺気と爛々とした眼差しとでにらみ返してくるのだ。


「修に指一本でも触れてごらんなさい。なます切りにしてやるわ」


「姉弟愛は美しいけれど、ソレはヒトじゃないわよ。ヒトを喰うただの異形」


「やかましいっ、おまえだって似たようなものだろうが!」


「全然違うわよ。あたしは取敢えずヒトと認定されているもの」


「デタラメ云うな。アレと混じり合った真っ当な人間なんて居るものか」


「おやおや、何処で聞いたの?それは秘匿案件なのに」


 あたしは思わず片頬で笑っていた。

 情報の出所を訊くよりも、その指摘にナイスと言ってあげたかった。

 だが彼女の嗅覚なら、それと嗅ぎ分けても可笑しくないかと思い直した。

 確かにあなたの言うとおり。

 この身体は只の屍肉で色々と混ざり合ったモザイクだ。


「あたしが真っ当な人間じゃないのなら、あなたが庇っているソレもご同輩よね」


 返答を期待したのだが残念ながらそれは叶わなかった。


 得物をぶら下げたまま一歩踏み出した。

 そのまま一足の間に飛び込む。


 コチラが踏み込むと同時に彼女も反応し、お互いの獲物がお互いを弾き合った。


 間合いを詰めた一瞬はきっと誰にも見えなかったろう。

 もしかすると、ビルの屋上からようやく顔を覗かせ始めた蕩けた色合いの半月ならば、その刹那を写し取るとこが出来たのかも知れないが。


 一合、二合、三合。

 重量感のある異様な金属音と、刃物が風切る音とが交差する。

 時折文字通りの火花が走り、夜気の中に一瞬の残像を生んだ。

 一歩も引かない、一歩も進めない。

 マズいなと思った。このままでは取り逃がす危険がある。


 仕方が無い、腕か脚の一本は覚悟してもらおう。


 力と速度は相手が上。

 だが技術も経験も拙いので、反射神経だけでコチラをいなしているに過ぎないのである。


 打ち込む瞬間に足元がお留守になる。

 それを見計らって踏み込み、しゃがみ込む程に低い姿勢からなたで出足を払った。


 対応してコレを躱し、体軸がブレた瞬間に返す鉈で手斧を持つ手首を切断する。

 振った反動を利用したコンビネーション。

 気付くのは腕を落とされた後だろう。

 意識の外から振ってくる刃先は躱しようが無い。


 そのつもりだったのだが、刃先が手首に到達する刹那、瞬間的に崩した重心を使って空中で前転。

 一閃を宙で躱してしまった。


 なんという反応。

 なんというバランス感覚。

 正直感嘆した。


 だが、彼女と距離を取るにはその隙だけで充分だった。


 彼女の視界から外れた一瞬を使って跳躍、そして疾走。

 今度は充分に間合いを外したので、いかなケタ外れの反応をもってしても彼女の手は届かなかった。


 待て、と叫ぶ彼女が追って来るがもう遅い。

 既にあたしの方が一手先を取った。


 飛び道具の気配に身を屈めると、頭の直ぐ上を手斧が飛んできて目の前の街灯に突き刺さった。

 半ば以上を切り落とされた鉄柱が持ちこたえきれずに倒壊する。

 道を塞ぐ寸前に、その真下をくぐり擦り抜け駆け抜けた。


 見えた。

 彼我の距離があっという間に縮んでゆく。


 獲物はもう目と鼻の先。


「やめろぉおー!」


 背後からの激しい制止の声。

 そして振り返ったヤツと目が合った。

 あどけない少年の顔が愕然として見返していた。


 構わず一閃。一刀で屠る。

 いつもの手応え、いつもの血しぶきだった。


 跳んだ首が転がって側溝に落ちた。


 彼女の悲鳴が闇を裂いた。

 首を失った身体がジタバタ暴れていたが、やがて動かなくなった。

 半狂乱になった犬塚伊佐美が、側溝の中の頭を抱え上げて泣き喚いていた。

 軽く溜息が洩れた。


 よし。相変わらず後味は良くないが、ヨシ。

 今回の仕事はコレで終了。

 後の清掃は地区役員の仕事だから、あたしの役目はここまで・・・・


 やれやれと踵を返した瞬間、唐突に感じたのは頭上から振り下ろされる鋭利な何某かだった。


 右足を軸にくるりと反転すると、そのままサイドステップを踏んでソレを躱す。

 夜陰の中へアスファルトに叩き付けられた金属音が響いた。

 あたしの足元に突き刺さっているのは手斧だった。

 そしてそれを手にする、獣の目を宿した犬塚伊佐美が見上げていた。


 更に数歩後退って彼女から距離をとった。


「殺してやるわ」


 彼女は刃の半ばが地面にめり込んだ手斧を引き抜き、折り曲げた身体をゆっくりと起こした。


 猛る眼差しが睨み付けている。

 焼き殺さんばかりの憤怒だ。

 狂気を孕みギラギラとした、獰猛な肉食獣の眼差しだった。

 小脇に抱えたアレの生首からは、未だ体液が滴っていた。


「犬塚さん、冷静になりなさい。あなたは錯覚して思い違いをしているだけよ。

 ご家族のことはお気の毒だけれども、手にしているソレはあなたの弟さんなんかじゃない。

 修くん、だったっけ?

 彼のふりをしてあなたに庇護を求めるまがい物、ただの残骸よ。

 生きていて欲しいと願うヒトの心に付け入る、卑しいバケモノに過ぎない」


「ふざけるな!修、修よ。コレは修なのっ。

 アンタが殺した。修を殺した。アンタが、アンタが、あんたが!

 この人殺し!修をバケモノと云うか。その口が云うか。

 ナニをどれだけ殺してきたっ。

 おまえこそがバケモノだろうがっ!」


「・・・・」


 く・・・・ふ、ふふ、ふふふ・・・・・


「ナニがおかしい、このヒト喰らいっ」


「あたしがヒト喰らいでバケモノなら、あなたはソレを狩る狩人といったところかしら」


 やっぱり頭に血が昇った相手に説得は難しい。

 そもそもあたしは相手を落ち着けるという作業が不得手だ。

 なだめるよりも火に油を注ぐハメになることが多かった。


 やれやれ、性が無い。


 胸の内で大きな溜息を付くと、ポケットの中から上司からもらったクスリを取り出し、封を破って自分の首筋に突き刺した。


「ナニよそれ。ひょっとして加速剤?」


「これであなたとイーブンかな。ホントは猛獣を捕らえるのには麻酔薬が一番適当なんだけれども、クスリ浸けの強化対応者は体内で中和しちゃうから。

 まぁ実力行使というコトで」


「面白い。それっぽっちのドーピングでわたしをどうにか出来るとでも思っているの?」


 殺気は衰えるどころか増すばかりで、小脇の生首をそっと地面に下ろすと二丁の手斧を両手に握り締めた。


「覚悟なさい」


 あたしも苦笑しながら再び鉈を抜いた。


 やれやれ、である。


 頭の芯がゆっくりと冷えてゆくのが分った。

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