7-6 彼女が向った方角に向けて駆け出していた

「金川さんに余計な事吹き込んでくれたわね」


 その日のスタートは深夜になってからであったが、彼女は最初から機嫌が悪かった。


「冷静な観察結果に所見を合わせて報告したダケよ。意見の可否は彼の判断だわ」


「口は便利なモノよね。正規駆除者あんたのソレを区長が無視出来る筈ないじゃない」


「あなたの為だと思ったのだけれども」


「余計なお世話だわ。わたしの行き先はわたしが決める」


 まなじりを吊り上げた犬塚伊佐美はそう言い切ると、プイと視線を外して勝手に巡回ルートを歩み始めた。

 初回は兎も角、それ以降の日はあたしの補佐に回るようにと言い含めてあったのだが、どうやら今夜は聞く耳を持たないらしい。


 言うコトを聞けないなら留守番してろと、最初にそう言ったハズだけど。


 彼女の不審不満は最初からずっとダダ洩れのままで、それは本人も一切承知。

 未だに隠す気配は無かった。

 コレが自分のスタンスだと信じているようで、その幼稚な意固地さに苦笑が漏れてしまった。


 初日は幾分殊勝な態度だったが、今や初対面のあの頃に戻ってしまっている。

 やれやれだ。今少し腹芸を見せてくれても宜しかろう。

 中二病を患った子供では無いのである。


 まぁいいわ。ちょっと確かめたいコトもあるし。


 まだ月は出ていなかった。

 月齢は二二、月の出まであと二時間ほど。

 雲は薄いが星はあまり見えなかった。

 漆黒とは言い難い灰色の夜空が、鍋蓋のように頭の上からのしかかっていた。

 お陰であまり気温が下がらずに助かる。


 寒いと音は遠くまで届くし、連中はあたしらよりも耳がいい。

 コッチが察する前に感づかれたくはなかった。

 以前の食事から三週間。そろそろ飢餓状態だろう。

 空気の感触が昨晩とは段違いだ。


 恐らくヤツは無理を押してでも。


「今夜やるわ」


「そ、う、かしら。周期的にはそうかもだけど、この町とは・・・・別の場所に移動したかもしれない」


「居る。間違いなくね」


 微風ではあったが油断は禁物。風下を選んでルートを選択し、慎重に町の中を巡回した。

 先頭を行こうとする彼女を制するのは面倒だが、それでも何とかあたしのルートへと誘い続けた。


「一丁目に向うの?川町の方が風下だけど」


「そちらはいいのよ。あたしの相棒が間を詰めてくれるから」


「相棒?」


「言ってなかったかしら。ほぼ真っ黒いブチ猫、デコピンというのよ。彼はアレに直接手出しは出来ないけれど、探索と追跡の能力はあたし以上よ」


 彼女は急に、何処か落ち着かない表情になった。


 二つ交差点を抜けて赤い点滅の信号機の下を潜り、静かな住宅地に入った。

 主幹道路からも外れ、通るクルマもない閑散とした深夜の空気があった。


「そちら側よりもコチラ側を通った方が近道よ」


 彼女が促したのは住宅地の際に続く小道だった。


「そう?あなたあたしの行き先の見当が着いていると」


「北本町でしょう、向っているのは。この道順ならそれと知れるわ」


「でもその角を曲がった先から急勾配の登り坂になるわよね」


 あたしらの足でも移動速度が落ちる。

 実質の距離は兎も角、かかる時間を考えると逆に遠回りになるんじゃないの。

 それに頂上付近の路肩は切り立った斜面で臭いが風で下に拡散してしまう。

 いくら風上じゃないとはいえ不用心よね。しかも見晴らしまでいい。

 ちょうど月も昇り始めたし、何かの弾みでヤツに感づかれてしまうかもしれない。


「何故にわざわざそんなルートを提案するの?」


「なにその物言い。まるでわたしがあなたに不利な道順を教えているみたいじゃない。不愉快だわ」


「みたい、じゃなくてそうでしょう」


「邪推もいいところ。北本町は坂を下った先よ。しかもここから先は街路樹が茂っているし姿なんて直ぐに見えなくなる。被害妄想よ」


「そうかしら。街路樹がばっさり剪定されているのも知らなかった、と?ネットのマップサービスでもキレイに見て取れるのに」


「あら、そうだったの。知らなかったわ。じゃあルート変更しましょうか」


「無駄話とルートの変更。コレでまた少し時間が稼げたわけね」


「あなたいい加減にしてくれる。まるでわたしがアレを逃がそうとしているように聞えるわ」


「犬塚さん。あなた、実はあたしよりも鼻が利くでしょう」


「また妙なコトを。わたしの鼻が利かないと、散々吹聴していたのはあなたじゃない。金川さんにまでネジ込んで」


「あたしが感づく前に巡回ルートを逐一変えて、ワザとアレから遠ざけていたでしょう。一番最初に路地であたしに声を掛けたのも、曲がり角の向こう側にアレが居ると感づいて、アレに気付かせるためだったのね。

 あの時はまんまと欺されちゃったわ」


「バッカじゃないの、ナニよその言い掛かり。

 何だってわたしがアレの片棒担がなきゃならないワケ?アレはわたしの家族を食ったのよ。そんな親の敵に何でわたしが肩入れしなきゃなんないワケ?

 ふざけるんじゃないわよ!」


「学校であなたと面会したあと、妙だなと思ってデコピンにあなたが通った後を追跡してもらったの。

 何せ、いつも自分の巡回ルートでもない隣の地区を歩き回ってから自分の地区に戻って来るし。

 最後まで尾行しようとしたけれど、あなた、めっぽう鼻が利く上にフィジカル高いから、デコピンですらアッサリ振り切られちゃった。

 お陰で苦労したわ」


 そこで軽く肩を竦めて見せたのだが、彼女からは何の反応も無かった。


「それでも何日か分をまとめて、地図上で回らなかったルートを時系列順で追ってみたの。

 そしたら、隣の地区でアレが目撃された日付と地点がぴったり合っちゃうじゃない。おやおや、って思ったわ」


「あなた莫迦?前日に目撃された箇所を確認するのは当たり前じゃない」


「あたしとペアを組んで動く約束なのに何故一人で?しかも合流する直前に。

 そして二人一緒の夜のルートとはまったく被らない、見事に避けてる。

 まるでソコにナニかを隠しているみたいに。

 で、昨日あなたと別れた後に撮れた画像がコレ。

 ナニが見える?」


 彼女に向けてかざしたスマホには短い動画が再生されていた。

 夜間の撮影で画面は暗く粒子も粗くて今ひとつ鮮明ではない。

 だが、ヒトに化けた明らかにヒトでない何かと、それを急かすように誘導する犬塚伊佐美の姿が映っていた。


「資料で確認したけれど、この姿あなたの弟にそっくりね。服や靴は家族のものを寄せ集めてまとっている感じかしら。靴なんて完全にガバガバだわ。

 あまり知恵の回らないヤツみたい」


 彼女は無表情のままだ。だが顔色が尋常じゃない。

 紙のように真っ白で、まるで能面のような面持ちだった。


「コレ、かくまっていた場所から抜け出したので連れ戻している最中かしら」


 小学校に潜んでいたのね。

 朝になって子供達が登校してきたら物陰で襲われたかもしれないわ。

 なんて危うい。

 弟さんは小学四年生だったわね。

 学校で襲われて入れ替わったのかも知れない。

 ひょっとして最初にコイツを発見したのは此処?


「切っ掛けは誰かさんの残骸を見つけたから、とか」


 そこまで言ったところで、手にしていたスマホはたたき落とされてしまった。

 薄いガラスが割れる音がして、画面は虹色のささくれだったひび割れに変わり果てた。


 犬塚伊佐美は目を剥いて、肩で息をしていた。


「非道いコトする。ま、バックアップとってあるからイイけど」


「弟は、修はアレなんかじゃないっ!」


 壊れたスマホを拾い上げるキコカに彼女は吠えていた。


「人間に触手なんて生えてないわ。目玉を左右別々に動かしたり、ちょっと伸ばして真後ろを確かめたりもしない。

 とはいえ世界は広いから、ひょっとすると出来るヒトが居るかもしれないけれど」


「アレに、アレに取り憑かれているだけ。身体の中に潜り込まれているダケ。

 修は修よっ。アレを取り除いたら元に戻るんだから。わたしをお姉ちゃんって言って、頼ってくれているんだから!」


「潜り込まれていると思って居るのなら、何故病院に連れて行こうとはしないの。普通はそうするわ」


「信用出来る人を捜している最中なのよ。普通の医者はダメっ。人体実験されるっ。切り刻まれるっ。わたし、わたしみたいにっ。そんなの、そんなの、許せるワケないっ!」


 叫んだ次の瞬間に犬塚伊佐美の姿はかき消えていた。


「スゴイ跳躍力。流石はレベル4」


 彼女の身体は一番手近な電信柱へと跳び、その中程を蹴って更に隣の家の屋根に乗り、そのまま夜の虚空に飛び去っていた。


 一瞬の出来事だった。

 跳躍力だけではない、体裁きとその速度。

 普通の人間なら目では追えなかったろう。


「デコピン、聞える?彼女がソッチに向ったわ。今の正確な位置とヤツが進んでいる方角を教えて」


 予備のスマホでほぼ真っ黒な白黒ブチ猫と連絡を取りながら、キコカは彼女が向った方角に向けて駆け出していた。

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