第七話 残骸(その八)

「無茶をなさいますね」

 目が覚めたらベッドの傍らに金川さんが居て、あたしは麻酔の切れた腹の傷の痛みに、呻きながら脂汗を流していた。

「わたしがあと少し来るのが遅れていたら、どうなっていたことか」

「首は胴から離れていたでしょうね」

「説得が無理なら逃げるという手もあったでしょう」

「そろそろあなたが到着する頃合いだなと思っていたので」

「いま少し早く連絡して頂きたかった。あの状況では難しかったのでしょうが」

「犬塚さんは?」

 そう訊ねると、まだ眠っているという返答があった。クールダウンだ。一度全力運転に踏み切った強化対応者は数日の安静時間、使用した薬物の中和期間が必要になる。連日業務を行える正規駆除者との大きな差の一つだった。

 不便?いやいやあたしはそうは思わない。適度に休める口実が出来るのだ。馬車馬のごとくこき使われる自分とは雲泥の差、むしろ羨ましいと言わせてもらおう。

「取り繕ったメッキが色々と剥がれてしまいました。目が覚めたらまた、暗示をかけ直すことになるでしょう」

「嘘の上に嘘を塗り固めるのですね」

「そうしないと、壊れてしまいますから」

 犬塚伊佐美の前では金川区長に話を合わせていたが、実はこの区に前任の駆除担当者なんて居ない。

 教導役の者など、話の辻褄や対外的な体裁を整える為の虚構、ただのまやかしだった。犬塚伊佐美の年の離れた兄は普通の会社員で、事件の後に就任した伊佐美がこの地区での初めての担当者だ。

 それ以前は隣合った区に依頼して、コチラ側の巡回地区のパトロールをしてもらっていた。だが人が増え世帯も増えて対処しきれなくなって、専任の担当者を持つことになったのである。そこで白羽の矢が立ったのが、直近でヒト喰らいに家族を全滅させられた彼女だった。

 当時、現場を発見したのは深夜に警戒の夜回りをしていた金川区長だ。弟に化けたアレに両親と兄を食われ、更に自分の顔や腕を貪り食われている最中で、激痛と恐慌とで半狂乱であったという。そして兄は、はらわたを半ば食われながらも妹を庇うようにして息絶えていたらしい。

「その話を聞いたときにも驚いたのですが、よくヤツから彼女を助け出せましたね」

「それまで食べた分で満足したのでしょう。或いはわたしたちが集まってきて逆襲されるのを恐れたかも知れません。大声で助けを求めたらヤツの方が逃げてしまいました。

 それよりも兄の遺体の下から救い出し、気狂ったように泣き喚くあの子を宥める方が大変でした。一時的とはいえ視力を奪われ、生きながら腕をもがれたのです。よく正気を保てたものだと思いますよ」

「しかしお陰で、あなたを自分の兄と勘違いするようになった。兄の死を目の当たりにしたにも拘わらず、受け容れるコトが出来なかった。実は生きていたのだ、瀕死の兄が自分を救ってくれたのだというという幻想を信じ、ソレにすがったという訳ですね」

「わたしが傷心のあの子に付け込んだせいです。お兄さんが付いているよと、怪我と包帯で周囲が見えないあの子に囁きました。弱ったあの子を力づけるつもりでした。

 しかしあの子は重傷で普通の医療では助からなかった。だが強化対応者への施術許可と予算承認が下りれば、あの子の命を繋ぐことができる。あのままではただベッドの上で死を待つだけだった。

 お兄さんが実は駆除者だったのだと思い込ませられれば、自分がその後を継ぐと言い出すだろうという確信もあった。大きな十字架を背負うことになるが、少なくとも今暫し生きながらえることが出来る。そして今まで担当者が居なかった地区に、守番を据える事が出来る。わたしのエゴと打算の所産です」

「そうでしょうか。あたしは悪くない判断だと思いますよ」

「止めて下さい。本当にあの子のことを思うのならば、別の手段もあった筈。夜な夜な町を徘徊しヒト為らざるモノを狩るなど、そのような役割を子供に課してよい筈はない。外道の所業ですよ。責任は全てわたしに在ります。

 然るべき日が来れば裁きを受ける事に為るでしょう。覚悟は出来ています。それもまたわたしの勤めですから。責任を取るのがわたしの役割ですから」

「さて、そんな日が来るでしょうか」

 彼を断罪してもめ事の種を明るみにするよりも、見ざる聞かざる言わざるを決め込んだ方が余程に波風立たない。その方が為政者にとっても都合が良いであろうから。

 あの日、あたしと犬塚伊佐美とは合い対し、打ち負けて腹を裂かれた。身動きが取れずトドメを刺されるのを待つばかりだった。

 それを制止したのは金川さんだが、暗がりの中から決して出て来ようとはせず、ボイスチェンジャーで変えた声だけで彼女を説得した。そして彼女が落ち着くと、さも今到着したかの様相を装ってあたしに歩み寄り、助け出してくれたのだ。

「あんな稚拙な猿芝居でよく彼女が納得してくれたものです」

「あの子は、恐らくですがわたしの一人二役を感づいているのだと思います。無意識でしょうけれど、しかしハッキリと認めたくない。声が聞えても駆け寄って来ようともしない。決して確かめない。自分でも気付かない内に自分でブレーキをかけて、幻の兄を信じ、すがっている。

 家族がみなアレに食われてしまって既に此の世には居ないと、独りぼっちだと認めたくないのでしょう」

「最後の一人はあたしが打ち殺しましたしね」

「あなたが討ったのはアレではありませんか。義務を全うしただけでしょう」

 金川さんは非道く疲れ切った声で、そして何処か淡々としていた。

「それよりも、コレは何なんです」

 そう言って懐から取り出したビニール袋には、使用済みのパッケージ型使い捨て注射器が入っていた。

「上司から支給された身体強化剤です」

「嘘ですね。あなたの相棒からの映像を確認させていただきました。依頼主権限というやつです。あの暗がりの中でも鮮明な映像で、よく事態を把握出来ましたよ。

 コレを使った途端、あなたの動きが極端に悪くなった。変だと思って残留していた薬品を調べてもらったところ、コレは筋肉弛緩剤ではありませんか。こんなもの頸動脈に注射して真っ当に動ける筈ないでしょう。

 あなたの嗅覚と知識なら、パッケージを開けた途端中身の薬品が何なのか気付いた筈です。どういうつもりなんですか」

「あの場は負けてやった方が落ち着くと思ったので」

「なんて無茶を。カンベンして下さいよ。依頼した側がその相手を打ち殺しただなんて、そんな話が広まったらあの子は本当に居場所が無くなってしまいます」

「広まりはしませんよ。むしろ区議会の先生方が揉み消してくれます」

「どういう意味です」

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