第4話 放課後の窓辺で語るような



 それは気まぐれな独り言のように紡がれた。


「学生の頃に出会っていたら、私たちはどんな関係だったのかしら」



 いつきさんと出会ったのは、私がすでに社会人という生き物になってからの出来事だ。


 十八で社会に放り出された私は、はっきりいってただの子供だった。

 大人に囲まれ、肩を並べて仕事をしているつもりだったが、周囲からすれば生意気で根性なしで、常識知らずの「お嬢ちゃん」に見えたのだろう。

 何もかもを教えてあげないとできない鈍さ。社会の仕組みをしらない無知さ。荒波を知らない癖に自信ばかりある傲慢さ。

 すべてを兼ね備えていた私は、本当にどこにでもいるただの十八歳だったのである。


 当時から大人扱いしてくれていた周りの人たちの忍耐強さを思うと、いまは顔から火がでそうになる。

 社会人になって、様々なことを学んだ。現実を知った。社会人の楽しさを知った。

 十八より前の自分と、社会人になってからの私は、別の人間のように感じることもある。

 それまで引きこもっていた居心地のいい世界とは全く違う世界。庇護されて、何も自分で考えなくてよかった世界。

 安寧から飛び出したことで、窮屈だったと知った世界。

 大きく変わった環境は、私という人間から私以外のものをそげ落としたのだろう。


 だから、社会人の私しか知らないいつきさんにとって、甘えん坊で泣き虫だった少女の「私」は、空白のもののはずだ。

 同じように、私も少女だった頃のいつきさんを知らない。

 彼女もまた、まったく違う彼女だったのだろうか。言葉に誘発されて浮かんだ学生制服のデザインは、彼女に重ねてもしっくり来ない。


「私は、酷くO脚で髪が野暮ったくて、その癖自分が可愛いと思っていた高校生だった」

 正直に告げると、いつきさんは目を丸くした。

 彼女の大きくて印象的な瞳が、テーブルの下の私の足に視線を落とす。

 お気に入りのヒールを履いた足。

 色や形が上品で、私の足を一番素敵に見せてくれるヒールはどこに行くにでも私を支えてくれる相棒である。

 組んだ足を揺らして見せる。

 優雅な動きがテーブルの足に映って、いつものように私をうっとりとさせてくれた。

「O脚はなおらないっていうけれど、直っちゃったのよね。多分、まだいろんなものが柔らかいうちに矯正したからかしら。あの頃はひどかったのよ。立っていても両膝がつけられなかった」

「髪が野暮ったいっていうのは?」

「親が美容師代をくれる人ではなかったの。だからいつも伸ばしっぱなし」

 耳に少しでもかかっていたら校則違反の男子と違って、女子は結んでさえいればどんなに長い髪でも叱られなかった。

 その代わりスカート丈と爪の長さだけは厳しかった。

 当時を振り返って笑うと、いつきさんも同じだったと頷いた。

「一年の頃に仲が良かった友達は秋ごろから学校に通えなくなって、クラスメートともうまくいかなくて、私は図書館ばかりに通っていた。

 二年になって図書局の友人と同じクラスになったから彼とずっといたら、付き合っているなんてクラス中から誤解されていたわ」

「まあ。青春ね」

「いま思えば、当時から女子の不文律には疎かったのかもしれない。男子と二人で話しているだけで恋人扱いされる意味がわからなかったし、噂を耳にしたのも二年の終わり事だった」

「みよしちゃんらしい」

「いつきさんは?」

「私は平凡な高校生だったわ」

 彼女はあっさりと答えると、自分も似た経験をしたと語る。


 私達が出会った街とは異なる場所で生まれた彼女は、そこで過ごした中学までの思い出が多いという。

「小学生の頃はなかなか友達ができなくて、特別な仲と言える子ができたのは高学年になってからだったと思う。

 六年生の頃に、あんまり仲良くしすぎると中学ではクラスが離されるから、喧嘩をしているふりをしよう、なんていうほどになった」

 実際には喧嘩のふりなんてひとつもうまくいかなかったと、いつきさんは過去に優しい笑みを見せる。

「中学にあがって新しく仲良くなった子も含めて、いつも同じ四人組で行動していたわ。交換日記とか、仲良しグループが思いつくことはなんでもやった。でも、高校でバラバラになって、その後の進路も離れて、一人ずつ疎遠になっていった」

 当時はいまのように、誰もが携帯電話を持っているわけではなかった。

 浸透はしていたが、いまに比べればできることも限られていた。

 持ち始めた子からコミュニティーができ、連絡がつきにくい子から弾かれる。そんな時代の境目に学生だった私達は、昔の知り合いの連絡先を知らない。

 家族の番号しか入っていないと言いながらいつきさんが振ってみせた携帯電話が、控えめに明日の天気を語りだす。


「友達が学校に来れなくなったのは、中学三年生の頃だったかな。いじめというほどでもないけど、うざったい子を順番に標的にするような嫌な空気が女子たちの間で流れた。一人、また一人と不登校の子が増えて、私はその中の一人にとても好かれていた」

 遠い目をしながらAIを黙らせたいつきさんは、無邪気に残酷だった過去をなんてことのないように語る。

 横たわった時間が、もう他の選択ができないというあきらめを与えてくれたのだろう。嘆くでもない淡々とした口調は、贖罪すら求めていない。


「手紙を何度も交換した。私にだけ、引っ越し先を教えてくれた。でも、私は仲良しグループの三人の方が大事だった。だから、どうして彼女があそこまで私を好いていてくれたのか、いまでもわからない」

 一息で思い出話を締めくくると、いつきさんはテーブルに肘をついた。

 こちらを覗き込む大きな瞳が、私を眺めてにっこりと弧を描く。


「みよしちゃんがあの頃クラスにいたら、友達になってくれたかしら」

「私は多分、いつきさんに声もかけられなかったわ。四人の仲の良さに嫉妬して、むしろ嫌いになっていたかもしれない」

「そうね。私も新しい人を受け入れる気にはならなくて、他の三人と同じようにみよしちゃんと疎遠になっていたのかもしれない」

「いつきさんこそ、野暮ったい私がクラスにいても、眼中になかったと思うわ」

「みよしちゃんのようなかわいい子に彼氏がいるのは当然と思って、遠慮していたかもしれないわね」

 それぞれの景色に、それぞれの少女時代を重ねる。


 上品で背の高いいつきさんが皆と同じ制服を着ているのは、やはり想像ができなかった。

 でも、彼女にもそんな過去があったからこそ、いまここにいるのだろう。

 不思議な感覚に私は瞬きをして、残っていたアイスコーヒーをすすった。

 鏡のようにアイスティーを手に取った彼女を、また好きになる。


「他の誰かと出会う前にいつきさんに会っていたら、親友になれたかもね」

 私達が、そうなったように。

「親友じゃ飽き足らず、貴方を自分のものにしたいと思ったかもしれないわ」

 私達が、そうしたように。


 幼さや無邪気さ、無知な自分をそぎ落として、過去の友人や環境から飛び出して、完成された互いに惹かれ合った。

 未熟な相手を知っていたら、もっと違う感情を抱いていたかもしれない。

 それでもやっぱり、惹かれ合うのかもしれない。



 起こらなかった出来事は、この先も一生訪れない。

 そんな当たり前のことが貴重なことに思えて、私はいつきさんの手に触れた。

 当たり前のようにつないでくれる指先の暖かさ。

 華奢で柔らかい彼女の指は、私にとてもしっくりくる。

 まるで昔から知っていたような感覚に身を委ねながら、私は空想の世界に笑みを向ける。

「きっと、いつきさんと同じクラスだったら楽しかったわ」

「そうね。いまも楽しいからいいけれど」


 私達を空想世界に誘った高校生の集団は、あっという間に席を離れていた。

 お小遣いで飲むフラペチーノは、育ち盛りの子たちにとっておやつにもならないらしい。

 バラバラな方向で放置されたままの椅子が可愛らしくて、彼女たちの関係を予感させる。


 あの頃は、ずっと自分は自分なのだと思っていた。

 それでいて、自分は自分以外の何かになれるのだと思っていた。

 どちらも違うと気づいて、少しずつ大人になって、その途中でいつきさんと出会った。だから、彼女の前では飾らないでいられる。変に背伸びせずに、過去を過去としてありのままに語ることができる。



 私は、あの頃私にあらぬ噂をつけていたクラスメートたちが、いまはどうしているだろうかと空想する。

 今時の若い子は、なんて旦那に愚痴るような平凡な「おばさん」になっていればいい。密かに考えるのは、ちょっとした意趣返しである。


「いつきさん、今度一緒に温泉に行かない? 設備が充実していて、一日中ごろごろできるって有名な場所が近くにあったの」

「いいわね。どこにあるの?」

「確か車で一時間くらいの場所なんだけど……」


 日の光がテーブルに落ちる。

 身を乗り出して一つの画面を覗く二人に降り注ぐ夕日は、なくなって遠い放課後の香りを思い出させた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

何てことのないおしゃべり 伍月 鹿 @shika_novel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ