第15話 鳥肌
「ねえ。なんで就職したの」
「なんでって。就職するのが普通じゃない」
「君は僕と同じで就職しないタイプかと思ってた」
「なによそれ。私は昔から王道を行くタイプよ」
「王道を行く女性とベッドで寝ているのは、就職もしない無職か」
「あら、大学院にまで勉学に没頭してるのは自慢じゃないの」
「さあてどうかな。勉学は極めても先がないからな」
「久しぶりに聴いた。その哲学もどき」
「哲学もどきじゃないさ。僕は哲学的だからね」
「哲学者はベッドの上でも考えるのね」
「哲学者だって動物になる時もあるさ」
「その時はさっき見たわ」
彼女との会話はいつだって同じだった。
当たり障りのない話に冗談を交えて、あたかも二人でたくさん語ったかのように見せる。
もう就職か。
6年という月日はいつの間にか僕を大人にした。
そして相対的に見れば彼女は若返ったのかもしれない。
「君が帰ってからまだ一度しかレモンケーキを食べてないね」
「そんなに食べたいなら買いに行けばいいじゃない」
「そういうことじゃないのさ」
彼女だって気づいてる。
わかっている。
それでもこんな会話を続ける。
「コーヒーでも淹れる?」
「今はなにもしたくないんだ」
「哲学者には考える時間が必要かしら」
「そうじゃないさ。そうだラジオをつけてくれ」
「こんな時間なんてくだらない深夜放送しかないわよ」
「それでいいんだ。時間が落ちていくのを楽しみたいだけさ」
彼女がラジオをつけ、ベッドに戻ってくると僕の手は彼女を触っていた。
抱きしめるなんて情熱的なものでも、官能的なものでもなかった。
ただ触れていたかった。
彼女はこちらを振り返った。
「どうしたの急に。らしくないわ」
そう言った彼女の瞳に後輩が重なった。
慌てて手を離すと、別に触っててもいいのよと彼女はいう。
ああ、なんか無性に触りたくてね。と返す。
身体中に鳥肌が沸いてくる。
刹那僕は自覚した。
「明日レモンケーキを買いに行こう」
未来。
そんなものはあるのだろうか。
今を生きる人間が勝手に想像している虚構ではないのか。
学生時代と共に急速に成長した日本経済は虚構であった。
地価とともに哀しき人々を生み出した。
彼女はなにを目指しどこへゆくのか。
僕も。テルも。後輩も。あの子も。あいつも。
まあいい。レモンケーキを食べたい。
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