第26話 グレイの選択
俺はグレイ。
少し前までは貴族の屋敷でフットマンとして働いていた。そこそこ長く勤めていたが、仕事にも主人である貴族にも全く愛着はなく、ただ生きていく為に働いていただけのつまらない人生だった。
なんでフットマンなんかになってしまったのか...
食いっぱぐれがないだろうなんて安直な考えで深くも考えず、たまたま募集があったから応募したのだが。
実家は小さな料理屋だった。
成人を機に店を手伝い始め、ゆくゆくは跡を継ぐつもりで自分なりに精一杯頑張って働いていたんだ。
けれど近くに大きな料理屋が出来てから客足が減り結局店は潰れてしまった…
両親は何とか店を盛り立てようと無理をした事が原因で過労で呆気なく逝ってしまい...
独りになり、生きていく為に何でもいいから仕事を探し、住み込みの条件に飛びついたのだったか。
まさか奴隷に落とされるなんてな…
俺を雇った貴族はザッケルの街を管理するペラード子爵で、貴族である事を笠に着た鼻持ちならない奴だった。
だがそれでも誰彼構わず無体な真似をするようなクズではなかったので、横暴な振る舞いに我慢する程度で済んではいたのだ。
でなければ12年も勤めてはいられなかっただろう。
問題が起きたのは子爵の息子のギャビンが成人を迎える頃からだ。
ギャビンは頭も悪いが下の躾も悪かったらしく、気に入った女性を手当り次第に暴行してはペラード子爵に後始末をして貰っていた。娼館の女だけでは飽き足らず遊びに行った先でも売り子や客にも手を出しては抱き捨てていたようで、何かと問題を起こしていた。
ペラード子爵の屋敷にも当然侍女や下女達は何人かいて、ギャビンは気の向くままに犯しては脅して逆らえなくしていた最低なクソ野郎だったのだ。
そんな下女の一人が妊娠した。
ギャビンはその事実を知ると下女を斬り殺したあと、吐き捨てるように「下賎な女が俺様の子種を宿すなど言語道断。死んで詫びろバカめ」と言いながら嘲笑ったのだ。
俺は運悪くその場に居合わせてしまった。
我慢の限界だった。
気が付いたらギャビンは床に倒れており、俺はどうやら思いっきり殴り飛ばしたようだった。
その後はまあ、あっという間に奴隷として売られてしまった訳である。
貴族を一発殴ったら奴隷落ちとか、自分でも笑ってしまう。
それでも何度考えても俺は同じ事をしたはずで、ならば受け入れるしかないと腹を括った。
奴隷になって3週間が過ぎ、俺より前にいた奴らはもう誰も残っておらず、後に入ってきた奴らもあっという間に買われていく。俺は次々と売られては買われていく奴隷達をただただ見送るだけだった。
店主曰く、俺はどこにも需要がないらしく、このままだと犯罪奴隷として売られて行くことになるそうだ。
顔はそんなに悪くないとは思うのだが、男娼になるにはガタイが良く年嵩なためにダメなんだそうで...
別に男娼になりたい訳では無いが、男の奴隷は最下層の下働きか使い捨ての駒、貴族階級の刑罰身代わりなどろくな未来が無い。買い手がいなければ犯罪者でもないのに、苦役従事者として売られるしかなく、男娼はまだマシな方なのだ。
女であれば多少歳がいってても病気や怪我などでなければ買い手は付くのだが、男は若者ならともかく三十路過ぎだと男娼への道はないのが実情らしい。
このままだと犯罪奴隷として苦役の従事か、他の街の奴隷商人に売られて街を移動して買い手を探すか、街を移動しても買い手が見つからなければ結局は苦役従事の道しかないらしく、八方塞がりな状況だった。
苦役に従事すると大抵は身体を壊すか、死に至る。もちろん他の目的で売られても間違いなく死ぬし、このまま奴隷商に居続けても、日に一食の食事に行水が5日おきにあるだけの不衛生な環境では結局身体を壊すだろう。まさに進退窮まれり、な状態だったんだ。
本当に。
つい4日前迄は。
信じられないだろうけど。
俺はふかふかのベッドにトイレ、シャワールームやクローゼットが完備された広くて清潔な個室のソファに凭れかかり身を委ね安心しきっている今の状況を不思議に思う。
未だ受け止めきれてはいないのだが…
このソファもテーブルと椅子も、小綺麗な服や下着に靴なども全て俺の物で、この個室すら俺が使って良い俺の自室なんだそうな。
こんな個室が2階に6部屋ある。
俺と一緒に買われたエイダンも俺の部屋の向かい側の一室が自室になった。
1階にはリビングがあり、美味い食事を腹一杯食べられる。自室への階段のあるドアとは別のもう一つのドアの先にはトイレが3つ。各部屋にもトイレはあるのに、共同で使えるようにとの配慮だそうで、要るのか?と甚だ疑問ではあるのだが。
廊下を挟んで反対側には服を洗える洗濯場がある。
そこには洗濯用の魔導具(聖属性魔法の「
また廊下の奥には大浴場があり、こちらもいつでも好きなだけ入浴して良いと言われている。
更には、地下には錬金術スキルを使って魔導具を作るための作業場と調薬室があり、地下2階3階にも専用の作業場とかがあるらしい。
元奴隷だったという先輩従業員のオルトとナジにこの居住空間について、というより新しい主人となったゼン・コウダという少年について色々と教えて貰った内容は、ちょっと...いやかなり訳が分からないものばかりだった。
毎回出てくる食事も今まで食べた事の無いような美味い料理ばかりな上に、この居住空間がゼン・コウダ...ああ、主人なのだから呼び方は改めるとしよう。ゼン様の能力で作られた異空間であり、こことは別に農場とか牧場とかの異空間もあるそうだ。
さっぱり分からん...
買い取られた翌日からゼン様に錬金術スキルでの魔導具作成を教わっていたら、俺もエイダンも錬金術スキルが覚醒した。
次々に魔導具を作成、いや、錬成というのか、していくゼン様の姿は圧巻で、俺達にもそれを求められている。
いや、無理だろ絶対。
錬成にはMPとやらをかなり消費するみたいだが、俺もエイダンも冒険者でもないのだから生来のMPなんて有って無いようなものなんだから。
...そんな俺達を見てゼン様がさ、何を言ったと思うよ。
『明日はナントローモに移動しよう。エイダンとグレイのレベルアップが必要だし、ナントローモのダンジョンは良い素材が取れるらしい。屋台組と素材狩り組に分かれて3日おきに交代するか。エイダンとグレイはしばらくは素材狩り組に同行してレベルアップに励んでくれ。あ、いや、いきなり素材狩りに混ざると下手したら死んじゃうか...護衛ゴーレムを何体か付けてしばらくは俺が一緒に付くよ』
だそうだ。
何を言われたのか分からなくてポカーンとしていたら、話がどんどん進んでいく。
そういやここに連れて来られた翌朝に冒険者登録をしたんだったわ。
あれよあれよとナントローモのダンジョンで冒険者としてのレベルアップをする事が決められていく。
エイダンの顔は真っ青になっていた。
俺は俺で脇汗がヤバい事になっていたし。
俺達二人の感情を置き去りにして、もうダンジョンでのレベルアップは確定事項となっていた。
ナントローモに着いてすぐに武器や防具を購入した。使う事すらままならないような両手剣を選んだ。何故かは分からないが、その剣を見た瞬間、目が離せなくなったのだ。
手に持ってみても重すぎて剣を振るなんて出来そうにもない。それでも、剣に呼ばれているような不思議な感覚があって結局その両手剣を武器とすることにしたのだが。ゼン様は俺のレベルが上がれば使えるようになると言っていたが...正直自信はない。
もしかして俺、色々選択間違えたんじゃないだろうか…
ソファに凭れながら天井を見上げると溜め息が漏れた。
劇的に変わった自分の環境に頭も気持ちもついていけない...
ただソファに凭れた身体には微塵も不快感はない。
経験した事もない新しい出来事の連続で、思考停止してしまってはいるが、スキルの覚醒により新しい可能性を見つける事が出来た。
俺も何か出来る側の人間になれるかもしれない。
忌々しい首の奴隷紋は従属契約に変わり跡形もなく消えた。生殺与奪の権利は握られてはいるが、酷い主では無い事は明らかで。
寧ろ普通より待遇は良い。というかおかしいくらいに大事にされている気がする。
先輩従業員の全員が主人であるゼン様を慕っているのも分かる気がした。
ただ突っ込み所は多々あって、ゼン様が言うには全員めちゃくちゃ強く冒険者ランクはCだけど実力はAランク以上だとか、なんでエルフ族やドワーフ族がいるのかとか、ゼン様が異世界転生者で、希少なスキルの保有者だとか、この居住空間が異空間だとか色々あり過ぎて飲み込める筈もない。
そもそも異世界転生者ってなんなんだ……
ふぅ...
溜息をひとつ。
それでも明日からはダンジョンで魔物と戦いレベルを上げていく事は決定している。
せめて十分な睡眠を取り身体の状態は整えておかなければ。
俺は重い腰を上げベッドに向かった。
相変わらず寝心地の良いベッドである。
普通奴隷にこんな上等なベッドを提供する事なんて有り得ないんだがな……
ああ今は従業員だったか。
くっと思わず笑いが漏れた。
つくづく変わった少年だと思う。
俺はベッドに横になり目を閉じる。
明日からの事を思うと不安は大きい。だが、錬金術スキルを覚えたように、また何か新しい事を覚えるかもしれない。そんな淡い期待を胸に俺はあっという間に夢の中へと落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます