第九話 説教

 車は街をあとにした。


「単刀直入にいいましょう。いまね、車を運転している銭居さん。ご存知ですか?」


 車内で、さっそく赤野は用件を切りだした。


「名前だけ」

「その銭居さんが、あなたの絵を買うっていってるんですよ。あなたの部屋にあった、修道士を埋葬するやつ」

「……」

「銭居さんが払った金でこっちに支払いをしてくれたら、なんの文句もありませんよ。ついでに名前もあがるじゃないですか」

「そんなつもりで描いたんじゃありません」


 馬場はうつむいた。


「はぁ?」


 馬場の正気より自分の耳を疑う赤野。


「あれは、僕達のために書いたんです」

「達? 達って私とお宅のこと?」

「そうです」


 芸術家は、なかなか世間に理解されづらい印象がある。そんなステレオタイプな偏見をかきたてられる発言……否、妄言だった。


「あのね。お宅の芸術がどうだろうと、こっちにはどうでもいいの。オカネ。あんた、今度滞納したら強制退去って忘れたの? 経歴までいい加減だったじゃない」

「まやかしです。魔女が僕達をたぶらかすための狂言なんです」

「もういいよ。あんた、それこそ銭居さんのところで下働きでもするか?」


 そう切りすてつつも、はたと思い当たった。


 何故、これまで自分はそれを思いつかなかったのだろう。馬場だってまがりなりにも安定した収入をえられるはずだ。


「邪魔がはいらないよう、県境の山にいきますね」


 銭居は車を加速させた。


 山道にさしかかり、道路には信号機もなくなってきた。馬場がもし車から脱走しようものなら、全身打撲で重傷はまぬがれないだろう。


 それは赤野も同様だった。ただし、気づかないふりをした。


「九里さんもね、どうしてつまらない嘘をついたんだか。結局無意味だったじゃないか。せめて、合流場所まで護衛でもすれば多少は違っただろうに」

「いません」

「え?」

「九里さんなんて、いないんです」


 そう断言する馬場の台詞こそ消えいりそうだった。


「いまなら間にあいます。赤野さん、僕を自由にして下さい」

「バカかあんた。さっきまでの話聞いてなかった?」

「僕はあの絵を、テルカンプ司祭の元へ届けないといけません。魔女が起こした嵐のせいでできなかったんです。すぐに魔女がくるとわかって、逃げるほかありませんでした」

「妄想はよそでやってくれ」


 聞く方にも限度がある。


「赤野さん、おかしいと思いませんか? 保証人があやふやだったり、そもそもとくに努力もしてないのに賃貸ビルのオーナーになれたり」

「大きなお世話だよ。俺が無能なオーナーだっていいたいのか?」

「違います。魔女はあなたの魂が欲しくて罠にかけているんです」

「もうやめろ。じゃあ、とにかく絵は売らないっていうんだな?」


 怒鳴りたいのを我慢して、赤野は決断を迫った。


「はい、売れません」

「じゃあ、家賃滞納であんたの資産は没収。裁判所に手続きとるから。どっちみち絵は俺のもんだ。それから銭居さんに売るよ。あんたは博慈院にでももどるんだな。強制退去の宣誓書は作ってあるんだし」

「手続きには何日もかかります。そのあいだにあなたが気づいて……」

「この辺でいいでしょう」


 するりと銭居が話に割りこんだ。


 車は、山奥にある公園の駐車場にはいった。だれもおらず、青黒いアスファルトには濡れ落ち葉がところどころにへばりついている。


「赤野さん、あの模様!」


 馬場の右人差し指が、窓ごしに落ち葉の形作る模様をしめした。角の生えた長方形。悪魔のシンボルだ。その一隅に、一株のヤブランが咲いている。赤野はどこか記憶にひっかかった。


「た、ただの偶然だって。くだらん」

「魔女が自分の縄張りを誇示するシンボルなんです!」

「はいはい、わかったからとりあえず降りな」


 奇妙な高揚感とサディスティックな感情が、赤野の心にじわじわ流れこんできた。


 ここまで頓珍漢な妄想を吐いて、とにかく馬場は金を払いたがらない。ならば、多少は手厳しい目にあわせてもなんら問題ないように思えてくる。どうせ山奥で、逃げようもないことだし。


 それに、これまでほとんど大半の行動を銭居の指示のままに消化してきた。いまこそ、自分のやりたいようにやる潮時ではないのか?


「お疲れ様でした」


 場違いなほどにこやかに銭居はねぎらい、エンジンを切ってからトランクを開けた。


「おい、降りろ」


 赤野は、馬場をつれて車を降りた。


 赤野達が見守っているうちに、銭居はトランクからスコップをだした。修道士を埋葬する絵にでてきたそれと、ほぼ同じものだ。


「まあ、こっちもあまり手荒なまねはしたくないんだがな」


 心得顔に、赤野は銭居からスコップをうけとった。


「こちらへどうぞ」


 銭居は率先して歩きだした。赤野も、馬場を監視しつつあとについていく。


 大地は、駐車場から遊歩道をへて本格的な山中に包まれた。昼下がりだというのに、薄暗くじめじめした空気が一同にまとわりついてきた。


 銭居はしばらく歩いてから遊歩道をはなれ、傾斜の急な獣道にはいった。足元がすべりやすくなっているのはだれでも察しがつく。にもかかわらず、銭居は遊歩道とまったくかわらない様子で獣道を踏みしめた。


 獣道は三坪ほどの開けた場所で終わっていた。赤野は、肩で息をつきながら馬場を見やった。彼も呼吸が苦しそうだ。唯一、銭居だけが平然としている。


「さてと、馬場さん。ここで膝をついて座って頂けますか? たっているのもつらいでしょう?」


 親切を装って、銭居は持ちかけた。返事もせず、馬場はたったままだ。


「座れよ」


 赤野は、馬場の両肩に手を置いて無理矢理押しさげた。そうして馬場は、赤野達に対してひざまずく格好になった。


「最後のチャンスをやるよ。まあ、三分ってとこだな。絵を銭居さんに売れ。そうしたらこれまでのことは全部許してやる」


 スコップの柄で肩をぽんぽん叩きながら、赤野は宣告した。


「断ります。赤野さんこそ、まわりを見てみた方がいいですよ」


 馬場の指摘に、思わず顔が動いた。


 まるで舞台を観劇するように、多くの人々が集まっていた。博慈院の子供達。引率の教諭。光川、渕原、九里。飛田までいる。


「あー、そのままそのまま。今ね、すっごくヤバイ動画になってます。生放送で再生回数ハンパないっすよ」


 スマホのレンズを赤野にむけながら、飛田は充実感極まりない気持ちをこめた。


「な、なんだこれは!」


 スコップを地面に落とし、赤野は叫んだ。


「皆さん、私の方針に賛成なさったんですよ」


 銭居が、説明になってない説明を述べた。


「方針!?」

「そろそろちゃんと思いだして下さいな。メールを送りますから」


 銭居がスマホをだしてなにやら操作すると、赤野のそれが受信した。開封すると本文はなく、四枚の画像が添付されている。


 なにか映画の一場面のように、中世の騎士達の戦場、森の中の一軒家、フードを目深にかぶった男性、そしてどこかの屋敷のなかが次々に表示された。


 そうだ。敵の騎士を討ちとった時、いまわのきわにテルカンプは『エリザに気をつけろ』といいたかったのだ。それが伝わらないまま、帰り道に森で迷った。一晩の宿を求めて訪れた館に現れたのが、魔女エリザ本人だ。どうにか逃げのびてから、修道士のクリューガーにあった。父の屋敷に顔をだすと、エリザが彼の家族と待ち構えていて……。


「あの時、あの時俺はお前の誘惑を拒絶して安らかな眠りについたはずだ! 終わったはずだろう!」


 急激に取りもどされた、まとわりつく記憶を振りはらうかのように赤野は叫んだ。


「いいえ。あなたは埋葬が終わったあと復活したのですよ」

「そんなはずはない!」

「私が蘇生させましたから。魔法を使わず」

「馬鹿げている!」

「毒で仮死状態になっていたぶん、埋葬された時のダメージがかえって少なくてすんだのです。もちろん、最初からごく浅い墓穴にしてもおきました。最後に土をかけたのは私ですから、鼻のまわりだけ土を避けるようにしておきましたし」

「どうしてそんな手間をかけるんだ!?」

「もうちょっとそのあたりを考えて下さいな。こういうことは、寸前で気づいた方が大きな衝撃になるでしょう? ふつうに堕落するのではいけません。もっともっとゆさぶらないと。私達の愛の成就のために!」

「わ、私達の愛の成就!?」

「赤野さん、僕の絵をテルカンプ司祭に渡して下さい!」

「お黙り!」


 突然、銭居は一歩踏みこんだ。腰をかがめ、赤野が落としたスコップを拾う。電光石火、彼女はスコップの平らな部分で馬場の頬を張りとばした。風船を割ったような音が響き、馬場の身体が大きくかたむいた。


「は……は……や……く……」


 赤く腫れあがった頬を手で抑えつつ、馬場は懇願こんがんした。


 半ば本能的に、赤野は振りかえって走り始めた。獣道にもどり、一気に傾斜を降りて駐車場へ。


「待てーっ!」


 銭居がスコップを片手に追ってきている。恐怖が、赤野の足を本来の限界の倍になる速さで動かした。


 駐車場まではそれほど難しくなかった。車は、銭居が鍵を持っているから使えない。国道を走るのは、追いつかれるのが目に見えている。


 赤野の頭を、だれかが軽く小突いた。仰天してあたりを見回すが、だれもいない。頭だけといわず、肩から腕から小さな氷の塊……雹が降り注いできた。銭居の自動車にも、ひっきりなしに雹がぶつかっている。


 とまるわけにもいかず、とにかく走ろうとして足がすべった。ぶつかってケガをするほどの大きさではない反面、雹はあっというまに路面を埋めつつある。銭居の仕業だとしたら、自分が損をするような仕組みは実行しないはずだ。つまり、すぐにでも追いつかれるだろう。


 万事休すか。しがみつきながらでも歩けるものにたどりつこうとして、赤野は駐車場の柵を目指した。よろめき転びつつもどうにか成功した。柵のむこうがわは、断崖絶壁をはさんでダム湖になっている。柵そのものはほんの数百メートルでとぎれ、薮と雑木林だ。それらをこえてもいつかは道路に出ねばならない。


 銭居は右手でスコップの柄を持ちつつ、遊歩道の出発点にまで迫ってきた。


 彼女とダム湖を交互にみやり、赤野はダム湖に飛びこんだ。十数メートルの落差を数秒で断ち切り、着水と同時に巨大な水柱が雹を押しのけて高くあがった。

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