第八話 検証 三

 深く追求するのはやめておこうと、赤野は思った。


「ここも不在ですね」


 実のところ、赤野としてはそれほど期待はしていなかった。


「ええ」


 銭居は自分のスマホをだした。


「あ……九里さんが動き始めました」

「えっ!?」


 ならばなおさら美術館にいる理由はない。


「慌てて走ったりする必要はないです。落ちついて行動しましょう」

「はい」


 銭居にうながされ、赤野は展示室をあとにした。それでも一回だけ振りかえった。一枚目の絵の中で、膝枕をされていた男性がむくっと起きあがった。彼の顔は、赤野にそっくりだ。凶大とすらいえる驚きが、赤野の足をとめた。


「どうなさいました?」


 銭居までが足をとめた。絵は元の絵になっている。


「い……いえ……」


 目の錯覚。目の錯覚にすぎない。馬場が芸術家ゆえの幻覚にとらわれるのならまだしも、自分は違うはずだ。


 美術館をでて車にもどると、銭居は改めてスマホを確認した。それからいくつか画面を操作した。


「ドイツ語学習教室『ターク』。教室に使っている建物は中堅不動産のアパートですね。個人営業の塾に近いスタイルで、自宅をそのまま当てているんでしょう」


 たしかに、九里はドイツ語の講師と名乗っていた。


「かけもちしてるんですか?」

「多分、孤児院の方は非常勤です。このごろは、英会話教室でもかなり経営が苦しくなっていますから」

「私室を業務利用するのは規約違反でしょう」

「逆に、業務利用で契約した部屋を私室にも使っていると考えるべきでしょうね。アパートのオーナーにどう話をとおしているかはわかりませんが」


 そういえば、自分のビルのテナントにも外国語教室はなかった。妙なところで納得した。


「道のりは地図検索で把握しました。出発します」


 銭居は車のエンジンをかけ、美術館をでた。


「教室は二階の三号室にあります。私はベランダのあるがわに行きますから、赤野さんは玄関で九里さんとお話して下さい。しらばっくれるでしょうけど、ころあいを見て私から『窓に馬場さんがいるのが見えた』とメールします。それをつきつけて下さい」


 運転しつつ、銭居はてきぱきと計画を説明した。


「他人の空似とかいわれたらどうします?」

「一度諦めたふりをします。待っていれば必ず馬場さんはでてきます」

「どうしてそれがわかるんです?」

「最初から、計画的な篭城ではありません。もしそうなら、絵を放置したりはしません。九里さんも一時的にうけいれただけで、食べ物を構えたり自分の教室とかねあいをつける余裕なんてありません」

「でも、何日かは持つかも知れないでしょう」

「その場合は、あなたが電話をいれて下さい。債権者として本人を探しているんですから」


 取りたてはシビアにおこなわねばならない。それと承知していても、よい気分はしなかった。立場上、銭居に任せられる話ではないのも十分理解している。そもそも、すんなり馬場が姿を現して銭居と商談をまとめれば終わる話だろう。そこは、祈るほかなかった。


 九里のいるアパートには、それから十五分くらいで到着した。三階建てでほどほどに大きい。赤野からすれば、防犯は大して意識されてないかわりに建材や間取りは良心的に思えた。


 アパートの近くには、あいにくとコインパーキングがない。代わりに、そこそこ大きなスーパーがあった。このさい便乗駐車になるのもしかたない。


 スーパーの駐車場から五分ほど歩き、アパートの前まできた。二人は手はずどおりに二手に別れた。赤野はアパートの階段をあがって二階へいき、三号室のドアを正面にする。なるほど、『九里 与羽』と表札があった。ためらいなく呼び鈴を押す。


「はい」


 しばらくして、インターホンから九里の声がした。このインターホンは防犯カメラつきだ。午前中に会ったばかりの赤野が、いま現れたのは動揺せざるをえないだろう。赤野からしてもうわずって緊張した口調に聞こえる。


「先ほどはどうも。赤野です。そちら様に馬場さんがいますよね?」

「知りません。帰って下さい」

「アパートのオーナーに話をしますよ」


 蛇の道はヘビである。相手がインターホンのスイッチを切る前にすばやく告げた。


「話って、なにをですか」


 ふてぶてしく切りかえしたつもりだろうが、やはりかすかながらも語尾が震えている。


「お宅、契約外の店舗の使い方してるでしょ」

「あなたとは関係ないですね」

「同じ不動産仲間として持ちつ持たれつしていますのでね、どうにでも理由をつけられますよ」


 半ばははったりだったが、相手は沈黙した。そこへ、銭居からメールが入る。スマホを出して画面をたしかめる様子をつくろった。


「馬場さん、窓から姿が見えたみたいですよ」


 スマホをしまいながら赤野は告げた。


「いい加減にしてくれませんかね。あんたヤクザかなにかですか。馬場さんなんて知りませんし、私がどうアパートを借りようとあんたの知ったこっちゃないでしょうが」


 苛だちを隠さず、九里は叩きつけるようにいいわたした。


「そうですか。今回はこれくらいにしておきますが、またのちほど」


 いいたい放題にいいはなって、赤野はドアに背をむけた。そのまま階段を降りて、銭居と合流する。


「いかがでした?」

「銭居さんが予想した通りの展開でしたよ」

「そうですか。じゃあ、アパートを見張りましょう」

「アンパンと牛乳でも買いますか」


 下手な冗談を飛ばした赤野に、銭居は薄く笑ってポケットからスマホを出した。ガムテープがついたままだ。


「ここ、大して警備が厳重じゃありませんから。このスマホをSNSの動画通話にして、私のもう一台のスマホに回線を通じさせておきます。もちろん、目だたないように。あとは、すぐに駆けつけられる場所で待機しましょう」

「九里が車をだしてどこかにいくんじゃありませんか?」

「仮にそうだとしても、どこかの合流点までは徒歩かバスでしょう。私達が車を尾行してアパートを特定したのは、さすがに察しているでしょうから」

「なるほど」

「じゃあ、作業中に見張りをお願いします」

「わかりました」


 赤野が請けおうと、銭居はアパートの階段にいってなにやらごそごそ作業し、すぐもどってきた。


「準備できました。すぐそこのコンビニに飲食コーナーがありますから、そこで見張りましょう」

「ええ」


 飲食コーナーの利用自体は無料なので、学生や主婦層もよく使う。つまり、目だたずにすむ。


 二人は店にはいった。赤野は缶コーヒーだけ買った。銭居も豆乳を買っただけだ。店の出入口に近い席に座り、あとはスマホの画面を見つめる。


「馬場さんが部屋をでたら、私は車をだしてアパートの前につけます。それまで赤野さんは馬場さんを釘づけにして下さい」


 銭居の声は、店内の有線放送に紛れて隣の席にさえ届いてない。


「ど、どうやって」

「方法はお任せします」


 冗談とも本気ともつかない顔で、銭居は一口豆乳を飲んだ。


 缶コーヒーも残りわずかとなり、他の席の顔ぶれも一新されたころ。スマホの画面のなかでドアが開き、馬場が姿を現した。痩せて顔色が悪く、うらぶれた格好をしている。


 半日以上も手こずった。これで年貢の納め時にせねば。


 赤野は、銭居とともに無言で席をはなれた。すれ違いざま、ごみ箱に空き缶を捨てる。アパートへ急がねばならなかった。銭居は、赤野とアパートに背をむけ足早にスーパーへ進んだ。


「馬場さん」


 馬場が、まさにアパートを囲む塀からてわた瞬間だった。馬場が目をむく暇もあればこそ、赤野はがっちりと彼の右腕を掴んだ。


「困りますねえ、滞納のうえに連絡もなしに消えられては。さんざん探しましたよ」

「ぼ、僕を自由にした方があなたのためですよ」


 なんともユニークな反論に、赤野はつい吹きだしかけた。


「そんな台詞は払うものを払ってからのたまって下さいよ。とにかく、いっしょにきて貰います」

「ど、どこへ!?」

「すぐわかりますよ」


 そこへ、タイミングよく銭居の車がきた。馬場はほとんど抵抗しなかった。諦めているのか、魂胆でもあるのか。とにかく赤野は後部座席を開け、馬場を車内へ突きとばしてからすぐ隣に座った。ドアを閉めて車が走りだすところまで、ちょうど一分で完結した。

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