第七話 検証 二
「まあ、難しく考えるのはあとにしてお昼にしましょう。レストランなんていくらでもありますし」
「え、ええ」
実際、あちこち駆けずり回ったせいで空腹も酷くなっていた。赤野はこの辺りには土地勘がなく、銭居に一任した。
二人は『ベルリンの風』なるドイツ料理店に入った。そこでポークソテーランチをそろって注文し、午後からの探索に備えつつ情報を交換することにした。
「私の方では、聖クリューガーの略歴が分かりました。生年は一〇九二年で、一番古い記録だと一一二二年にプラハで司祭をしていたとありますね」
いいおえて、銭居はコップの水を飲んだ。
「プラハ?」
「ドイツの南東にあるチェコという国の首都ですよ。当時はかなり大きな都市でした。今でも百万人を越える市民がいます」
首都で百万人とは、日本からすれば逆に小さな規模ではある。東京が極端なだけで、むしろプラハの方が標準サイズなのだろう。
「それで、一一二八年には司祭を辞めて姿を消しています。次の記録は一一三五年です。ローテ子爵の屋敷で歓待を受けたとあります」
「ローテ子爵! こっちの資料にもありました」
「それは心強い一致ですね」
そこでランチのスープが運ばれた。インゲン豆のポタージュだ。
「ドイツといえばじゃがいもが有名ですけど、中世にはまだ存在しませんでした」
「物知りですね」
「美術品なんかで自然に覚えますから」
二人はスープを飲んだ。甘く濃厚でとてもおいしい。
「とにかく、聖クリューガーは歓待をうけたローテ子爵家の何人かが悪魔崇拝者と見ぬいて糾弾したわけですよね」
「はい。それからは異教徒の改宗に尽力したそうです。ただ、没年は不明瞭です」
馬場は、教会のステンドグラスに描かれた聖クリューガーに感銘をうけてドイツに渡った。その聖クリューガーは、ローテ子爵家の悪魔崇拝を正していた。馬場がなんらかの形でそれを知ったとしても無理はない。
しかし、それが何故『修道士の埋葬』……馬場が残した絵……に至ったのか。そこさえ埋まれば、支離滅裂としかいいようのない逃避行の動機も明らかになるだろう。
スープの次に、小さなボウルに入ったサラダがきた。レタスとタマネギとニンジンが入っている。ドレッシングをかけ、食べつくした直後にポークソテーがきた。つけあわせの米飯も一緒だ。
食事はまったく悪くなかった。ソースは甘辛風味でいかにも日本式だった反面、豚肉はふだん食べなれているものよりは歯ごたえがあった。
「お酒が大丈夫ならワインでも飲まれますか?」
「昼間から?」
「冗談ですよ」
親しげに銭居は笑った。半ばは儀礼で赤野も笑った。
『私の血はうまいか、ローテ卿?』
どこかでそんな台詞が聞こえてきて、赤野はフォークを落としそうになった。
「どうなさいました?」
「い……いや、空耳で。私の血はうまいか、とか何とか……」
「博慈院で似たようなお話があったので、そのせいでしょう」
澄まして銭居は説きあかしてみせた。赤野としても、深く議論したい内容ではない。
食事は終わった。銭居は自分のスマホをたしかめ、九里がまだ動いていないと断定した。
支払いをすませてレストランをでてから、二人は車にもどった。わざわざ話をするまでもなく、次の目的地は美術館となる。
『候補地』の一つにあった県境の山……渕原が口にした場所……は、あまりにも漠然としすぎている。二人で探すには広すぎる。だから、手近で確実に白黒のつく場所から始めねばならない。それは理解できる。
しかし、赤野にはかすかにひっかかるものがあった。何故、馬場が県境の山にいる可能性について煮つめようとしないのか。望みが薄いのはわかりきっているからか。なるほどそれはあるだろう。なら、あらかじめそう宣言してもよいではないか。
いやいや、自分が疑問に思ったのなら打ちあければよい。パートナーではないか。
パートナー……? 自分で浮かべた言葉に、赤野は首をひねった。ある程度の利害は一致するにしても、そこまで踏みこんだものか……? パートナーといえば、九里は銭居が美術商なのを知っていた。銭居はわざわざ自分のスマホまで使って九里を追跡しようとしている。間接的にせよ、なにか因縁でもあったのか。
疑問とは裏腹に足は進み、赤野は銭居の車の助手席に納まった。銭居はハンドルを握り、速やかに美術館にむかった。
嵐はほぼやみつつあった。荒れるよりはましにせよ、どんよりと曇った空が赤野の心を湿らせている。一つ一つの項目を検証していくのとは反対に、銭居への疑心暗鬼は足ぶみしたままだ。
彼の困惑をよそに、車は十分ほどで美術館にいたった。
本館は、角ばったガラス張りの壁……むこうがわは見えないようになっている……が二つの長方形を作って合体した姿をしている。植えこみは敷地と道路を区切るためだけにあり、中庭とは別に駐車場が構えてあった。さらに、建物の周りはくるぶし程度の浅さの水を張った堀とも池ともつかぬ砂利底の水場で囲まれている。魚はおらず、いうまでもなくたちいり禁止である。
二人は屋根つきの屋外廊下を歩いた。ついで玄関をくぐり、すぐ左に入った場所にあるカウンターで入館料を払ってチケットをうけとった。
「二階の常設展示でシャガールをだしていますね。シャガールというのは二十世紀の中盤から後半に活躍したロシア出身の画家です。それとは別に、馬場さんとは無関係な新人の個展で『魔女狩り』がありますね。こちらも二階です。三階から先は、関係者しかでいりできないので無視しましょう」
「はあ」
魔女狩りなど、ハリウッド製のB級時代劇か安物のファンタジー小説くらいしか思いうかばない。
「まずは一階を確かめましょう。要領は図書館と同じです」
「わかりました」
この作業に異論はなかった。そして、めぼしい収穫はなかった。必然的に二階へあがった。赤野はシャガール展、銭居は無名画家の魔女狩り展へ。結論からいうと、赤野は成果なしだった。
そのあと、赤野は廊下にある待合用ソファーに座った。魔女狩りの個展から銭居がでてくるのを待つつもりだ。
彼女はいつまでたっても現れない。美術館で電話をかけるのはマナー違反であるから、簡単なメールを送った。梨のつぶてだった。迷路やかくれんぼでもあるまいし、五分もあればかたがつくはずだ。
手洗いかなにかかも知れない。もしそうなら、メールを送ったのはいささか軽率だった。
黙って座っているのに耐えられなくなり、赤野は改めて銭居にメールを送った。さらに、時間を潰すべく無名画家の『魔女狩り』展にはいる。どうせなら、自分もたしかめるにしくはなかろうくらいの気持ちだった。
順路と書かれた矢印つきの案内板にそって床を踏むと、仕切壁兼パネルにすえられた絵が順序よく目にはいった。シャガールはともかく、こちらはだれも見学者がいない。
最初に、『
女は豊満ではないが均整のとれた身体つきをしており、裾も袖も短い白い服を身につけていた。袖口と襟元だけは赤い。男は筋骨たくましく、半裸だった。そして、茶色い腰巻きを身につけ、足には同じ色のサンダルをはいている。足元には、円い盾と長い槍を壁にたてかけていた。
次は『祈願』だった。石畳の上に正座に近い座り方をした人物……身体つきと服や装飾品で一枚目の女と推察できるが……が、石の祭壇に正対している。祭壇には牛の頭がすえられ、両脇に置いてある長い支柱のうえには銀色の鉢から煙が一筋ずつ昇っていた。
三枚目は『異変』だった。緑がかった黄色の胸甲に脛当てをつけ、とさかのような羽根飾りをつけた兵士が二人がかりで女の髪と左腕をそれぞれ掴んでいる。女は、これまでの絵にでてきたのと同一人物だ。兵士達は、神殿の廃墟のような建物から彼女を引きずりだそうとしていた。さらに、もう一人の兵士が建物の出入口で牛の首を右手に下げていた。正確には頭からはえている角を握っていた。
四枚目は『拷問』だ。薄暗く、赤茶色の闇のなかでくだんの女性はあおむけの全裸になっていた。もっとも、胸と股間は隠してある。そして、三角形の断面をした柱に寝かされていた。その頂点が背中に当たるように。柱は支柱で床からつきあげられている。彼女の両手両足は柱の下に回したロープでそれぞれくくりつけられており、口にはじょうごがあてがってあった。
題名のとおり、三角目出し頭巾をかぶった拷問係がひしゃくの水をじょうごに流しこんでいた。彼女の腹は妊婦さながらに膨れあがっている。
次第にグロテスクになっていく絵の内容に、さすがに足がとまった。赤野には拷問を見たり実行したりして楽しむような悪趣味はない。
「お待たせしました」
背後から小声で銭居が呼びかけ、思わず叫び声が漏れるところだった。
「銭居さん、一体どこに……」
「ごめんなさい、馬場さんらしき方を見かけて追っていました。人違いでした」
それなら理解できなくもないが……。
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