第四話 収録
「まず、あなたの身分証をだして下さい」
三人で車内にはいってすぐ、銭居は要求した。
「はい、どうぞ」
トビーはズボンのポケットから財布をだし、中から免許証をぬいた。
「飛田 丸雄さん、ね。これ、写真とらせて貰うけどいい?」
「はい、そりゃもう」
トビーこと飛田は、あっさり承知した。銭居は自分のスマホで実行した。
「馬場さんについて知っていることを全部話して下さい」
免許証を返しながら銭居は聞いた。
「いやー、ほんの二、三十分くらい前かな? さっきの教会からでてきたんで、あんたらと同じように取材したんだよね」
「それで?」
銭居はうながした。
「さっきみたいに自己紹介しあうじゃない? それで名前もわかったし、美大生だってね。教会のステンドグラスが絵の勉強になったからっていってたよ。なんなら動画見る? 編集してないけど」
「いえ、それは不要です。それより、『勉強になったから』だったのですね? 『勉強になるから』じゃなく」
「ああ、録画しながら聞いてたんで間違いねえよ。ちなみに教会の中も撮影したかったんだけどさ、司祭が筋肉モリモリのゲルマン人でスゲー怖えっていうからやめた。チキンです、ハイ」
「… …」
銭居は無言で先を急がせた。
「魔女の都市伝説ってさ、犠牲者が誰かの血をワインとかってだまされて飲まされて契約されちゃうやつ。なんでも叶うっていわれて願いごとをしたら、一応は叶うけど結局は……」
「馬場さんと関係ある話だけをお願いします」
冷ややかに銭居はさえぎった。
「まあ待ちなよ。こっから盛りあがるんだからさ。それで馬場さん、実際に血を飲んだって言うんだよな」
「ええっ!?」
と驚いたのは赤野である。
「嘘じゃねえよ、本人が告白した動画あるんだから。いっとくけどヤラセじゃねえよ。疑うなら、馬場さんに確かめたら?」
「血を飲んだっていうのは、牛とか豚とかの血じゃないんですか?」
あくまで冷静に、銭居はただした。
「俺もそこは気になったよ。ツッコんじゃいましたよ。ガチで人間のだってさ」
「馬鹿な……」
赤野はうめいた。たしかに、馬場は浮世ばなれした人間だろう。これはもう、そんな水準をとおりこしている。
「どうやってそんなもん手にいれたんだよって聞いたら、魔女が目の前で自分の腕を切ったっていうじゃない。もうブッ飛んでるよね、俺の名前じゃねーけど」
「魔女ってどんな人だったんですか?」
銭居の質問は、まさに赤野も知りたい話だった。
「それがさー、肝心なトコあやふやなんだよね。性別も身体つきも覚えてないっつー話でさ」
仮に飛田の説明が事実なら、馬場の妄想という可能性もあった。
「血を飲んだのと教会に最初にはいったのは、どちらが先ですか?」
「さあねえ、俺もそこまでは聞かなかったし。でも、街はずれの孤児院にいくって話だったよ。名前までは知らね。俺の話はそれでおしまい」
「そうですか、ありがとうございます」
「どうも」
銭居に調子を合わせて赤野も礼を述べた。
「どういたしまして。で、こっちの用なんだけど……」
数分後。飛田のスマホでは、顔にモザイクのかかった赤野と銭居が本人とは似ても似つかぬ声音でタコ型火星人の陰謀だのアトランティスの
「いやー、キレッキレの場面になったよ。金よりこっちの方がいいね」
飛田は満足そうだった。
「約束を破ったら覚悟して頂きますよ」
銭居の念押しに肩をすくめ、飛田はスマホの画面を閉じた。
「じゃあ、俺はこの辺で」
スマホをしまい、飛田は車をでて去った。
街はずれの孤児院とやらが次の目的地なのはよいとして。飛田の情報が正しいなら、赤野がえた『ビジョン』と馬場の体験はかかわりあいがあるとしか思えない。
「孤児院……私が検索しましょうか?」
銭居が気をきかせた。
「赤野様?」
「あ、ああお願いします」
慌ててとりつくろいつつ、赤野は銭居のほっそりした横顔をつと眺めた。
また雷が光り、銭居の彫刻めいた美貌をうきたたせた。
「はっきりしました。車で十分くらいですね」
「ならいきましょう」
とにかく、馬場にあいさえすれば明確になる。そもそも赤野の目的は家賃のとりたてなのだ。
「じゃあ、駐車料金を精算してきますね」
銭居が一度車をでた。
彼女の背中を眺めながら、ふと赤野は思った。
なるほど、法的には赤野の立場が一番強いかもしれない。しかし、馬場の絵を銭居が買わないことには……なおかつ一定の金額に達さなければ……結局は無意味だ。
では、銭居が一番強い立場なのか。その銭居の行動に大義名分を与えているのは赤野ではある。銭居からすれば、取引のある画家は馬場だけでもないだろうに。
考えが乱反射してまとまらなくなった時、精算を終えた銭居がもどってきた。
「それでは出発します」
「はい」
車輪がロック板を踏みつける感触をへて、赤野は銭居とともに教会を背にした。
「孤児院……さっきの教会が運営していますね」
車を運転しながら銭居は説明した。
「じゃあ、お祈りの時間なんかあるんですかね」
映画かなにかで知ったうろ覚えの知識を、つぶやくように赤野はかえした。
「あるでしょうね。孤児院もピンキリですので、実際にあたらないとわからないことも多々あるでしょう」
「今度もアポはなしですか?」
赤野は、テルカンプの冷ややかな対応を思いだしていた。
「はい。馬場さんがいれば逃げられますし、いなければ手がかりだけ聞けばすみますし」
だから、これ以外の場所でも同じ要領だといわんばかりの銭居だった。
雨は依然として激しく降っていた。教会と違い、郊外という点もあってか孤児院には駐車場があった。
『博慈院』なる木製のたて札が、幼児むけのアニメキャラめいたオブジェに抱えられている。
ブロック塀に囲まれた建物は、カトリック伯林教会ににた造りをしていた。三角形の屋根から駒形の張りだし窓が突きでている。雨なので、屋外には人はいなかった。
「赤野様、インターホンで連絡をとって頂けませんか? 馬場さんを探していると、はっきり聞いて頂いて構いませんから」
「はい」
赤野は、たて札についているインターホンのボタンを押した。
「はい、博慈院です」
テルカンプとはまた別なよそよそしさがこもった、中年の女の声がした。
「すみません。私、赤野と申しますが、そちら様に馬場さんと仰る方はきてないでしょうか?」
「少々お待ち下さい」
なにかスイッチを押す音がして、場違いに清々しいクラシックが流れた。
「お待たせしました。馬場さんにどんなご用件でしょうか」
最初よりはましな、老いた男の声に代わった。
「大変失礼ながら、私が経営している賃貸ビルの家賃を馬場さんがかなりなあいだ滞納してらっしゃいまして。人づてに、馬場さんがこちらにいらっしゃるとうかがいました」
「わかりました。鍵はあいていますので、おはいり下さい。そのまま玄関をぬけられたらすぐ横に事務室がありますので」
「ありがとうございます」
驚いた。家賃のとりたてなどもめるに決まっている。だから、仮に馬場がいるなら建物から放りだす形で話をさせるのが筋だろう。ましてここは孤児院だ。
いずれにしろ、先方が許可したからにははいらざるをえない。赤野は門を手で押し開けた。銭居をともなって玄関にくると、事務室はすぐに見つけられた。
土間をはさんで、事務室のむかいには傘たてと下足箱がある。スリッパも差しこまれていた。二人して傘たてに傘をいれ、スリッパにはきかえた。
土間から廊下へは段差がなく、そのまま奥の部屋が見とおせた。四、五歳くらいの幼児達が数人、熱心にお絵描きをしている。赤野としては、多少なりと気持ちが穏やかになった。
「しあがった人はいますか?」
幼児達に囲まれた、髪を背中で束ねた大人の女が尋ねた。かわいらしい花柄のエプロンをつけている。同時に事務室のドアが開いた。
事務室から赤野達を観察しているのは、厳しい表情をした痩せて髪の短い中年の女だった。エプロンは身につけておらず、ポロシャツとスラックスの上下だ。
「赤野さんですね?」
インターホンと同じ口調だった。
「はい」
「そちら様は?」
「銭居と申します。赤野の助手です」
でたらめを語りつつ、銭居は頭をさげた。
「はーい!」
絵を描いていた子供達が、いっせいに作品をエプロンの女性に見せた。思わず赤野は視線をむけてしまった。
どの作品も、奇妙な前衛芸術めいた模様を形にしていた。長方形の長い方の一辺をわざと波線にして、その両端から角のようなものがはえている。
「かしこまりました。どうぞ、こちらへ」
絵はそこまでにして、赤野と銭居は事務室へ足を踏みいれた。
「失礼ながら、手元不如意で粗茶しかご用意できません。お待ち頂けますか?」
「いえ、お構いなく」
さすがに、アポもなくおしかけて茶ばかり飲むわけにはいかないだろう。
「お待ち下さいませ」
ポロシャツの女は、事務室から廊下にでないがわにある隣の部屋にいった。給湯室らしい様子が、戸口をすかしてちらっとだけ見える。
ヤカンを軽くすすいでから水を貯める音がした。それからガスコンロに置いて点火したようだ。
彼女がもどってきた。
「お待たせしております。馬場さんが家賃の滞納というお話ですよね」
「ええ。ここにいらっしゃるんですか?」
赤野は、ようやく肝心な質問ができた。
「あいにくと、少し前にでられてしまいました」
またしても空振り。しかし、まだ手がかりがえられるかもしれない。
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