第三話 追跡
正門をくぐり、玄関にある傘たてに傘をいれてからドアを開けた。細長い廊下をへて、またドアがあった。『聖堂』と記された小さな
「馬場さんがいるなら聖堂でしょうけれど、はいる前にまず聖水盤に軽く両手の指を浸すのがマナーです」
銭居は右手の平で盆を示した。そういうものかと思い、赤野はいわれたとおりにした。
その瞬間、頭のなかに摩訶不思議な映像がうかんだ。中世ヨーロッパの鎧兜を身につけた騎士が、地面にあおむけで倒れている。喉を切り裂かれ、致命傷なのは明らかだ。
『……リザ……』
血を吐きながら、瀕死の騎士は言葉を押しだした。
『リザに……』
「どうしました? 早く聖堂にはいりましょう」
銭居が呼びかけ、はっと我にかえった。
「はい、そうします」
馬鹿正直に……というより馬鹿素直に……赤野はうなずき、ポケットからハンカチをだして指をふいた。それからドアを開けた。銭居もついてくる。
ネットの画像で目にしたとおりの光景だった。
玄関に正対する形で、室内の一番奥に説教檀がある。説教檀の背後には、十字架が壁にすえてあった。十字架の上には長細い楕円を真横で二つに割ったようなステンドグラスがあり、杖を持つ外国人が描かれている。
説教檀にむかいあって、横長の椅子が何脚かならべてあった。とおりぬけできるよう、中央に間隔をあけて左右一脚ずつで一セット。それを十数セット、説教壇のそばから出入口近くまでおく。
長椅子に囲まれた中央に、司祭のテルカンプがいた。
「こ、こんにちは」
慌てて赤野は挨拶した。
「こんにちは」
テルカンプも礼儀正しく
「失礼ですが、私は赤野賃貸ビルのオーナーで赤野と申します。こちらに馬場さんって方がこられたんじゃないかなと思ってうかがったんですが……」
「存じません」
にべもなくテルカンプは答えた。
「じゃあ、最初からきてなかったんですか?」
「存じません。それ以上は申しあげる筋あいがありません」
慈愛の欠片もない断り方をされ、さすがに赤野は面白くなくない。そもそも、馬場が家賃を滞納しているからわざわざ手間をかけているのだ。
「これは失礼しました。私は古美術商の銭居と申します。馬場さんとは別に、とても素晴らしいステンドグラスなのでしばらく見学しても構いませんか?」
その時、稲光が空を圧した。ステンドグラスから断続的な光が突きぬけて、銭居を照らした。
赤野は目を見はった。みすぼらしさの一歩手前な服装が闇に沈み、銭居の鋭い美しさだけがまたたいたように思えた。まるで、純銀の盆に彼女の生首だけがのせられたような……。
「それは問題ございません。解説役として私も同席しましょう」
時ならぬフラッシュはすぐに収まった。いつもの姿になった銭居に、テルカンプは無表情なまま許可した。
「ありがとうございます。では早速」
銭居は赤野に軽くうなずいて見せた。
目的は馬場の身柄であって、ステンドグラスではない。それなのに、赤野は自然と銭居の背を追った。
「とても時代のついた品ですね」
ステンドグラスを見あげて、銭居はまずほめた。
「ありがとうございます。十三世紀の品だそうで、聖クリューガーを描いています」
「十三世紀……」
冷たくあしらわれたのはさておき、赤野も感心するほかない。
素晴らしい芸術なのは間違いない。堅い表情をしてはいるが、優れた彩色と透明感に満ちていた。
「聖クリューガー……どんな方なのですか?」
銭居はテルカンプの解説を願った。
「十二世紀に活躍したドイツの元司祭でした。あえて教会をでて、生涯を費やしヨーロッパ中に福音と慈悲を広めました」
それだけだろうか。なるほど立派な功績だろう。だからといって聖者にするほどなのか。もっと積極的な……例えば、魔女を告発したような……『手柄』があったのかも知れない。そんならちもない疑問を心に浮かべた直後、また雷光がステンドグラスをきわだたせた。数秒遅れて、ドーンと激しい音がして教会全体がビリビリゆれた。
「近くに落ちたようですね」
銭居がこともなげにいった。
「馬場……」
赤野は呟いた。
聖堂の中央で、椅子にも座らず馬場が両膝をついてまっすぐこちらを目にしている。正確には、説教檀ごしにステンドグラスを熱心に観察している。
馬場はかすかになにかを口にした。『孤児院』とだけ聞こえた。
そして馬場の姿は消えた。
「赤野さん……」
「はい、そこに……」
赤野と銭居は、がらんどうの床に視線をさまよわせてからたがいの顔を見あわせた。
「そろそろお引きとり頂けないでしょうか。私も用事がございますので」
あくまで穏やかな、それでいてウムをいわせぬ迫力をもってテルカンプは呼びかけた。
「はい……」
芸のない回答と意識しつつも、赤野としては逆らえない。
「かしこまりました。お騒がせして申し訳ありません」
銭居も素直にうけいれた。
テルカンプは黙って目礼し、二人はそのまま教会を出た。
「結局、空振りでしたね」
玄関口の傘たてから傘をだしつつ、銭居はいった。
「いや……孤児院」
「え?」
「この辺りに孤児院はないでしょうか」
なにかにとりつかれたように、赤野はきいた。
「それこそ調べればわかります。でも、どうして突然に?」
今度は銭居が目を見はった。彼女の様子からして、馬場の台詞は赤野にだけもたらされたようだ。
「いや……なんとなく……」
教会で馬場が語ったからとは、とてもいえない。
「でも、興味深い発想ですね。入居者ファイルにそれとあったんですか?」
いうまでもなく違う。馬場は、平凡な会社員の家庭で育っている。去年の裁判沙汰でさんざん調べた。
「ひょっとしたら、たくみに経歴を偽造したのかもしれません」
凡庸といえば凡庸な発想ではあった。しかし、どこか自分の考えでないような気もした。
「とにかく、一度車にもどって検索しましょう。それからでも遅くないでしょう」
銭居の勧告は、いたって妥当だ。
「ええ」
「はーいカットー! ここでインタビュータイムでーす!」
二人が路上にでるや否や、スマホを右手に傘を左手の青年が物陰から現れた。
ほどほどの安物ブランドな服に、にやけたような表情。赤く染めてセットした髪と、両耳につけた青いピアスが軽薄な印象をかきたてている。
「どうもー、ユーチューバーのトビーでーす! まー、トビーつっても英語は喋れませんけど。お二人さん、教会からでてきて結婚式? いま教会特集やってんすよ。あ、顔とか声は当然ボカシいれますんでよろしく!」
一方的に語りかけるトビーなる青年を無視して、二人は車を目指した。
「あーっとシカト! ユーチューバーが避けちゃとおれぬ大きな関所! でもくじけません! さっきの馬場さんみたいに……」
「馬場!?」
赤野と銭居は同時に足をとめ、同時に振りむいて叫んだ。
「お……おおっと、こっちが引くほど食いついてきましたね。お知りあいですか?」
「それは……」
赤野はとっさの返事につまった。
「まず、撮影をやめて下さい。録音もなしです。で、馬場さんについて知ったことをくわしく教えて下さったらお金をだしましょう」
銭居が、赤野をさえぎってもちかけた。
「なーんと急展開! うーん……どうしようかな」
トビーは傘をくるくる回した。
「ようしっ! じゃあきっかり十万! これでどうです?」
「さ、いきましょう」
銭居はトビーに背をむけた。
「うわったっ。じゃ、じゃあ八万!」
赤野も銭居を追って歩きだした。
「五万!」
トビーが慌てて二人を追いながら聞いた。
「ゼロが一個多すぎます」
軽蔑したように銭居はいった。
「わかったよ、わかりましたよ。じゃあ、お金はいらないから三分だけあとで撮影させてよ! 顔はモザイクでボイスチェンジャーかけるからさ」
「どんなプログラムへの出演ですか?」
車が近づいた。ライトがかすかに光って自動的にロックが開く。
「都市伝説ですよ、都市伝説! 『現代によみがえった魔女』っていう! 脚本どおりに喋ってくれたらいいから」
初めて銭居は足をとめた。赤野も応じざるをえなかった。
「赤野さん、どうします?」
「それくらいならいいでしょう」
「わかりました。でもトビー、あなた身分証持ってます?」
「原付の免許でよけりゃ」
「構いません。こちらの話もふくめて、全部とおして私の車の中でいいですか?」
「もちろん、もちろん! いやー、人が悪いなあお姉さんは」
ずいぶんと調子のいい奴だが、とにかく大事な手がかりになりそうだ。
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