第二話 催促 二
さりながら、滞納常習者をオーナーとして厳しく糾弾する好機ではあった。もっと踏みこむなら、そうした仕打ちに自分の存在意義が見いだせそうですらある。
「いいでしょう」
「ありがとうございます」
馬場の部屋を施錠してオフィスにもどると、赤野は自分のパソコンを銭居に貸した。一度スイッチを切ると画面を呼びだすまでの時間が面倒なので、電源はいれたままだ。
「それでは赤野様。馬場さんの入居者ファイルを呼びだします」
「どのフォルダかわかりますか?」
「はい。欲しいのは顔写真だけですので念のため」
銭居はすぐに、目当ての写真を画面に呼びだした。小柄だがきびきびした雰囲気の青年で、入居当初はここまで手こずらせるなど予想もしなかった。
銭居は馬場の顔写真を数秒眺めてからファイルごと消し、ネット回線から大小様々なSNSを開き始めた。正確には路上や街中を写した画像を自分の目玉だけで確認し始めた。次から次へ、一つの頁に数秒とかかからない。
「いました」
一分かそこらで一枚の画像が絞りこまれた。このビルから電車で一時間ほどの地域で、さびれた地方都市の一角だ。画像の年月日と時刻は一時間前を示していた。
馬場を撮影した人物は、彼を追っていたのではない。街角の野良猫写真を趣味であげていただけだ。馬場はモブキャラよろしく横断歩道を歩いており、ズボンと靴だけがあった。うしろ姿で。
「これが馬場さんだってわかるんですか?」
「ええ、ズボンについた汚れは本人の部屋にあった絵の具ですね」
「それだけで?」
「さっき馬場さんの部屋に入った時に、写真の靴と同じ靴屋さんの空箱がありましたから。背丈や体格も噛みあいますし」
「……」
舌を巻くとはこのことか。相当な才覚だった。
「でも、そこからどこに移動したんでしょう」
赤野でなくとも悩むだろう。最終的な目的地が把握できないと、空振りの可能性が高くなる。
「この辺りなら教会がありますね。カトリックの」
「馬場さん……キリスト教徒だったんでしょうか?」
我ながらまぬけな質問だった。オーナーとして借家人の宗教までは無頓着だったのが……よもや新興カルトでもないのだろうが……、こんなところで仇になった。
「さあ。でも、部屋にあった絵の修道士達は明らかにカトリックでした」
「教会の名前はわかりますか?」
「カトリック
銭居はパソコンを操作しながら答えた。
まずその教会に当たるのがよさそうだ。そうときまれば善は急げ……といいたいものの、赤野としては違和感を禁じえない。馬場の行動もそうだが、銭居は存在自体が怪しげだ。
美術品の鑑定はまだしも、おかしな格好と不釣り合いな美貌にさっきの馬場の割りだし方。
「こうした服装は悪趣味に思えますか?」
腕組みしてパソコンの画面を眺める赤野に、銭居は声をかけた。
「え? いや、別に……なんとも思いません」
赤野は、慌てて組んでいた腕をほぐした。
「美術品を引きたてるためですよ」
頼まれもしないのに、銭居は説明した。
「引きたてる?」
「ええ。主人公はあくまで美術品で、私は単なる引きたて役ですから」
なにやらわかったような、わからないような主張だった。
「とにかく駅にいきましょう」
銭居がどうあれ、赤野は本来の目的に専念せねばならない。
「それなら、私の車にのっていきませんか?」
彼女の提案は、まさに渡りに船だった。
「ああ、お車でこられたんですね」
「ええ。よろしければ、帰りもお送りしましょう」
ありがたくはある。しかし、我と我が身の安全を他人に預ける行為でもある。電車にのるのとは意味が違う。
「お気に召しませんか? 無料ですよ」
冗談めかして銭居はつけ加えた。
「いや……お願いします」
断りきられないものを感じ、赤野は応じた。実のところ、渋滞にさえ巻きこまれなければ車の方がなにかと融通がきく。
「かしこまりました。では、駐車場まで」
銭居に導かれ、赤野はオフィスをでた。
まだ午前中なのに、雨のせいで薄暗かった。傘を広げると雨粒がひっきりなしに跳ねかえり、その音が銭居の足音と混じりこんだ。
時ならぬ雨音と足音のステレオを耳にするうちに、赤野は何故か
「どうかなさいましたか?」
ぴたっと足をとめ、肩ごしに銭居は聞いた。
「い、いえ。なんでもないです」
たしかに、雹など関係なかった。二人はまた歩きだした。
銭居の車は、ビルから歩いて三十秒のコインパーキングにとめてあった。白塗りの軽四ミニバンだ。
コインパーキングは、治安の悪い地区だと車上荒しがでることもある。むろん、この辺りは問題ない。それにしても、月極めに比べてずっとトラブルが起こりやすくはある。だから敬遠する人間も多かった。
銭居はまず、鍵を開けて赤野を入れた。助手席にはいりシートベルトをしめていると、駐車料金を払った銭居が運転席についた。
なめらかな運転でコインパーキングからでたミニバンは、そのまま教会のある街を目指した。
「それにしても、馬場さんが教会に用があったとして……どんな用なんでしょうね」
「懺悔でもしているのかもしれませんよ」
「キリスト教徒でなかったとしたら?」
「その場合は『人生相談』ですね」
仏の嘘は方便といわんばかりの銭居だった。
「道はわかりますか?」
懺悔はさておき、大事な実務を赤野はたしかめた。
「ええ、さっきネットで見ましたから」
「じゃあ、私は教会のホームページがあるかどうかたしかめましょう」
赤野は自分のスマホでカトリック伯林教会を検索した。すぐにいきあたり、頁を呼びだす。
「責任者は司祭のワルター・テルカンプ、ドイツ人か」
赤野は独り言のようにつぶやいた。
テルカンプは見たかぎり四十代の男性で、白い祭服がにあっていた。体格もよく、ゲルマン人らしい筋骨をしている。
「司祭様なら日本語も堪能でしょうね」
ハンドルをさばきながら、銭居があいの手をいれた。
「どうしてですか?」
「自分が赴任する教区の言葉を学ばないと、布教しにくいからです」
「それなら話がとおりやすくてありがたいですね……ところで、アポをとる必要はないんですか?」
頁には教会の電話番号も記載されている。赤野としては失礼のないようにしたかった。
「はい、下手に知らせて馬場さんが逃げてしまったら薮蛇ですし」
礼儀正しくも生々しい可能性を銭居は語った。
「でも、いきなり押しかけて大丈夫なんですか?」
「ミサや、それこそ懺悔の最中でなければむしろ歓迎されますよ。お茶まではでてこないにしても」
「我々もキリスト教徒じゃない……でしょう?」
遠慮しながら赤野は質問した。
「はい、先方からすれば異教徒を改宗させる機会になりえますから」
「……」
ホームページでテルカンプ自身が語るところによれば、彼は十年ほど前にドイツからきてその教会を開いたとある。信者も百人はいるらしい。
教会内の様子も画像であげられていた。聖堂出入口にある聖水盤から始まり、長椅子のならんだ聖堂から祭壇。二階のパイプオルガン、そしてステンドグラス。
ステンドグラスには一人の男性が描かれていた。外国人で、長い杖を抱えている。彼は、青い服のうえに緑色の衣をまとってもいた。美術品と同様に、宗教にもうとい赤野からするとどこの誰なのかわからない。そのまま頁を閉じた。
それから数十分ほどかけて、目当ての教会に近いコインパーキングに車はとまった。
雨はますます激しくなりつつあった。銭居とともに、傘をさしながら車をでて教会を目指す。
教会は、頂上に十字架を配して左右対称の造りをしていた。テレビゲームにでもでてきそうな眺めだ。白い壁にステンドグラスの青や赤がよく映える。
敷地は大人の胸ほどの高さをした塀に囲まれており、正門の右脇には『カトリック伯林教会』とエッチングされた青銅製の横書きプレートが埋められていた。
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