第五話 襲撃 二

 ふだんから神に我が身を捧げていたクリューガーとしては、大した難物ではなかった。十字架をかざすとすぐに魔女は消えた。問題はむしろそのあとだった。


「魔女は、失敗の腹いせに町の人々を堕落させていきました。気づいた時にはかなりの犠牲者がでていて、私がウィーンへ助けを求めてようやく追いはらえました。しかし滅ぼすにはいたらず、私はあえて司祭の立場を捨てて魔女を追うことにしたのです」

「それは理解しましたが、次に魔女が現れる場所がわかるのですか?」


 いかにもいくさ慣れした騎士らしく、ローテは実務に忠実な質問をした。


「それこそが、ヤブランなのですよ。ヨーロッパにはほとんどない草花です。正確には、ヤブランが生えてから花が咲くまでの間こそ機先を制するチャンスなのです」

「近所中を探し回るのですか?」

「いいえ。魔女は再びあなたを狙うでしょう」


 クリューガーはローテを見すえながら告げた。


「私を!?」


 夕べの夢を嫌でも思いだしつつ、顔が引きつらざるをえない。


「思い当たる節がおありでは? 魔女は、一度因縁をつけた相手をどこまでも執念深く追いますから」

「なら、バッハに取りついたのはあくまで私が目当てだったのですか」

「はい。ついでにバッハ君も犠牲にできますし」


 さらりとクリューガーは説明し、バッハは思わず十字を切った。


「それで、あなたも特別な体験をなさってらっしゃるならうかがっておかねばなりません」


 クリューガーにうながされ、ローテは森にある屋敷で起きたいきさつを一とおり打ちあけた。バッハのくだりでは、バッハ自身が真っ青になってしまった。


「ああ、やはり……。その、テルカンプという騎士もまた魔女の犠牲者でしょう」

「それにしても、どうして私に因縁をつける必要があったのでしょう。実権も金もないのに」

「私にもわかりません。ただ、魔女からすればあなたと私を倒す機会ではあります。そう遅くないうちにすべてが明らかになるでしょう」


 いつのまにか、深い西日が窓の隙間から差しこんでいた。そろそろ父親の館へおもむかねばならない。


「それでは、クリューガー殿。家とバッハを頼む」

「かしこまりました。念のために、聖水を小わけしておきましょう。空の瓶はありますか?」

「バッハ」


 ローテの命令で、すぐにバッハは台所から中身のなくなったワインボトルをもってきた。大して裕福ではない騎士なので、使ったあとの瓶は洗って再利用している。


 クリューガーが礼をいってからワインボトルを受けとり、テーブルに置いてから祝福した。次いで自分の鞄から聖水の瓶をだし、ワインボトルのコルクをはずして中身をついだ。


「急ごしらえながら、魔女のまやかしを破るくらいには役にたちます」

「心強い。ありがたく頂戴しよう。では、そろそろ」 

「ご主人様、馬をだすなら僕が……」


 バッハが腰をうかしかけた。


「いや、そこで待っていろ。あまり遅くなるようなら客人に食事をだせ。お前もすませてから寝ていていい」

「……はい」

「では、いってくる」


 ローテは一人自宅をあとにした。日没には、まだ多少の余裕がある。遅れないようにと馬を急がせた。


 父……子爵の館は、城というほどのものではない。しかし、町を見おろす小高い丘のうえにあった。非常時には、それなりに砦としての役割を果たす。


 正門の前にたつ二人の守衛は、ローテの顔を見るなり丁重にお辞儀しながら開門した。中庭から厩を経由し、馬番に馬を預けてから大股で玄関を目指す。


 ノッカーでドアを叩くと、すぐに初老の痩せた男がドアを開けた。先代から仕える執事だ。簡潔に用件を告げ、速やかにとおしてもらった。


 こうして至った大食堂には、ローテ家の面々が全員集合していた。なおかつ一人の若い女性もいた。女性はその一人だけだが……予想し、かつ予想してなかった矛盾まみれな気持ちがハインツの心に満ちた。


 彼女はまさに、昨日の晩に会ったエリザ・フォン・ ツェニーその人であった。時代遅れなドレスまでそっくりそのままだ。


「よくきた、我が息子よ。 昨日のいくさでは神のご加護をえて大いに働き、父としても鼻が高い」


 マクシミリアンはまずねぎらった。


「もったいないお言葉大変かたじけなく存じます、父上」


 ハインツも、ここは如才ない。


 ロルフはあいかわらず青い顔をしてマクシミリアンの隣に控え、ツェニーは父をはさんでロルフの反対側に座っている。ゲルトはすました表情をしたまま、ロルフの隣で十字架をもてあそんでいた。


「まずは座るがよい」


 父が命じるままに、ハインツは父のむかいに座った。そうするとますます、彼女のブルネットの髪が目につき、モスグリーンの瞳がじっとこちらを観察していると意識せざるをえなかった。


 父や兄弟たちの様子からして、クリューガーがいうところのエリザと目の前の彼女とは無関係なのだろうか。


 エリザという名前は、掃いてすてるほど世間にある。にもかかわらず、あの時ハインツを『もてなした』エリザと同一人物としか思えない。彼女が魔法で彼らをだましているのだろうか。


 だが、よく考えるとヤブランは今のところどこにもない。


「昨日のいくさといい、それ以外のことといい 、お前が実によく働いているのはだれの目にも明らかだ。よって、父としてお前に相応しい女性をここに紹介しよう。エリザ・フォン・ツェニー。ウィーンにいるツェニー男爵のご令嬢だ」

「よろしくお願い致します」


 エリザは如才なく挨拶した。


「よろしくお願い致します」


 儀礼的にハインツは返した。


「先方もこちらの申しでを快くうけいれている。婚儀については、ロルフの妻がゲルトと相談しながら段取りをたてる。お前はただ待っていればよろしい。褒美の一環として、婚儀費用一切は私がだしてやろう」


 マクシミリアンは口を閉じた。


 ハインツは、本来なら額をテーブルにこすりつけんばかりの感謝感激を表明せねばならない。まさか昨日の晩について、この場でツェニーに正すなどできようはずもなかった。シラを切られたらそれで終わりだ。ならばどうする。


「父上。お心づかい、まことにありがたく存じます。ただ、今日、雹が降ったのをご存知でしょうか」

「むろん知っておるが、それがどうした」


 不快ではないにせよ、意外な質問が自分の四男から寄せられた。さすがのマクシミリアンも面食らったように思えた。


「雹は不吉な兆しにございます。とりわけ領民には動揺があるやもしれません。まずはそれを正してから私の婚儀を進めるというのはいかがでしょう」


 断りはしないが、時間を稼ぐぎりぎりの手だてではあった。同時にエリザに……目の前の女性がそれかどうかは別として……あてつける意味もある。


「熱心なのはよいが、婚儀にまで歯どめをかける必要はなかろう」


 マクシミリアンにしては穏やかな反論だった。


「いかにも、左様にございます。されば父上、息子としてささやかな願いごとがございます。お聞き頂けましょうか」

「申して見よ」


 めでたい席にある程度の寛大さを現すのは、父としてむしろ威厳を高める機会であった。


「私は聖水を持参しております。新しい門出を祝うためにも、雹の不吉な兆しを払うためにも、聖水を交えたワインを乾杯しようではありませんか」


 ハインツの申しでを受けて、露骨に気まずそうな顔をしたのはゲルトだった。


 本来なら、司祭の彼こそが持ちだすべき提案だろう。ロルフはアルコールこそ苦手ながら、水で薄めたワインを儀式として一口飲むだけなので意外に落ちついている。


 マクシミリアンは決して温厚ではない反面、儀式と酒宴の区別は明確にする人間でもあった。


「ふむ。よかろう」


 マクシミリアンの採決がくだされ、執事が速やかにワインとグラスを手押しワゴンにのせて運んできた。


 各自のグラスにワインが満たされ、ついでハインツのもたらした聖水がそれぞれ注がれた。いずれも一口含むだけの量にすぎない。しかし、ツェニーがもし魔女ならば……。


「では、皆の者。我がローテ家の前途に、かつ若きハインツの前途に。乾杯!」


 マクシミリアンの音頭にのっとり、一同がグラスをかかげてから中身を干した。ハインツも当然同じようにするはずだった。


 グラスの中身がワインならぬ血とあっては飲むに飲めない。


「我が血は気にいらぬか、ハインツ」


 マクシミリアンが冷厳このうえない口調で尋ねた。


「俺の血も気にいらないみたいだな」


 ロルフはいつになく興奮しているようだった。


「俺のも駄目か!?」


 ゲルトは面白そうに聞いた。


「あらあら皆様、すっかりできあがってしまわれましたわね」


 空になったグラスをくるくると手で回しながら、ツェニーはからかうように三人をまとめて描写した。


「ツェニー! やはりお前は魔女だったな!」


 椅子を蹴ってたちながら、ハインツは叫んだ。


「まあまあ、せっかくですから踊りながら語りましょう」


 ツェニー……というより魔女エリザは優雅に腰をうかせて席からはなれ、マクシミリアンの肩に手を置いた。


 途端にマクシミリアンは骸骨になり、エリザの手で丁寧に椅子からはなされた。

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