第四話 襲撃 一
廃墟など、用もないのに近づくところではない。ましてやあんな夢にかかわっているような花だ。
そんな時に、廃墟の奥から一人の男性が現れた。思わず反射的に手綱を引くところだった。どうにかそれを我慢すると、男性の方もこちらに気づき丁寧にお辞儀した。さすがに無視はできず、馬上のまま返礼した。
男性は粗末な羊毛の衣を身につけていた。隠者か。いや、遍歴の放浪僧かもしれない。そうした人物はあまりにも孤独にさらされ続けた結果、人格がどこかきしんでいることもあった。
礼も交わしたことだし、とおりすぎてもなんの問題もない。だが、先方はローテを手招きした。迷いつつも、応じることに決めた。
近づくと、半ばフードに隠れた顔がはっきりと見えた。
年は五十をすぎたあたりか。桑色の前髪と青緑色の瞳を備えていた。放浪僧も、それなりに名前が知られていれば街で歓待されるが……。
「こんにちは」
ローテの心境を察してか察せずか、彼は口にだしていま一度挨拶した。
「こんにちは」
ローテは相変わらず馬上のまま返した。
「お初にお目にかかる。私はヨハン・クリューガー。遍歴の放浪僧です」
「これはご丁寧に。ローテ子爵家四男、ハインツです」
あくまで地面に足をつけず、ローテは自己紹介した。
「失礼ながらローテ殿。なにかよからぬものに出会っているようですな」
クリューガーは突然、そして正確に指摘した。
「なんの根拠があってそんなことがわかるのですか」
「まず、馬をとめたでしょう。それからしばらくじっとしていられましたね。つまり、なにかを眺めていたわけです」
言葉を区切ったクリューガーは、廃墟の隅に咲くヤブランを意味ありげに見た。
「その花、なぜこの廃墟に? ここらではあまり見かけませんね」
ローテは、クリューガーの狙いを察して聞いた。
「魔女が植えたのですよ。いや、この花をご存知かどうか。ヤブランと申しますが、それ自体には罪はありません。魔女の方が勝手に自分の象徴として、いわば縄張りを示すように植えていくのです。私は、魔女がそうやって指定した場所を清めなおすことに生涯を捧げています」
昨日の夕方までにそれを聞いたら、じゃあ私のあずかり知らないところでお願いしますとでも思ったことだろう。
「クリューガー殿、清めなおすとは具体的にどうするのですか?」
クリューガーは、返事のかわりに手で自分がでてきた廃墟の奥を示した。そして、無言のままローテを導くように歩きだした。ローテは馬から降り、手綱を手にクリューガーのあとを追った。
壁一枚へだてたむこうがわは、倒れた石柱や雑草がまばらに散るだけの場所だった。それらに埋もれるようにして、クリューガーのわずかな私物もあった。
クリューガーは自分の鞄を持ちあげて、なかからガラス瓶をだした。中身は空で、瓶そのものは十字架をあしらった小さな模様がびっしりと描かれていた。
「プラハで手に入れた聖水でした。あなたが先ほど見たヤブランにもかけてあります。しかし、もう
仮に効果があるなら、一刻も早く魔女を永遠に遠ざけて欲しい。
と、急に空の雲いきが怪しくなってきた。
「話の続きは、よければ私の家でいかがだろう」
「あなたが招いてくださるのなら、喜んでうかがいましょう」
クリューガーは瓶をしまいながら答えた。それを聞きつけたかのように、ついに天候は崩れた。しかも雨ではない。
「
頭を打った氷の塊を手に、ローテは叫んだ。
「やはり、魔女の力がこの地域にもおよんでいるようです」
クリューガーの台詞は、説明というより宣告だった。
ローテは馬にのり、クリューガーがうしろについたのをたしかめてからすぐに出発した。
頼もしい速さで、馬は二人をローテの自宅へと運んだ。雹は相変わらず降ってはいたが、怪我らしい怪我もなくすんだ。
まずクリューガーを玄関で降ろし、馬を厩にいれてからローテもあとをおった。
「バッハ!」
ドアを開けるなりローテは叫んだ。
「はい、ご主人様。お怪我はございませんか?」
バッハが飛んできてまっさきにタオルを差しだした。
「俺はいい。客人の世話をしろ」
「はい、かしこまりました」
「申し訳ございませんが、ご厄介になります」
クリューガーはそう感謝しながら戸口をくぐり、タオルを受け取った。
「とりあえずワインとチーズを……」
指示しかけたローテの表情が一気にくもった。テーブルの上に花が一枝飾ってある。
「バッハ、その花をどこで 手にいれた」
「ああ、庭先を掃除していて見つけたんです。見たこともないきれいな花ですし、飾っておくと楽しい、かなぁーって!」
バッハの異常な態度に思わず押され、すぐに捨てろと命じるのが遅れてしまった。
背後でドアがノックされた。
「誰だ!」
その場から動かないまま、ローテは怒鳴った。
「ロ、ローテ様……御兄上の司祭様の使いで参りました」
ドアごしに、おびえた口調での返事がよこされた。
よりにもよって。舌打ちしたいのをこらえて、ローテは自らドアを開けた。
「お休みのところ申し訳ございません。司祭様は……」
そういいかけた使いの顔が、常軌を逸した驚きにゆがんだ。
ローテが振りむくと、バッハはテーブルに飾ってあったヤブランを花瓶から引きぬいて握りしめていた。それだけでなく、天井からあのときの納骨堂と同じ要領……逆だちでぶらさがっていた。
「魔女めが、その子からはなれろ!」
クリューガーは叫んで、鞄から十字架をだした。それをバッハにつきつけると、バッハは顔を歪めて曲がった笑い顔をひきつらせた。
「そんな代物を怖がるほど僕は甘くないですよ。ほら!」
誰も手を触れてないのに窓が勝手に開き、雹が横殴りに振りこんできた。
「わーっ!」
ゲルトの使いは喉から叫び声を絞りだし、一目散に逃げていった。
「ほらほら、そこの薄汚いお坊さんもでていった方がいいですよ」
「お前のまやかしなどなんとも思わぬ」
クリューガーは吐き捨て、ヤブランをさす花瓶に十字架をねじこんだ。途端に十字架と花瓶が砕け、ヤブランは枯れてぼろぼろになる。しまいには、なにか見えない力でもみしだかれたように粉々になってしまった。
室内を好き勝手に転げまわっていた雹も消え、バッハは床に落ちて横たわった。
「バッハ! しっかりしろ!」
ローテは、バッハのぐったりした上半身を抱き起こした。負傷はしていないようだ。
「危ないところでした。司祭殿へは、私から事情を説明しにいきましょう。聖水も至急手にいれねばなりません。その少年は、しばらくすれば目を覚まします」
聖水は、どこの教会でも出入口の横にある聖水盤にいれてある。ゲルトは堕落した司祭だが、教会自体は何百年も前に建てられたものだ。だから、そこまで
「かたじけない、クリューガー殿。バッハの面倒は私が見ますが……今日の晩、どうしても私は家を明けねばなりません。私のかわりに家を守って頂けるとありがたいです」
ローテとしても、魔女があっさり諦めるとは到底思えなかった。
「はい、喜んで。では、いって参ります。すぐにもどります」
クリューガーを見送ったローテは、改めて室内を見回した。
窓が開いたままなのと、十字架や花瓶の破片がテーブルに散らばっているのと以外は今朝出発した時とかわらない。
バッハに毛布をかけ、ローテは家の周りを丹念にたしかめた。
ヤブランはどこにも生えてないとわかり、あとは馬の手入れで時間を潰した。
その内にクリューガーが帰ってきた。心なしか赤い顔をしている。ゲルトがワインでも振るまったのだろう。
「お待たせしました」
「クリューガー殿、聖水は入手できましたか?」
返事の代わりに、クリューガーは自分の鞄を軽く撫でた。
「なによりです。では、家の中で説明をうかがいましょう」
「はい」
屋内では、バッハが花瓶と十字架の残骸をじっと眺めていたところだった。
「あっ、ご主人様、お客様」
「バッハ、具合はもういいのか」
クリューガーをテーブルに案内しながら、ローテは聞いた。
「はい……僕、どうして倒れていたんでしょう」
「それも含めて大事な説明がある。こちらはクリューガー殿だ。お前も席につけ」
平民が騎士と同じ席につくのは相当異例だが、バッハは喜び勇んだりはしなかった。いくさとはまた別な緊張感がみなぎっている。ともかく、一同は一つのテーブルについた。
「さて。お話の前に、テーブルに散らばっている品々はなんの害もありません。掃除して頂いても結構」
どちらかといえば、バッハの気持ちをほぐすための前置きだった。
「本題にはいりましょう。先ほどバッハ君に取りついていたのは、エリザという名の魔女です。私は何十年も追っています」
エリザ。森で会った……と表現するのも奇妙だが……屋敷の主はエリザ・フォン・ツェニーと名乗った。
「エリザが初めて現れたのは、ウィーンの周辺でした。ちょうど私は、ウィーンの近くにある小さな町で地区司祭をつとめていたのです」
クリューガーの教会に、
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