第三話 混迷 二

 悪趣味な仮装パーティーだろうか。そのくせ、壁にかかっているタペストリーはずいぶんと重味があった。ギリシャ風の神殿を背景にして、古代ローマ時代の鎧兜を身につけた兵士達が民衆を追いたてている。無題だが見事な技法だ。


「皆様、ハインツ・フォン・ローテ様がお見えになりました。子爵様のご子息だそうです」


 戸口でツェニーが告げると、盛大な拍手があがった。異様な雰囲気は、落ちつくどころかますます強くなった。


「さあ、上座へ」


 それは長テーブルの長い方の一辺で、当主の席……辺の中央……の隣を意味する。


 なるほど、戸口に面とむかう形で席が二つ空いている。余計ないさかいを避けるべく、わざわざ空席にしてあったのだろうか。


「ありがとうございます」


 ローテはテーブルを回りこみ、指定された席についた。その間にツェニーは一度退室し、ふたたび現れた時には手を洗う鉢とタオルを持参してきた。


「どうぞ」


 鉢がローテの前に置かれた。


「ありがとうございます」


 彼が手を洗ってタオルでふくうちに、ツェニーはまた席をはずした。そして、盆にのせたコップをたずさえてきた。コップはワインとおぼしき赤い液体で満たされている。


 ローテは二つの事実に気づいた。この屋敷には召使いがいない。そして、参加者達の前にコップはあるが料理はない。晩餐会は終わる寸前か、始まる寸前か? 馬はどうなっているのか?


「ワインです」

「おもてなしに感謝致します」


 ツェニーがコップを置いて手洗い鉢を引きとり、またでていった。もどってくるまでは遠慮した方が無難だろうと考え、あえてワインに手をのばすのはやめておいた。


 十数秒かけて、手ぶらになったツェニーが会場にもどってきた。彼女はごく自然にローテの隣に座った。


「皆様。ローテ様に乾杯前の一言を頂きましょう。ローテ様、お願いします」


 彼女にうながされ、ローテは軽くうなずいて型どおりの挨拶と晩餐会を邪魔した詫びを述べた。


「ありがとうございます。それでは、皆様。乾杯」

「乾杯」


 ローテも他の参加者とともにコップをかかげ、縁に口をつけた。その途端に顔をしかめた。ワインじゃない。血だ。今日、戦場で散々あびてきた。


「私の血はうまいか、ローテ卿?」


 末席から声がかけられ、危うくコップを落とすところだった。


 テーブルの端から、いてはならない人間の顔が浮かび上がった。蝋燭の明かりが覚束ないとはいえ、忘れたくとも忘れられない。


「テルカンプ!」


 コップを持ったまま、椅子ごとローテはあとずさった。


「あんたは強かったな。さ、じっくり味わってくれ」

「なんの冗談だ!」


 叫ぶローテによせられた参加者の視線は虚ろ。全員が骸骨になっていた。ツェニーだけがどこにいもない。


「血は気にいらんかね。それじゃダンスにしよう」


 骸骨と化したテルカンプが歯をかちかち鳴らしながら呼びかけると、テルカンプも交えたすべての骸骨がいっせいにたちあがった。


 ローテは剣を抜き、会場の出入口を目指してテーブルに飛びのった。


 骸骨達は両手を前に突きだし、てんでばらばらに抱きあったりいい加減なステップを踏んだりし始めている。


 テーブルを踏みつけて床に飛びおり、ローテは一直線に会場の出入口へ走った。何故か骸骨達は無関心なままだ。


 扉を開けたら、玄関につながる廊下が現れるはずだった。にもかかわらず、ローテは記憶と著しく食い違う光景に目を大きく見開いた。


 扉のむこうは納骨堂になっていた。ほどほどに大きな教会の地下にはふつうにあるし、ローテ自身見学したこともある。


 それが目の前に存在するのも非合理だが、もっと非合理なのは納骨堂でツェニーに抱きあげられたバッハの姿だ。


 眠っているのか気絶しているのか、目を閉じてぐったりしている。その手には、見たこともない花が握られていた。薄い赤紫色の小さな花が枝にそって鈴なりになっている。


「なんの真似だ、ツェニー!」

「あなたの従卒が、あなたを心配してここまできたのですよ」


 あくまで穏やかに彼女は説明し、あやすようにバッハを軽くゆすった。


「お前は魔女か。最初から俺達をたぶらかすつもりだったのか」

「おほほほほほほ。あなたの望みを叶えて差しあげようとしているだけですよ」

「なんだと!?」


 バッハさえいなければ斬りかかれるものを。


「この花は、遠くアラビアのさらに東の、インドよりもっともっと東の黄金郷からもたらされたものです。彼の地ではヤブランと呼んでいます。花言葉は隠された心」

「誰が花の話をしている! さっさとバッハを解放しろ!」

「はい、かしこまりました」


 彼女は優雅とすらいえる動作でバッハをうやうやしく床に横たえた。そうして二、三歩横によった。


 彼女はどう見ても丸腰だし、背後の骸骨どもが襲ってくる気配はない。


 だが毛ほどの油断も示さず、ローテはバッハに近づいた。抜き身の剣をしっかり握りつつ、バッハの頭のかたわらにかがみ、もう一方の手をゆっくりのばす。


 ツェニーは微笑しながら黙って眺めていた。ローテの指先がバッハの肩にかかる直前、バッハはかっと目を見開いた。


 ローテは思わず手を引っこめた。バッハはいきなり身体を起こし、納骨堂の壁まで歩いた。


 呆気に取られたローテを尻目に、バッハの足は全くとまらず、壁に足がかかったかと思うと……あたかもある種の羽虫のように……壁を廊下かなにかのように平然と歩いて登り始めた。


 そうして天井まで行きつくと、両足を天井につけたまま逆だちしてローテを見おろした。


「ご主人様、我が身の不運ばかり嘆かないで下さいよ。僕がついていますから」


 口が裂けても発するはずのない暴言を、バッハは平然と吐いた。あまりにも突拍子がなく、ローテは文字通り言葉を失った。


「ご主人様、ローテ家は自分が当主にならないと滅亡するって……」

「いい加減にしろーっ!」


 暴言のとまらないバッハに本気で怒りを爆発させ、ローテは怒鳴りつけた。


 辺りの風景が一変した。


 ローテは自宅の前にいた。ちゃんと馬にのった状態で。


 思わず振りむくと荷車がつながれており、バッハもしっかり目を開けて見張りをしている。


 馬がとまっていることで、バッハは到着したものだと判断したらしい。すぐに車を降りて荷物を持てるだけ持った。それらは裏庭にある倉庫にしまわねばならない。荷車や馬も、バッハが引いてそれぞれ厩戸や物置にしまう。


 だからローテはそのまま自分の家にはいればすむ話なのだが、さすがに気持ちを切りかえることはできなかった。


 バッハがきびきびと働くのを見るにつけても、納骨堂で見せたあの恐ろしい……自分では認めたくなかったのだが……振るまいがどうしてもつながらない。


 あの屋敷や森そのものはなんだったのか。脈絡がなさすぎて、満足どころかよけいに困惑せざるをえなかった。


 そうはいっても、いつまでも馬にのったままではいられない。ひとまず鞍を降り、自宅の玄関を開けた。いつもどおりの風景が目にはいる。


 時間帯は夜中のままだ。そのせいか、特別な化け物が暗闇に潜んでいるような気持ちにさえなってきた。


 いずれにしても、明日の晩には嫁とやらいう人間と顔をあわせればならない。今日はいくさで一日疲れ果てているし、ちゃんと眠った方がいいだろう。


 居間で防具をはずし、ローテは二階にあがるが早いかベッドに転がりこんだ。


 翌朝。


 ぐっすり寝ることができた。いつもどおりの朝だ。


 一階に降りると防具はきれいに片づけられており、バッハが朝食をテーブルに置いていた。


「おはようございます、ご主人様。ちょうど目玉焼きが焼けたところです」

「ご苦労」


 ローテは食卓についた。バッハは給仕係になりかわり、そばにたつ。

 

 ひととおりの朝食がすんで、ローテとしては夜までやることがなくなった。


 他の騎士なら、退屈しのぎに街の酒場に繰りだしたり博打を打ったりするものだ。それほど裕福でなければ、畑を構えて耕したりもする。


 ローテは、自分のわずかな資産を商人に投資していた。日常の売買はその商人をつうじて決裁される。バッハは、そうした取引のための帳簿も学んでいるところだった。


 それやこれや、でローテがやることといったら体を鍛えるか馬の調教でもするか。さもなくば、食って寝るかだ。


「バッハ、昨晩帰る時に荷車をはずしたり降りたりしなかったか?」


 無駄な質問と意識しつつも、聞かずにはいられなかった。


「ご主人様、ずっと荷車にのっておりました。荷車はちゃんと馬につながった状態でございました」


 バッハは淀みなく答えた。藍色の瞳には、なんの嘘いつわりも感じられない。


「途中で俺が、道をまちがえたりはしなかったか?」


 ローテは質問を変えた。バッハは首をかしげた。


「いえ、きたとおりの道をそのままもどられました」

「そうか」


 それっきり会話はとまった。


「ご主人様、おさげしましょうか?」

「そうしてくれ」

「かしこまりました」


 バッハが空の食器をさげて洗い場に持っていく姿を、ローテはじっと見守った。


 つまり、昨夜のは夢だったのだ。戦に疲れ、突拍子もない夢を見た。それだけのことだ。


 そう結論づけて席をたち、外出するがついてこなくてよいとバッハにいい渡した。どのみちバッハは、家の掃除をしたり商売人からの連絡に応じたりしなければならない。だから、簡単には家をはなれられない。


 ローテは自ら馬を引き、出発した。どこにいこうという当てがあるのでもない。人混みはあまり得意ではないし、森には当分いきたくない。ぼんやりと馬を進めるうちに、思いだしたくはないが印象に残ってしまった花が見えた。


 これまで気にもとめていなかった、古代ローマの廃墟に生えている。あの小さな赤紫色の花をつけていた。

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