第二章 騎士と魔女、中世ドイツ
第一話 勝敗
ドイツ北東部。ブランデンブルグ辺境伯領の中でも、とりわけ内陸部に食いこんだ荒地が戦場になっていた。
秋の陽射しを跳ねかえして矢が飛びかい、騎士達が馬に拍車をかける。
数十分後には、一方が勝どきをあげた。
そのさなか、ローテは自分が倒した騎士のかたわらに膝をついた。髪と同じく金色の眉をしかめている。背後には、従卒のバッハがローテの愛馬とともに控えていた。
たったいままで続いていた白兵戦のさなか、彼はその騎士を組みふせ短剣で喉を裂いた。名のりをあげるひまもなかった。
ローテはゲルマン人としては人なみな体格で、まだ十分若い。相手の騎士の方が一回り大きかったものの、武勇は常に結果で語られる。
倒した騎士は、いまわのきわになにかを語ろうとしていた。
味方全体の勝敗もついたことだし、最期の言葉を聞きとるくらいの騎士道はローテもわきまえている。
「……リザ」
大半が血の混じった泡に消えつつも、瀕死の騎士は辛うじてそれだけを絞りだした。
「なに?」
「……リザに……」
青い目をしかめてローテが聞きかえしたのも虚しく、騎士はこときれた。
味方の歓呼がいまだにこだましているのが、なにか空々しい。
「バッハ」
ローテは、うしろに控えていた従卒を呼んだ。
「はい、ご主人様」
バッハはただの平民で、ローテの個人的な召使いにすぎない。年齢も十三歳、まだまだ大人の女性よりも小柄であった。
しかし、はしばみ色の短く柔らかい髪を揺らしていつでもすぐ現れる。受けた指示を誤った試しはなく、戦場でもきびきび働いた。
バッハは、自分の胴体ほどもあるずだ袋を担いでいた。ローテがたち上がるのと対照的に地面にしゃがみ、たったいま死んだ騎士の兜を外した。
「待て」
バッハが、兜をずだ袋からだした布でくるむ直前。ローテは制した。バッハはすぐに手を止めた。
ローテが手をのばし、バッハから兜を受けとった。よくあるノルマン風の水滴型兜。鼻当てがついており、その裏に持ち主であろう名前が刻んであった。
「ボッシュ・フォン・テルカンプ、か……」
鈍い鉄灰色の兜が脱がされ、砂色の髪が地面に垂れたテルカンプの口はまだ開いている。致命的な警報をだそうとする寸前さながらだ。
ローテは兜をバッハにもどした。
バッハは改めて兜を布にくるみ、ずだ袋に入れた。次いで、テルカンプの籠手、サーコート、鎖かたびらと丁寧に外しては同じようにずだ袋にいれた。
理想的には、生け捕りにすれば身代金を要求する機会もあった。もちろん、滅多にえられない話ではある。だから、せめて身ぐるみ
勝ったからといって恩賞がでるかどうかは別の問題だ。何故なら、騎士は最初から領主のために加勢するという契約で土地や名誉を与えられているのだから。
勝利はつまり、ごく当たり前に普段からの契約を果たしたに過ぎない。
まれに、気紛れな褒美がでる場合もないではない。しかし、今回は辺境伯に仕える領主同士による土地の境界争いだった。
勝っても、猫の額ほどの土地が領主の手に入るだけだ。
勝どきがようやく聞こえなくなり、ローテ以外の勝者達も思い思いに戦利品をえたころ。日没が迫りつつあった。
引きあげを意味する角笛が吹かれ、ローテは愛馬にまたがった。バッハはずだ袋を自分の身体に縛りつけ、うしろに乗る。
戦場から少しはなれた森の外れに宿営地があり、ローテを含む一同は総大将……というのも大げさか……から今回のいくさの総括を聞かねばならない。
宿営地は、軍勢が集合するための広場と各自のテントに別れている。ローテは馬の世話をバッハに委ね、広場にはいった。
広場では、顔なじみの騎士達は全員そろっていた。頭数は少々減ったようだが大した打撃ではない。
そこへ、総大将が直属の騎士と司祭をしたがえて現れた。マクシミリアン・フォン・ローテ子爵、その長男のロルフ・フォン・ローテ、そして次男のゲルト・ローテ。
ゲルトは僧籍なので、貴族を意味するフォンは外れている。建前上は。三男のテオドールは幼くして亡くなり、四男にして末子が広場にたつハインツ・フォン・ローテである。
子爵の登場とともに、広場のつわもの達は改めて歓呼を上げた。ハインツも、半ば義務のように一同にならった。ころあいを見てマクシミリアンは軽く手をあげ、一同が静まるのを待った。
「この度の大勝利は、まことに神のご加護と、そなたらの働きによるものである。よって私の次男にして司祭のゲルトより、そなたらを祝福するものである」
おごそかにマクシミリアンが宣言し、ゲルトは自ら抱えてきた聖書を出した。一同は自然にひざまずいた。
ゲルトが読みあげるありがたいお言葉が、すなわち『恩賞』だった。
ハインツにいわせれば、物心ついた時からメイドや農奴の娘を追いまわしていたゲルトがラテン語をちゃんと読めるとはとうてい思えない。
司祭になってからかわったことといえば、尼僧を追いかけるようになったくらいだ。事実、毎度きまりきった紋切り言葉だった。わざわざ関心を持つ気になれない。
「……以上。解散」
マクシミリアンのこの台詞の方が、よほど福音に思えた。これで一同は、自分の家にもどるなりテントで一晩すごすなり勝手にしてよい。
もっと本格的ないくさなら敗残兵を追撃して徹底的に撃滅し、敵の領地を奪って富国強兵に励む。
同じ辺境伯の家来同士で、そこまでするのはさすがに不可能だった。だからこそ、マクシミリアンは敵対する領主と一日だけでいくさを終わらせるという約束を交わしていたのである。ハインツも父から長兄ロルフをつうじて聞かされてはいた。
自分のテントにもどると、バッハはずだ袋をはずして馬にブラシをかけていた。慣れた手つきながら、もう少し栄養がいき届いていればもっと力強い指先になるはずだった。
「お帰りなさいませ、ご主人様。お食事はテントの中にご用意しております」
「ご苦労」
ぶっきらぼうに返事をして、ハインツは兜と鎖かたびらを脱ぎ、盾もはずした。
それらに飛びちった返り血をふきとり、手いれをするのもバッハの役目だった。剣だけは自分でするし、肌身はなせない。
だから、帯剣したままテントにはいった。
バッハのいうとおり、食事が……赤いベーコンをのせた厚切りパンに黄色と紫色の干し果物が少々……武骨な木の皿にのっている。ワインをいれた袋もそえてあった。
バッハは、やろうと思えばシチューやソテーなども作れる。ただ、ハインツは特別な場合でないかぎり簡単なものですませていた。
テントのなかで、ハインツはまず剣も鞘もきれいにぬぐった。ついで丹念に刃を研ぎなおし、改めて腰につけなおした。そうするととにかく腹が減った。
剣を帯びたままがつがつ貪り食い、しあげにワインをがぶがぶ飲んだ。かと思ったら、そのまま仰むけになって寝いり始めた。剣の手いれに比べて、食事はあっという間に終わった。
夢の中で、ハインツはどこかの墓地をさ迷っていた。
足元はレンガで
「ハインツ……一緒にくるのよ……」
誰かが呼びかけた。若い女性の声だ。
「誰だ?」
聞きながら首を左右に振ったものの、墓石ばかりが目にはいる。
「怖くないから……」
「誰なんだ!」
「ご主人様……」
はっと目を覚ますと、バッハが自分を覗きこんでいた。
「バッハか」
「お休みのところ申し訳ありません。お父上のマクシミリアン様から、お父上のテントにくるようにとのご命令です」
そう告げたバッハの顔は強張っていた。ハインツは必ずしも父親に好意的ではないと、前々から本能で感じ取っているのだろう。
子爵からすれば、四男のハインツには土地を与えただけでも破格の好意としたものだ。また、ことあるごとにそれを口にするのもはばからなかった。
「わかった。馬の世話はすんだか?」
「はい」
馬にはブラシをかけ、筋肉をマッサージしてやらねばならない。一日だけのいくさとはいえ一時間はかかる。つまり、少なくともそれくらいの時間が過ぎたのだ。
「なら食事にしろ。終わっても俺が帰ってこないようなら休んでいていい」
「かしこまりました。ありがとうございます」
ハインツは起きて鎖かたびらや他の防具を身につけ、父親のテントにむかった。
「お楽しみのところ失礼致します」
テントに入った途端、ワインの香りが濃い肉汁のそれに混じって鼻を訪れた。
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