第十話 真意

 荒々しく揺さぶられ、フェリスは眠りの世界から引きずりだされた。


「やっと起きたか!」


 憎々しげに自分を見おろすヤコブの顔が、その日最初に目にした光景だった。


「うわぁっ!」

「なにがうわぁっだ、この偽善者めが!」


 あまりにも馬鹿げた出来事のせいで、まともに考えが回らない。


「あんな作品など私は認めん! 今すぐバオベ様に謝罪して撤回しろ!」

「な、なんなんだ!」


 混乱したままのフェリスの襟首を、ヤコブは右手で掴んで宙吊りにした。


「そもそも、お前なんぞがバオベ様からあんな特典をえること自体が間違いなんだ!」

「と、特典って……」


 辛うじて聞き返すほかに、できることといったら空中で足をもがかせるくらいしかない。

 

「とぼけるな! 二日前に納品しただろうが!」


 と、いうことは自分は二日も寝ていたのか。などとのんびり理解している場合ではない。


「それこそお前には関係ないだろう!」

「いいや、ある! お前は我が同志にして一門のライオン男を自分の習作に利用した! 今回もまた、結局はその延長だ!」

「わけがわからん! いい加減におろせ!」

「その前に謝罪と撤回だ!」

「知るか!」

「うぬぅっ!」


 目を血走らせたヤコブは、左手をフェリスの喉元に加えた。宙吊りなだけでなく、フェリスは一息に気道が締めつけられ息ができなくなった。頭からもすうっと血が通わなくなってしまう。


 フェリスが意識を失いかけた直後、窓から屋内へ禍々まがまがしい閃光が流れこんだ。


「ひいいっ!」


 おびえたのはヤコブの方で、フェリスをどさっと床に落とした。


「ぐへっ……げほっげほっ」


 間一髪、どうにか呼吸と血流をとりもどしたフェリスはしゃがんだまま喉を両手でさすった。


 閃光がもう一回フェリス達の陰影をはっきりと壁に浮かびあがらせた。ヤコブのそれは、背にコウモリめいた小さな翼が生えかけていた。


 と、耳を引き裂きかねない轟音が小屋を震わせた。


「わぁーっ!」


 両手で自分の頭を抱えながら、ヤコブは小屋からでていった。稲妻が三度吠え、大粒の雨が屋根や壁を叩きだす。


 まずドアをしめ、南京錠をかけた。思えば二日前、あまりにも重くなった倦怠けんたいから不覚にも施錠なしで寝いってしまった。ヤコブが全面的に悪いのは……悪いというより頓珍漢なのは……当然として、自衛にはもっと神経をつかわねば。


 この件は、バオベに報告せざるをえない。抗議というより相談に近いが、まさかバオベも自分よりヤコブの立場を尊重したりなどしないだろう。当然の予測だが、変なことを思いだした。


 バオベもまた、おかしな影を持っていた。


 自分はどうなのだろう? あるいは、自分ではわからないのか?


 自分自身はどうなのだろう。


 雨が降っているし、雷はもう光らなくなっている。このままだと薄暗くて影はできない。


 どのみち、窓をしめないと雨粒が中まで降りこんでくる。ガラスではなく簡単な板を開け閉めするだけの窓なので、閉めたらたら小屋は暗闇に近くなる。


 フェリスはまずランプを灯し、ついで窓をしめた。壁に映った自分の影にはなんの問題もなく、ひとまずは安堵する。


 そこで、寝床の近くに転がったままの巻物が視野に入った。


 ちょうどいい機会だ。ヤコブの件は明日にでも街へいくとして、『宿題』を消化してしまおう。まだしも建設的だろう。


 こうして巻物にとりかかったフェリスだが、たちまち顔をしかめた。


 ありていにいって、錬金術について語った内容だったからだ。嫌でも、バオベからもらった喋る人形を思いだしてしまう。


 放りだすには時間をもてあましていたし、ヤコブの乱入から頭を切りかえたくもあった。結局、渋々ながらとりかかる。


 要約すると、美や芸術は決して守護聖人の独占ではない。むしろ、異端や悪魔とされる存在こそが創作に飛躍をもたらすという内容だった。その一端として、喋る人形の製造方法が記してある。


 もっとも、この手の書物の常で肝心な部分は全てぼかしたりあやふやな書き方になったりしている。つまり、実践として役にたたない。


 バオベはどうしてこんな巻物をもたらしたのか。まさか、次の依頼が喋る人形の制作などというのではないだろう。あまりにも陳腐すぎる。


 ただ、あの人形とは叶うならもっと話がしたかった。


 巻物を元通りにしたとき、ドアがノックされた。いくらなんでもヤコブではないだろう。


「はい」

「タキピオとハンナです。開けてください」


 タキピオだけならともかく、ハンナ? あのマッサージ師だろうか。


 いずれにしろ、声からしてタキピオなのは確実だ。フェリスは南京錠を外した。


「フェリスさん、申し訳ないが雨宿りさせてもらえませんか?」


 ずぶ濡れのタキピオが、同じ状態のハンナを横にしながら頼んできた。巻物に集中していて気づかなかったが、雨は土砂降りになっている。


「それはお困りでしょう。どうぞ、中へ」

「ありがとうございます」


 タキピオは丁寧にお辞儀した。ハンナも礼は尽くしているが、寒さのせいか唇が青黒くなってがたがた震えている。


「暖炉に薪をくべますので、その辺にでも座っていてください。ろくなもてなしができずにもどかしいです」


 タキピオの肩書きもあるが、難儀した人間に親切にする程度の良識はフェリスにもある。


「なにからなにまで感謝の言葉もありません」


 タキピオは、フェリスからタオルを受けとりながら明るい表情になった。


「私も……ありがとうございます」


 がちがちと寒そうに歯を鳴らしながら、ハンナもようやく口にした。


 火のついた薪をしばらく見つめて、唐突にフェリスは気づいた。最悪に身だしなみがひどい。さりとて、いまさらひげをそったり顔を洗ったりするのも気が引ける。


「火のそばへどうぞ。暖まってください。お湯も沸かしますから、ヤブランの煎じ汁でも飲んで元気をだしてください」


 身だしなみはともかく、もてなすと決めたからには中途半端なことはできなかった。


 フェリスの親切に感激した二人は、礼を述べつつ彼の提案に応じた。


「ここまで助けてもらったからには、私達がこうなったいきさつを話したいのですが……ハンナもいいかい?」


 タキピオがハンナへ呼びかけたときの言葉遣いは、いかにもな官僚口調など微塵も感じさせなかった。


「はい」


 火にあたり、多少なりと血色のよくなったハンナはしっかりとうなずいた。


「あー、それで……。私達は、結婚することにしたんです」

「ケッコン!?」


 ヤコブの襲撃に勝るとも劣らない衝撃だ。飲み物を口にしていたら、素で吹きだしていたかもしれない。


「いつぞや、ハンナの施術院でお会いしましたよね? あれから数日して、その……交際を私から申しこみました」


 だからタキピオはあんなに緊張していたのか。祝福すべきか呆れるべきか。


「私が仕事を続けるのも、タキピオは賛成してくれました。今日は、フェリスさんとお会いした泉までいっしょにヤブランを摘みにいくところだったんです」

「それはそれは……おめでとうございます」


 他人の恋愛にそのものに興味はないが、ヤコブから遠ざかるには打ってつけだ。


「ありがとうございます。もっとも、書類を整えるだけで本格的な結婚式はしないつもりです」


 タキピオは特に残念そうでもなく説明した。


「ほう、どうしてですか?」


 参事会員ともなれば、さぞや盛大な宴会になるはずだ。


「たがいの実家から不釣りあいだと反対されてまして。駆け落ちするつもりはありませんが、ささやかな幸福から始めますよ」


 そう述べたタキピオに、ハンナはそっと肩を寄せた。


 タキピオだけしかいなかったなら、ヤコブの乱入について伝えておくべきかどうか迷ったところだ。いくらなんでも、ここでそれは無粋すぎる。変なところでハンナの存在に感謝した。


 お湯が沸き、フェリスは自分も含めて三杯のヤブラン汁を淹れた。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 異口同音を果たした二人は、フェリスからコップを受けとった。


 しばらくは、三人とも黙って中身を飲んだ。


 どのみち、フェリスはローマへいく。ヤコブがどうだろうと、この街そのものとは縁が切れる。だいいち彼は被害者だ。仮になにかあっても、あくまでバオベが処理すべき案件だろう。


 まともな人々をもてなして暖かい飲み物を飲むと、そんな風に頭が整理されてきた。


「雨がやみましたね」


 ヤブラン汁を飲み干してから、タキピオは顔をほころばせた。それは、帰るタイミングになったという実質的な合図だった。


「とても親切にしてくださってありがとうございます。そろそろおいとましないと」


 ハンナも機会をうまく捉えた。


「名残り惜しいですが、またお会いしましょう。お幸せに」


 フェリスはそうしめくくり、たちあがった二人を戸口まで見送った。

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