第八話 転換

 彼としては、芸術家として本格的な力をつける好機なのも承知していた。矛盾をはらんだ複雑な感情が、うまくもない冗談として口をついた。


「なきにしもあらずだ」


 にこりともせずに、バオベは控えめな同意をした。


「細かい条件を聞かせてくれ」

「大きさは大人の胴体ほど、埋葬される本人と立会人数名。いずれも修道士。一般的な墓地ではなく、森の中での密葬にして欲しい。時間帯は問わぬ。素材は大理石だが、いっさいの経費は私が負担する」


 バオベの言葉を、フェリスは一つ一つ紙に書きこんだ。


「報酬は、ローマでのアトリエと宣伝だ」

「金じゃないのか?」


 いうまでもなく、フェリスは金の亡者ではない。しかし、依頼も風変わりなら報酬はそれ以上だ。


「お前の才能をこんな片田舎で朽ちさせるのは馬鹿げている。今一度ローマへいけ。お前の義父だの元師匠だのは、お前が帰りさえすればたちまち二人そろってお前の足元にひれ伏すだろう」

「ど、どうしてそこまで断言できるんだ?」

「この作品こそが雄弁な証拠だ」


 バオベは、『横たわる異端』に右手をかざした。


 そのとき、たまたま小屋の窓から日光が差しこんだ。弾みでフェリス達の影が壁に張りついた。


 バオベの影は、頭から角が突きでていた。それだけではない。胸の膨らみは、明らかに女。


 影がそうだというだけで、本人はただの男だ。だからこそ、よけいに不気味だった。まるで、『横たわる異端』の着想を練っていてライオンの牙を手にしたときのフェリスのように。


「最後に。制作期間は一ヶ月。一ヶ月で完成させて欲しい」

「一ヶ月!?」


 『横たわる異端』……大人の二の腕程度の大きさ……でさえ一ヶ月近くかかった。その衝撃で、バオベに彼自身の影……すでに普通の人間のものに戻っている……についてききそびれてしまった。


「商用で、一ヶ月のちには遠い国へいかねばならぬ。お前なら、この時間でも果たせると見こんでのことだ」

「……」

「私からの条件は以上だ。改めて確認するが、引き受けるか?」

「や、やるよ。ここで逃げるほど、俺は腰抜けじゃない!」

「その台詞を聞いて安心した。私は街に仮事務所を開いている。必要な品はなんでも手配するので要望してくれ。私がいなくとも、誰かが必ずいるようにしておく」

「ありがとう。やる気が満ちあふれてきたよ」

「なによりだ。では、また」


 バオベは速やかに退席した。湧きあがる芸術意識と同時に、フェリスはとうとうタキピオやヤコブについて聞きそびれてしまった。


 それから数日。


 自分の小屋の中で腕組みをしたり、うろうろ歩きまわったりするのも限界に達していた。せいぜい、何十個もの丸めた紙くずを蹴とばすだけだ。


 着想のちゃの字もでてこない。


 バオベの要望を、言葉どおりの意味で単純に実行するだけなら簡単だ。現在の技術でもそれらしい品はできる。


 しかし、そんな小手先が通用するとはとても思えない。だいいちフェリスのプロ意識にとって耐えられない。


 『横たわる異端』で味わった、自分で自分の皮膚を肉ごとむしりとっていくような意欲の発露にどうしてもつながらない。


 具体的な作業には一切かかってないのに、やたらに肩や腰が痛んだ。病は気からとはよくいったものだ。


 首筋をもみしだいていると、不意に泉で会った女を思いだした。ハンナとかいったか。


 どうせやれることもなし、気分転換かたがた街にいって彼女のマッサージを受けようとフェリスは考えた。ヤコブの消息は不明なままだが、まさか待ち伏せしたりはするまい。


 会ったときにもらったパンフレットをまだとっていたのは幸いだった。まだ陽も高いし、営業時間には十分間にあうだろう。


 思いたったが吉日で、フェリスは小屋をでた。街につくと……さすがに北門の晒し台は片づけてあったしライオン頭の遺体もなかったが……、パンフレットを頼りに店を探し当てた。


 中央広場からはかなり離れた、職人達の区画にそれはあった。行列ができているのではないが、清潔そうな雰囲気がする。


 ドアを開けるとすぐ、待合室になっていた。質素な椅子がならんでいて、先客が一人。壁に張られた料金表を眺めている。あまりこういう場で……いや、どこであれ……会いたい人間ではなかった。毛嫌いしているのではないにしろ。


「タキピオさん、こんにちは」


 いかに苦手な人間といえども、今いる街の参事会員に礼を欠くほどフェリスは馬鹿ではない。


「え? あ、ああっごんにちば!」


 いつもの兵士がいないことといい、やたらに慌てた返事といい様子がおかしい。


「いい天気ですね」


 あいさつを重ねつつ、フェリスは少し離れた場所に座った。


「い、いやまったく」

「タキピオさんも、肩か手首を痛めたんですか?」


 フェリスとしては、ただのありふれた社交だった……ローマでつちかった愛想だ。


「い、いや腰をやらかしましてね。あなたは?」

「肩と手首ですね」


 さっき『タキピオさんも』といったのだから、いつものタキピオなら気づくはず。


「ここは開業したばかりですけど評判は上々ですよ」


 タキピオは話を微妙に変えようとした。待合室にはフェリスとタキピオの二人しかいないにしても。


「そういえば、ハンナさんでしたっけ。この前会ったんですよ」


 フェリスは泉のいきさつを思い浮かべながら明かした。


「ええっ!? どこで!?」


 予想外の食いつきぶりに、フェリスはそれこそ腰を引いた。


「森の泉です」

「泉!?」

「俺が水汲みにきたとき、ハンナさんはヤブランを摘んでましたよ」

「そ、そ、それで?」

「それで?」


 タキピオの真意がわからず、フェリスは首をひねった。


「い、いやなんでもありません。いい天気ですなあ」

「はい、たしかに」


 『施術室』という札が打ちつけられたドアが開き、しなびた老人が首を自分でもみほぐしながらでてきた。このうえなく爽やかな表情だ。


「次の方、どうぞ」


 施術室の戸口から顔をだして、ハンナが呼びかけた。


「はっ、はいっ」


 弾かれたようにタキピオはたちあがり、期待と緊張に満ちあふれた顔つきで戸口をくぐった。


 それから一時間……料金表にある最長コース……ほど、フェリスは待たねばならなかった。漠然と作品について考えたものの、特になにかがまとまったのでもなかった。


 とうとう時間がきて、タキピオが姿を現した。なにか、がっかりした眉根になっている。


「次の方、どうぞ」

「はい」


 タキピオと入れ違いに、フェリスは施術室に足をむけた。


 いざ確かめると、予想よりはずっと広い部屋だった。明るく、風とおしがいいうえに香油もかれている。室内に溜まった香りはごく薄く、注意しないと感じられないくらいだった。それでも、甘い空気だけで身体の強ばりが少しはほぐれそうな気がしてくる。


 ハンナは、普段着に近い格好をしていた。髪は邪魔にならないよう結っていたが、特に印象が変わったのでもない。


「お具合はどの辺りが障っていますか?」

「両肩と両手首です」

「お時間はどうしましょう?」

「一番短いものをお願いします」

「かしこまりました。お召し物はそのままで、こちらの椅子におかけください」

「はい」


 着席すると、失礼しますと一声かけてから肩がもまれた。


「ぐむうっ……」

「痛いですか?」

「い、いやそのまま」

「はい。痛ければすぐにおっしゃってくださいませ」

「わかりました」


 肩甲骨にハンナの指がぐりぐりと食いこみ、フェリスの全身はなんともいえない解放感に浸されていった。


 詰めこみすぎていた意識が薄皮をはがすように緩み、フェリスは着席したままうとうとし始めた。


 そこでフェリスが見た夢は、奇妙きてれつという言葉を百回は重ねた内容となった。


 まず、彼は肉体的に女になっていた。意識や記憶は元のままなのが、余計に違和感をかきたてる。


 そして、一人の男とともにどこかの山奥にいた。男は、前に見た夢でもでてきたゲルマン人の傭兵に顔が似ていた。そして、スコップの柄を肩にぽんぽん当てている。


 自分もその男もおかしな服を身につけていた。動きやすそうではあるが四角四面だ。


 フェリス達二人は、一人の男を見おろしていた。山の中とはいえ、木がまばらで平らになった場所はある。見おろされている男は、細身でかなり若く……ハンナと同じくらいか……地面にひざまずいていた。ひざまずく男も、フェリス達と同じような服を着ている。流行りすたりというより、まるで異なる国の異なる習慣のようだ。


 フェリスとともにいる男が、スコップを振りあげた。


「ましたよ」

「ふぇ?」


 我ながら間のぬけた声だ。


「終わりましたよ。お時間です」

「あ、ああっ。こりゃどうも。すみません」

「いえ、お客様が寝られるのはごく当たり前ですから。お具合はいかがですか?」

「すごく……軽いです」


 それは偽りのない本音だった。肩や腕にまとわりついていた、どんよりした苦痛まじりの重さがきれいさっぱりなくなっている。


「なによりです。それでは、お支払いをお願いします」

「はい」


 待合室の料金表どおりの金を払い、フェリスは快く施術室をでた。肉体的には。


 精神的には、奇妙な夢がどうにもひっかかっている。もっとも、ここで悩んでもしかたないことではあった。

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