第六話 親密

『おっはよー。朝だよ』


 滑らかなボーイソプラノが、陽気に声をかけてきた。


「むむむ……」


 フェリスはうなった。


『仕事の時間だよーっ! おっきろー!』

「ううう……」


 寝床でもだえるフェリス。


『私の死に顔は面白いか、フェリス?』


 ライオン頭の声そのもので、ろくでもない台詞が再現された。


「ぎゃーっ!」


 フェリスはがばっと跳ね起きた。室内には、彼を除けば誰もいない。


『ふむ。やっと起きたか』


 今度はバオベだ。


「バオベさん? 俺をからかってるのか?」

『やだなぁ、なかなか起きないからちょっと工夫しただけだよ』


 またしても、ボーイソプラノ。


「誰だ!? どこにいる!?」

『ここだ、フェリス』


 ふたたびバオベが答えた。


「いい加減に……」

『作業台に置いたでしょ?』


 ボーイソプラノのからかうような口調に、ハッと作業台に注目した。バオベからの土産がある。


『まさか、根っこが喋るはずないよね?』

「人形が……人形が喋っているのか?」

『まあ、だいたいそうだね。でも、僕は口が動かないから。君の心にじかに語りかけてるよ。つまり、他の人には聞こえない』


 なんということだ。ついに自分は頭がおかしくなったのかと、フェリスは両手で頭を抱えた。


『悩む前に、朝ご飯にしたら? ほとんど昼ご飯に近いけど』


 今日、起きてから一番まともな意見だった。


「人形がどうしてそんなことを心配する? そもそもどうして俺の心に語りかけられるんだ?」

『僕は錬金術で作られたんだ。そのとき、偽物の魂を吹きこまれたんだよ』

「どうやって?」

『さあ? 気がついたらバオベの所持品になっていたね』


 いくらフェリスが不信心とはいえ、錬金術など異端中の異端だ。どうしてバオベは、フェリスの立場を危うくしかねないような代物を土産によこしたのか。


「元の持ち主の……ギリシャ貴族だか誰だかがお前を作ったのか?」

『そうだね。もっとも、お金を払って錬金術師に依頼したんだけど』

「じゃあ、その錬金術師は?」

『君だって、自分ができた瞬間のことなんて覚えてないだろ?』

「……」


 図らずも、フェリスは意図して封印してきた不快極まる記憶を暴かれた。義父や元師匠の倒錯劇に触れ、自分が何者かから生まれたという当たり前な事実を棚あげしてきたことに思い当たらされた。


『とにかく、ご飯にしたら?』

「それはお前にいわれるまでもない。だが、変な魔法でも使ったら金槌で木っ端微塵にしてやるからな」

『はーい』


 人形のペースに振りまわされるのはもうたくさんだ。


 食事を含む一日の準備は、数十分で終わった。


『よく噛まないと消化に悪いぞ』

「バオベの真似はやめろ」

『そういって欲しいくせに。粗末なご飯だけど』

「おいっ! あんまりふざけると……」

『メメント・モリ。早くしあげなきゃ、忘れちゃうんじゃない?』


 そうだ。ノミを壊してから、制作は中断されたままだ。


「余計なことを口にしたらぶっ壊すからな」

『あー、それが僕の……はい、ここからは黙ります』

「よし」


 そこからは、このうえなく整理された頭でノミをふるった。黙々と荒削りを進め……どのみち昼食は無視するつもりだった……日没までひたすら腕をふるった。


 額の汗を手の甲でぬぐい、フェリスは窓ごしに遠い夕陽を睨んだ。夜もぎりぎりまで……といいたいが、先は長い。むしろ、じっくり作品のいきつく先を考えたほうがいいだろう。


 ならば。


 水瓶から桶に水を満たし、新しい衣服と下着も手にして小屋をでた。裏庭の畑で下着姿になり、桶の水を頭からかぶる。用事はそれだけなので、鍵までかける気になれなかった。


 新しい服を身につけて小屋にもどり、夕食をすませた。朝食だか昼食だかわからなかった本日の最初の食事と内容は変わらない。


『ライオン頭はどうして自殺しちゃったのかな』


 短い食事があらかた終わったとき、人形は問いかけた。


「お前は黙ってるはずだろう」

『もう仕事は終わってるよ』

「勝手に決めつけるな」

『だって退屈なんだもん』

「だからって俺をまきこむな」

『死や死後の世界はキリスト教徒だけのものじゃないよね?』

「うるさい」

『ヤコブもいよいよとなったらあとを追うのかな?』

「うるさい!」


 フェリスはテーブルを両拳で叩いた。


『キリスト教徒は愛まで独り占めだよ。だけど、ライオン頭とヤコブの間にも愛はあったね』


 もう我慢の限界だ。


『君とバオベの間柄のように』


 椅子からたちあがりかけたフェリスの腰が、中途半端な位置でとまった。


「なんだと?」

『肉体的な愛じゃないよ。人類愛とか同志愛とか、そんなのさ』

「俺達とヤコブ達が同じっていいたいのか?」

『少なくとも、信頼関係はなりたってるよね?』

「そうだとして、なにがいいたいんだ」

『僕はただ、君が愛について宙ぶらりんな立場にいるって明かしただけ』

「俺の経歴を知ってていってるのか?」

『そんなことはないよ。ただ、ライオン頭の死を扱うなら、死の背景を詳しく知らなきゃいけない。それは必然的に死んだ動機にいきつくし、芋づる式に君の考える愛の姿にまで至るってこと』

「人形のくせに利いた風な口をきく奴だな。だいたいお前は異端の技で作られたんだろ?」

『そうだよ。僕は本来生まれてはいけなかった。キリスト教の教えからすれば。でもこうやって存在してる。君は、バオベを愛するのと同様に僕を愛せるかい?』

「人形のたわごとなど知るか」

『じゃあ、全部無視して制作する? それでもひととおりの品はできるだろうね。正確な、正確なだけの品が』

「お前を愛したらそうじゃなくなるとでもいうのか? それこそ傲慢ってもんだろう」

『僕は要求してないよ。選ぶか選ばないかをはっきりさせただけだし』

「結局はお前のいうとおりにしないと駄作になるって脅してるようなもんだろ」

『ちがうよ、君が無意識に気づきかけている点を浮かびあがらせているんだ』

「無意識に? いったいなんなんだ」

『異端であろうとなかろうと、死そのものは公平でしょう?』

「それで?」

『愛だって、同じように公平なんじゃないの?』

「神学問答はよそでやってくれ」

『死は誰にでも微笑みかける。人はただ、微笑みかえすのみ。マルクス・アウレリウス・アントニウス帝の言葉。愛もまた、誰にでも微笑みかけるし誰からも微笑みかえされるよ』


 人形のもたらしたその言葉に、フェリスは突きかえす言葉を失った。


 彼自身は、歪んで腐敗した擬似愛に二回も人生を狂わされた。肉体的な問題にこそ至らずにすんだが、このさいどうでもいい。


 バオベはたしかに、無償の愛を示した。しかも、現在に至るまでとぎれてない。


 ならば、フェリスも微笑みかえすときがきつつあるのではないのか。


 怪しい人形の神学問答はさておき、ライオン頭の死にこめる思索が自殺だけではバオベを満足させるに及ばないだろう。


「ふん。まあ、一応参考程度には聞いておいてやるよ」

『素直じゃないなあ。本心は嬉しいくせに』

「やかましい!」

『とりあえず、座ったら?』


 いわれてフェリスは、自分がずっと中腰のままだったのをようやく知った。


 椅子に座りなおすと、とっぷり陽が暮れているのにもやっと感づいた。のしかかる疲労も。


「今日はもう寝る」

『うん、お休み』


 フェリスは、月光を頼りにドアの南京錠をかけた。それから就寝まではあっという間だった。


 翌朝。


 人形に起こされるまでもなく、フェリスは目ざめた。


 まずは顔を洗おうと水瓶に近寄ると、作業台のうえで起きた異変が眠気の残りかすを叩きこわした。


 人形が、粉々になっている。


「おい」


 フェリスは、人形に近よりながら呼びかけた。返事はない。


「おいっ!」


 強めに口にしたものの、変化はなかった。


 人間なら、せめて肩を揺さぶるくらいはできるものを。


 粘土に戻ったかつての人形は、もはやなにも語らなかった。なにが原因なのかはまったくわからない。結果だけが横たわっている。


 フェリスの両目から、期せずして涙が流れだした。物心ついて以来、彼は泣くなどという行為とまるで無縁だった。生き物ですらない存在の最期に、生まれて初めて泣きたくなって泣いた。


 ひとしきり悲しんだあと、フェリスはできるだけ注意深く人形だった粘土を裏庭に運んだ。それから穴を掘って、粘土を埋めた。


 物に墓を作るなど、昨日までの彼なら笑いとばしていただろう。フェリスの心もまた、これまでのそれと比べればある意味で部分的な死を迎えた。


 墓穴は埋めた。次は、心に開いた穴を埋めねばならない。

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