第五話 土産

 結局、タキピオ達をあとから追う形で北門を通りすぎた。


「この異端めが! 流言飛語にも程があるぞ!」


 門からでてすぐ、タキピオの腹ただしさが聞こえてきた。食べたばかりの胃を直撃しそうだ。案の定、橋のたもとでヤコブがタキピオの兵士達に取りおさえられていた。ヤコブは、少なくともフェリスよりははるかに力があるはずだ。しかし、兵士達もふだんから訓練している。多勢に無勢だ。


「ふんっ、時すでに遅しだ! 我々がまいた種は石畳を突き破る双葉のごとく……」

「やかましい!」


 兵士の一人がヤコブの口を殴った。たちまち彼の唇が切れ、台詞がとぎれた代わりに血が流れる。その様子を、ライオン頭の首はじっと眺めていた……ように思えた。まるで、油の切れかかったランプがついたり消えたりするような印象を覚えた。


 いやいやいや。あくまで自分とは無関係。物理的な事実を頭の中で念じ、フェリスは三人と一人をやりすごして橋を渡った。彼らの誰からも、なんの関心も持たれなかったのは幸いだった。


 しかし、フェリスはもう一度首を曲げてライオン頭の顔をたしかめる誘惑をずっと感じていた。どうにか抑えられたものの、いきしなに耳にした幻聴はしつこく記憶に残った。


 小屋に帰りついたら、とうに正午をすぎていた。


 すぐにでも制作を再開したい。しかし、その前にどうしても必要な作業がある。


 出入口の裏表に、それぞれ別の南京錠をつけておいた。鍵も二つあり、紐をとおして自分の首にかけておく。これで、まさに肌身離れなくなった。


 さっそくドアの内側にある南京錠を閉じると、これまでとはまるで異なる気持ちが湧いてきた。


 生まれて初めて、フェリスは自分だけの『環境』を手にした。小屋はたしかに彼のものだが、どこかバオベへの遠慮があった。ライオン頭の乱入は、自衛という当然至極な動機からそれを薄める形になった。同時に、この得がたい収穫をいつまでも手にしていたかった。彼にとって、作品を認められることと自分だけの空間を保つことはなんら変わらない。


 ではようやく本来の仕事へ……というところで大きなあくびがでてきてしまった。


 無理もない。買いだしだけでも一苦労だが、ヤコブの顛末まで目にさせられている。さらに、ライオン頭の言葉。


 切断された首がべらべら喋るわけがない。ヤコブがあまり熱にふれすぎた世迷言よまいごとを垂れながしたので、疲れも重なって幻聴を感じたのだろう。


 ならば、休むか。


 一回気が緩むと、このうえなく深い眠気が襲ってきた。無視して制作を強行すると、また大事な道具を失うことになりかねない。


 またあくびがでた。


 新しいノミを作業台に置いてから、フェリスは寝床に潜りこんだ。すぐに意識が遠のいた。


 夢の中で、無数の槍や剣が振りまわされている。馬ごと倒される者、相手の盾にいくつ目かの傷や凹みをつける者。悲鳴や雄叫びも木霊している。


 まるで雲かなにかに乗って、地上を観察しているような感覚だった。自分が戦乱を目のあたりにしているのは明らかだ。しかし、血みどろになって戦う人々の鎧や兜は見たことも聞いたこともない意匠であり仕組みだった。少なくともローマの正規軍とは関係ない。


 彼らが身につけている品々の細かい差よりも、倒れた相手へまさにとどめを刺そうとする人間が気になった。斜めうえから横顔を知ったが、どこか記憶にひっかかる……そうだ、数日前に小屋をとおりすぎた兵士達の一人にそっくりだ。となると、少なくとも一方はゲルマン人の集団か。


 などと思いだしていたら、今度は倒された側と目があった。なんの覚えもないはずなのに、相手は驚きのあまり口をぱくぱくさせた。


『リザ……』


 倒された人間は、なにかいいかけたところで喉をかき斬られた。血しぶきとともに言葉が消え失せた。


『リザ……?』


 フェリスが頭の中で見聞を整理していると、地震めいたうなりが耳を騒がせた。


「リス!」

『リス?』

「フェリス! いるんだろ? 起きろ!」


 ドアがひっきりなしに叩かれる音に、バオベの声が混ざった。


 毛布を跳ねのけ、フェリスは起きた。


「すまない、バオベ! ちょっと待ってくれ!」


 ドアの外にむけて頼むと、ようやく静かになった。


 屋内は、暗闇より少しましな明るさしかない。大慌てでランプをつけ、水瓶に手をつっこんで顔を洗い口をすすいだ。


 つけたばかりの南京錠を開けるのは、これが初めての機会となる。感慨にふける余裕もなく、できるだけすばやく戸口を開いた。


「夜中にすまない」


 バオベは礼儀正しく詫びた。


「いや、こちらこそ。まともなもてなしはできないが、あがってくれ」


 フェリスの言葉を受けて、バオベは敷居をまたいだ。


「なにやら頓珍漢な人間に脅迫されたと聞いてな。心配になったから様子をたしかめにきた」


 勧められた椅子に腰をおろしながら、バオベは説明した。


「ああ、ひどい奴だったよ……タキピオから聞いたのか?」


 まさか、タキピオが連れていた兵士達が明かしたとは考えにくい。


「いや、ヤコブからだ。正確には、ヤコブの身元を引き受けたさいに聞いた」

「ヤコブ? 橋のたもとで辻説法していた?」


 バオベが自分に不利益を働くはずがない。さりとて、ヤコブはあの忌まわしいライオン頭の同志だ。思わず顔をしかめそうになってしまった。


「そうだ。彼自身は単なるカルト宗教の信者だが、商売としては重要な取引にかかわっている」


 フェリスが所有するこの小屋も、バオベから譲られたものだ。だからこそ、むげに否定することはできない。


「元々、あいつは漁師だ。私はあいつから魚を買いつけ、海から離れた街まで売りにいくことが多々ある。それで、身元を保証してやった」

「でも……バオベさんまで異端になったら元も子もないんじゃないか?」


 バオベならそんな間抜けな失態はしでかさないとは、フェリスも思っている。一方で、フェリスの生活はバオベなしにはなりたたなかった。


「その心配は当然だが、問題ない。ヤコブにはきつく言いきかせた。自殺した異端を横にアンチ・キリストを訴えるなど、はりつけにされても文句はいえないからな」


 まるで、聞きわけのない子を叱りつける親のような言いぐさだった。


「どうせそうなるだろ? ああいうのは歯どめが効かないよ」

「仮にそうでも、差し引きして有益なうちはかまわない」


 バオベから、冷酷な……まず冷酷といっていい表現を耳にするのは生まれて初めてだった。


 ヤコブの保護にこだわったのは、軽い嫉妬からだった。自分こそがバオベにもっとも理解されたく、かつ自分もバオベの一番の理解者たらんという意思からの。


 バオベが新たに示した冷酷さは、フェリスの意思や嫉妬に水をさしたりはなしなかった。その逆だった。


「なにかあったら、俺はバオベさんの力になりたいよ。恩義に報いたいんだ」

「その意気やよし。無事なのがわかったところで土産を渡そう」

「土産?」


 バオベは、乾燥した植物の根を数本と一体の人形をだした。根は一本一本が手首から人差し指の先くらいまでな長さをしている。人形は粘土でできており、手の平に収まるほどの大きさだった。ひげをたくわえた男性をかたどっている。


「ヤブランの根だ。疲れが溜まりそうになったら、一回につき中指一本分の長さをコップ二杯分の水で煮詰めろ。水が三分の一になったら火から外して三回にわけて飲むのだ。レシピも添えておく」

「ありがとう」


 ここ一連の苦労からして、まさに必要な品だ。


「その人形は、とあるギリシャの貴族が所有していたものだ。聖ルカの名が背に刻んである」


 聖ルカは医者でもあり画家でもあった。一応、フェリスもローマにいたとき聞いたことはある。


「お前がキリスト教に大して関心を持たないのは知っているが、大げさに十字架を掲げるのが嫌ならせめてそのくらいは置いておけ」

「これも嬉しいな。心配してくれたばかりか、大層な土産までくれて感謝の言葉もないよ」

「お前にはゼニカネに変えられないほど貴重な芸術を生みだしてもらわねばならんからな」


 やはり、自分こそバオベの真の友人なのだ。フェリスの自尊心は大いに満たされた。


「さて、夜も遅いし私も明日の仕事がある。これでお暇しよう」

「ああ。バオベこそ気をつけて」


 フェリスの挨拶に軽くうなずき、バオベは小屋をあとにした。


 一人になってから、フェリスはまたドアに施錠した。バオベの訪問で起こされたとはいえ、簡単に回復する消耗ではない。軽く肩をもみほぐし、朝まで二度寝を決めこんだ。

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