第四話 惑乱

 ランプの油が切れるころ、夜が明け始めた。一晩中打ちこんだあとの室内は石くずだらけで、作品はまだまだ荒削りにすら達してない。


 このまま、とにかく完成するまで片時も手を離したくない。だが、ライオン頭の件からずっと休みなしで小屋を片づけたり埋葬用の穴を掘ったりしている。身体がもつはずがない。


 ノミを作業台に置き、フェリスは布で手をふいたあと椅子を引いた。いったん休もうとたった直後に目がくらみ、倒れこんだ。弾みで手をついたつもりが作業台を払ってしまい、ノミや金槌がけたたましい音とともに落ちた。


「しまった!」


 声にだしてもすでに遅い。ノミの一つが、遅れて降ってきた金槌に叩かれて刃を傷めてしまった。


「く、くそっ!」


 未熟。話にならない未熟。自分で自分を責めるほかない。


 習作とはいえ、せっかく掴みかけた着想が台なしになりかねない。ただ、幸運にも今日は街の中央広場で市がたつ。朝になったし、すぐ出発すれば代わりを買えるだろう。持ちあわせがないわけでもない。


 体調を意識するなら、一眠りしてからの方が安全なのはいうまでもない。にもかかわらず、神経がささくれだってとうてい無理だ。むしろ、新しいノミを仕入れてこそ気持ちが安定する。


 もう一つ。簡単な鍵も買っておこう。ライオン頭の件もあるし、大事な作品が盗まれでもしたらとりかえしがつかない。


 こうして、フェリスは数ヶ月ぶりに街へとくりだした。


 街に近づくと、予想したとおりの光景とそうでないそれとが同時にフェリスを待ちかまえていた。


 蛮族や敵の軍隊を防ぐ壁で、街は野外から区切られている。壁には、東西南北のそれぞれに門が構えてあった。


 フェリスがむかうのは北門で、手前に小さな川が流れていた。川にかかる橋の、街側のたもとに簡単な木製の台と柱が用意してある。ふだんは片づけてあるが、ここ数日は特別だ。


 柱の高さは大人の背丈でなら三人分ほどだろうか。台は柱を支えており、大人が二人ほどならんであおむけになれる広さだった。


 柱は、てっぺん近くに横木が突きでている。横木の長さは柱の二割ほどで、ロープが結びつけられていた。


 ロープには、首のない人間が逆さ吊りにされている。上半身が裸なので、男なのは一目瞭然だ。


 台の上には、ちょうど吊られた男の真下にあたる場所に当人とおぼしき首が据えてあった。橋にさしかかりかけたところで、フェリスにもライオン頭の成れの果てだと理解できた。むろん、ライオン頭そのものは外され素顔がむきだしになっている。


 ローマ帝国の領土内なら、異端なだけでも糾弾に値する。まして不法侵入と殺人未遂と自殺が加わった。晒し者にされる理由としては釣りがくるくらい十分だ。


 晒し台の真横には立て札が打ちこんである。細かい字までは読めないが、いきさつが記してあるのだろう。


 自殺。キリスト教徒にとってもっとも忌まわしい最期である。それは悪魔への屈従にほかならない。


 同時に、当たり前すぎて見落としていたことにも思いあたった。いま制作中の習作には自殺という題材が盛りこまれていない。正確には意図されていない。メメント・モリそのものにこだわりすぎていた。こうなると、ノミを傷めてしまったのはむしろ幸運といえよう。


 いずれにしろ、野次馬はほとんどいない。噂話として格好の題材のはず。小さいが平和な……つまりは退屈な街なので、朝とはいえもっと集まっていてもよさそうなのに。


 謎の答えは、台の脇でしっかと地面に両足を踏んばり両手を振りまわす一人の男にあった。


「我が同志の死は、神々の怒りを導くであろう! キリスト教徒達よ、この愚かな仕打ちを地獄で永遠に悔いるがいい! 私、ヤコブはいまこそ予言しよう! 神々の報復はまず、この堕落した悪徳の街から始まると!」


 ヤコブなる男は、一見すればローマにいてもおかしくない身なりをしていた。日焼けした肌をしているが、ライオン頭と同じく辻説法にいそしんでいるのかもしれない。歳のころは中年で、筋骨たくましいがっしりした体格の持ち主でもあった。背もフェリスよりは高く、ローマ人としてなら長身といっていい。


「悔い改め、我が同志となる者はいつでも歓迎する! ともにキリスト教の圧迫から魂を解放しようではないか!」


 ふりあげた拳と同様、節くれだった声音だった。


 ライオン頭の死体はともかく、ヤコブなる異端にはなんの興味もない。無視して橋を渡り、そのままとおりすぎようとした。立て札だけはちらっと読んだが、おおよそフェリスが知るのと変わらないいきさつが記されていた。さすがに、彼の小屋で起きたことまでは明記していない。


『私の死に顔は面白いか、フェリス?』


 背後から声をかけられ、フェリスはぎょっとしてふりかえった。相変わらずヤコブが喉を枯らさんばかりに喋りつづけている。彼のかたわらで、ライオン頭がこちらをじっと眺めていた。クワッと開かれた両目は濁りきっており、これっぽっちも動かない。当たり前だ。


「おお罪深いキリスト教徒よ、お前達は本人の手に委ねるべき死の権利にすら干渉する!」


 聴衆が増えたとでも思ったのか、ヤコブが一段と声を張りあげた。


『私の死に顔は面白いか、フェリス?』


 表情はおろか唇をそよとも響かせずに、ライオン頭は同じ問いかけをした。


『お前もまた死に踊らされる罪人だ』


 ライオン頭は冷徹にフェリスを断じた。


 切断された首が語りかけるのも馬鹿げている。だがそもそも、なぜ彼はフェリスの名を知っているのか。どうせならまずそこから聞きたい。


 いや。ヤコブの前でそんなことをしようものなら、力ずくででも同志にされかねない。


 いやいや。こんな異常な事態を受けて、どうして冷静に未来の選択肢を検討しているのか。事実を受け入れたくなくて、もっともらしい思いつきに逃げているのか。


 フェリスは、一時的にせよ自分で自分の心境が掴めなくなってきた。


「腐敗は着実に広がっている! この街の参事会はいまや利権の殿堂だ! キリスト教の説く清貧とやらがいかに空々しいでたらめか、もはや語るまでもない!」


 皮肉にも、ヤコブの糾弾がフェリスにある種の折りあいをつけさせた。


 要するに、根を詰めすぎて幻聴を耳にしたのだ。フェリスは自分にそういいきかせ、晒し台とヤコブに背をむけた。


 北門を経て街に入ると、そのまま目ぬき通りにつながる。一本道を少し歩けば中央広場に至った。様々な屋台が軒を連ね、買い物客が思い思いに商品を選んでいる。


 鍛冶屋の屋台で、新しいノミも錠前も簡単にそろえることができた。ついでに買い物袋も。


 さっさと帰って休むか制作に打ちこむかすべきではあった。疲労もさることながら、空腹が無視できなくなりつつある。


 バオベから不定期に援助してもらっているとはいえ、基本的には自給自足で暮らしている。無駄遣いは避けたい。


 一方で、ささくれだった身心を少しばかりなだめる必要もあった。現に、さっき自殺という大事な要素を逃したことにようやく気づけた。さらには幻聴まで感じたではないか。


 腹を括り、フェリスは中央広場に面した食堂兼酒場に入った。市場があるので活気づいており、席はほとんど埋まっている。せっかく買った品を盗まれでもしたら、元も子もない。用心しつつ、どうにか椅子に座ってパンと羊肉スープを注文した。


 しばらくして、頼んだ料理が運ばれてきた。パンは一番安いものを選んだが、丸く厚みがあり中心にむけて刻まれた切れ目にオリーブオイルが染みていた。羊肉スープは肉が少なすぎて塩気も薄かったものの、堅くて重くて酸っぱいパンには意外にもよく合った。とにかくガツガツ貪り食った。


 久しぶりに本格的な食事を楽しみ、金を払ってから店をでた。また晒し台の近くを経ねばならないが、腹も落ちついたし二度も三度も幻聴が聞こえたりはしないだろう。


 中央広場にもどると、最近になって見知ったばかりの顔が慌ただしく人混みをかきわけていた。参事会のタキピオだ。相変わらず二名の兵士を伴っている。ただごとならないのはすぐに理解できた。三人が、自分と同様に北門へと進んでいるのも。声をかけられるような状況ではない。さりとて一段落するまでのんびり時間を潰すのも馬鹿馬鹿しい。

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