第三話 埋葬
無傷ですんだとはいえ命がけのたちまわりもあった。だから、フェリスはひどく興奮してはいる。
しかし、タキピオは屈強な兵士を連れてわざわざ助けに……あるいは単純にライオン頭を捕縛するために……きた。世の権威には反発を隠さないフェリスも、さすがにこの場で尊大な口の利き方などできるはずがない。
「なによりです」
「いったい、こいつは何者なんです?」
フェリスとしては、せめて真相を知らないと気がすまない。
「どこかから数日前に流れてきた浮浪者ですよ。最初からこんな格好をしていました。公然とキリスト教を非難する辻説法をしていたので、一回しょっぴいて厳重注意をしたのですが……」
「反省しなかったんですか?」
「一応、そういうそぶりを示しました。でも釈放されるや否やまた辻説法を始めたのです。今度こそ厳罰を与えようとしたら逃げられました。お騒がせして申し訳ありません」
「いえ、間にあってありがたかったです」
「そういってもらえると、多少は気が楽になります。それはそうと、あなたは?」
「石工のフェリスです」
芸術家と名乗りたいが、こういう肩書きの人間には職人の方がいい。
「フェリスさん。家名も伺って構いませんか?」
「フェリス・ツェニーです」
家名は義父についで思いだしたくない言葉だが、しかたない。
「いつからここにおすまいで?」
「何年か前からです」
「お一人ですか?」
「はい」
「街の人間で、かかわりのある方はいますか?」
「行商人のバオベさんなら」
どのみち、バオベはこうしたところで名前をだしても怒らないだろう。
「ああ、バオベさん」
参事会員の表情が、一変して明るくなった。
「いろいろつまらない質問で失礼しました。ところで、死体はこちらが回収します。晒し者にせねばなりませんので」
「それは助かりますが、素顔を見ておいていいですか?」
「どうぞ。ただ、お気をつけて」
ライオン頭の主張そのものはどうでもよかった。
メメント・モリ。まさに『死』が手の届く場所にある。
右膝を床につけ、ライオン頭を両手ではがした。
現れたのは、髪を丸刈りにした冴えない中年男だった。痩せすぎていることもあり、貧相なことこのうえない。失血死したせいで、顔色も白みがかっていた。
それでいい。どう飾ろうが理屈をごねようが、死とはすなわち脱色……漂白だ。
「あのう、そろそろ構いませんか?」
タキピオの台詞で、自分が非常識なほどまじまじとライオン頭……もはやそうではなくなっているが……を見つめ続けているのに気づいた。
「はい、ありがとうございます」
「では」
タキピオは、兵士達に目くばせした。彼らの一人が元ライオン頭を担ぎ、もう一人がライオン頭そのものを脇に抱えた。
三人が一人の死体とともに退場し、嵐は去った。晴れ晴れした感情など湧いてこなかった。これから血をぬぐい、荒れた室内を片づけねばならない。
一方で、フェリスは奇妙な満足を覚えてもいた。奇天烈にして強烈な体験ではあったが、ようやくにも自分の創造精神を刺激する……否、叩き直すきっかけをえた。
あとは、実行あるのみ。
ライオン頭が死んだ翌日。
小屋から歩いて十四、五分ほど隔たった空き地にフェリスはいた。もう昼前だが、朝からずっとだ。小屋をでる前に簡単な朝食をとっただけで、あとは飲まず食わずのままだった。必要なら日没まででも手を休めない。
たゆまぬ忍耐……というよりは情熱……をもって、フェリスは一心不乱にスコップを振るっていた。彼の脇には捨てられた土砂が小さな丘を作っている。さらに、ロープをつけた小ぶりな壺も置いてあった。
彼の頭の中にあるのは、ライオン頭の死体……とりわけ死に顔だった。それが薄れる前に、一刻も早く完遂せねばならなかった。『埋葬』を。
現実には、ライオン頭は街と野外をしきる壁際で晒し者にされているはずだ。それはそれで立派な参考資料だが、物には順序がある。
フェリスは、自分なりのメメント・モリを完遂せんがために死体なき墓穴を掘っている。
当然ながら、死体が腐って白骨化していくのも立派な思索の糧ではある。しかし、フェリスの閃きは儀式としてしめくくった死を要求していた。それこそ司祭でもない彼が葬式をおこなうことは不可能だが、高望みばかりしていてはきりがない。まずは習作からだ。
昼下がりになり、ようやく満足できる深さになった。盛り上がった土砂の山にスコップを突きさし、フェリスは目を閉じた。ライオン頭の顔を思い浮かべつつ、死体をくるむ粗末なむしろを……正確にはむしろを縛る二本のロープを……両手で握ると想像した。
頭の中で進める埋葬は、彼一人だけで進めていない。立会人としてバオベがいる。
むろん、バオベがきたら一連を詳しく語るつもりだ。この『埋葬』も含めて。立会いの最中、バオベは一言も喋らない。きっとそうするはずだ。
腕と腰に力をこめて、フェリスは死体を墓穴に投げ落とした。ドサッと着地したそれは、一回だけ跳ねあがってごくうっすらと小さな土ぼこりを巻きあげる。それはすぐに収まり、フェリスはまたスコップを手にして土をかけ始める。
つまり、現実でも穴を埋め戻す作業に入らねばならない。
一度掘った土は、体積が膨れあがる。そんなことくらいは最初から知っている。黙々と土砂の山を削り、完全に果たしたときにはちょっとした土まんじゅうができていた。本来は墓石でも据えるところながら、自殺した犯罪者であるから必要なかろう。
ともあれ、『埋葬』は完結した。額の汗を右手の甲でぬぐい、ちらっと空を仰いだ。夕方から黄昏時になりつつある。
全身汗まみれな状態だが、すぐ近くに泉がある。ふだんから生活用水に利用しているが、思わぬ使い道が増えることになった。
ロープつきの壺を手にしたフェリスは、中身の水をがぶがぶ飲んだ。たちまち空になった。それから壺のロープを握って肩にかけ、同じ手でスコップも担いだ。目指すは泉。
泉の縁にきて、彼は壺に改めて水を満たした。壺を逆さにして頭から水をかぶるのを、何度か繰り返した。それからスコップの土を落とした。
新たな着想をモノにし、肉体的にもさっぱりしたフェリスは晴れ晴れした気持ちで軽く周囲を眺めた。ヤブランが咲いているのがわかった。
そういえば、ヤブランには強壮作用があるらしい。バオベからちらっと聞いたことがある。あやふやな記憶なのであてにはしないが、根を詰めてノミをふるっていれば必要になるかもしれない。
とにかく、早く帰って仕事にかかりたい。壺とスコップを身につけ、フェリスは小屋を目指した。
帰宅はした。すぐに石を削るようなことはしない。ペンとインクと紙をだして、粗末な机にむかった。まずはスケッチからだ。それも一枚や二枚ではすまない。納得がいくまで何十枚でも描かねばならない。
気がつくと、床に散乱したスケッチを月の光が照らしていた。どれもこれも墓穴を斜めうえから見おろした角度で、穴底に横たわるライオン頭を表現している。そのうえで、ライオン頭をかぶった状態や外した状態、足もとを手前にしたり頭をそうしたりと様々な視点を試みていた。
夜も更けたし、ちゃんとした明かりが欲しい。一区切りをつけ、彼はランプを灯した。
ランプの芯に火がつくと、自分の影が小屋の壁にはりつきうごめいた。
さすがに疲労を感じ、手で肩をほぐしながら足をのばした。とたんに鋭い痛みが右足の裏を襲った。
慌てて足を曲げ、痛みの正体をたしかめると見覚えのある牙だった。ライオン頭の顎から外れたものだ。小屋は隅から隅まできれいにしたはずなのに。
足の傷は無視していいくらいな程度だったが……そういえば、牙を意識して捨てたわけではない。
牙をつまんでしげしげと眺める自らの影が、ちょうど角を生やした悪魔のように壁を彩った。その瞬間、疲労が嘘のように消え稲妻めいた衝動が手足を突きうごかした。
自分の二の腕ほどの大理石を選び、作業台に据えたかと思うと絵筆で下描きを入れだした。バオベが、気を利かせてまっすぐな直方体の大理石をもたらしてくれているのが細かいところで時間の節約になった。
人を惑わせ、狂わせる悪魔……ライオン頭はまさに悪魔と手を組んでいたとしか思えない。つまり、彼は生きながらにして魂の死をとうに迎えていた。
大理石には、邪悪な苦痛に顔どころか全身を歪ませるライオン頭が記された。一刀ごとにあの常軌を逸した主張や絶叫を思いだしながら慎重にノミをふるった。
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