第二話 乱入
とはいえ、まずは生活の基盤を築かねばならない。
初対面の自分に、どうしてそこまで親切にするのかなどと用心している場合ではなかった。一つには、人からいわれたり命じられたりする決まりきった仕事……いうなら職人としてのそれにはうんざりしていた。せっかく手にした技を、自分自身の閃きや価値観だけに沿ってふるいたかった。
バオベはまさに、主題いまだ決めやらないフェリスのパトロンとなったのである。そんな幸運は滅多にないし、断る余力もなかった。
「嫌な夢だったよ。エロ義父とエロ師匠がでてきた」
様々な意味でバオベは恩人だ。にもかかわらず、彼はフェリスに友人として接するよう切望した。フェリスとしては、わずかな困惑を交えつつも受け入れた。唯一、バオベをさんづけするのがある種の癖として残っている。
「それもまた作品に打ちこむ動機だろう」
バオベはたまにしかこないが、いつもフェリスの意欲を支えた。
「でも、入る前にノックくらいしてくれよ」
「したとも。無視されたうえに、うめき声がしてベッドが揺れる音がしたからな」
「俺がこの小屋で唯一気に入らないのは、鍵がかからないことなんだよなぁ」
正確には、以前の所有者は鍵をつける必要を認めなかったらしい。こんな森の中では、泥棒以前に人がくること自体が極めてまれだ。余計な手間を嫌ったのだろう。
冗談めかしてぼやきつつも、フェリスは愛着をこめたまなざしで屋内を眺めた。
「まあ、芸術のために少しくらいの妥協は必要だろう。ところで、今日は仕事のついでに寄ったのだが……」
バオベが言葉を切ると同時に、遠くからかすかにザクッザクッと地面を踏みしめる集団の足音がしてきた。
「異端狩りが厳しくなってきたようだ。お前も十字架くらいは飾っておいた方がいいぞ」
フェリス達ローマ人にとって、キリスト教はすなわち国教である。歴代の皇帝は他の宗教に寛大であったりそうでなかったりした。どのみち失政をごまかしたり没収した財産で国庫を補充したりするために、異端狩りをおこなうことがたまにあった。
「どうせ実行役は蛮族の傭兵だろ? なら、どうにでもいいくるめられるさ」
「まあな」
集団の足音が次第に近づき、ついに小屋の床がかすかに震え始めた。窓ごしに、森の中を進む数百人の兵士達がちらちらと現れては消えていく。隊列を組んで、一様に同じ鎧兜を身につけていた。
その中の一人と、ちらっとだけ目があった。兜からはみでた金色の前髪といい盛りあがった二の腕といい、いかにもなゲルマン人だった。
ローマは、とりわけ西ローマは、もはや自分だけの力で自らを保てなくなっていた。軍隊の中心がゲルマン人の傭兵であってもなんら珍しくない。
「いずれローマは、飼い犬に手を噛まれるやもしれん。金と食い物はしっかり蓄えたほうがいいだろう」
「そうだな」
「では、私はこれで失礼しよう。作品ができたら、また見せてくれ」
「ああ。わざわざきてくれてありがとう」
バオベは去った。戸口で見送りがてら、ふと道端に目をやると一株の花があった。ヤブラン。どこにでもあるささやかな花だ。
花は花に過ぎない。フェリスはバオベのうしろ姿が見えなくなってからドアを閉めた。
父の夢を見てから数日。フェリスは新作の着想を練っていた。床に転がる石の欠片を見おろしつつ、腕組みして首をひねっている。
あれこれ雑多な思索を浮かべては消すうちに、ふと幼少期に教会で聞きかじった話を思いだした。
司祭達は、ローマはメメント・モリを誤解していると熱心に語った。それは快楽の追求ではなく死への思索そのものを……さらには死における魂の救済を……意味するのだと。
フェリスは熱心なキリスト教徒ではない。むしろ、創作の邪魔くらいに捉えている。
ただ、メメント・モリは一つの方針になりそうだった。
先日のバオベではないが、西ローマ帝国という国家は少しずつながらも死に至りつつある。皮肉にも、遍歴に遍歴を重ねた人生経験が逃れられない現実を告げていた。使われる貨幣がどんどん粗雑になり、治安は地方にいくほどひどく乱れている。それをただす行政官自身が汚職にふけり、民衆は不満に思いつつも自分だけはおこぼれにあずかろうとする。
いうまでもなく、フェリスは英雄でも救世主でもない。ただ、自分がそうした世の中に生まれたからにはなにかしらのかかわりが期待されているのだろうとは思った。
ならば、求めようではないか。『死』を。
具体的に、どんな形で『死』を語るのかと考え始めた直後。
ばぁん!
いきなり小屋のドアが開いた。開けるというより突きとばすという表現が当てはまる。
さすがに、フェリスは仰天した。さらには、戸口にいるのがバオベではなく赤の他人なのにもっと仰天した。
剥製にしたライオンの頭を帽子のようにかぶり、顔はライオンの口に隠れてよくわからない。肩幅はたくましく、上半身は裸で男だというのだけは明らかだ。そして、右手には抜き身の剣があった。
「だ、誰だ?」
「安心しろ。強盗ではない」
ここに金目の品がないことくらい、誰でもわかる。そんなことで安心していい状況ではない。
「なんの用だ?」
できれば用など無視して追いはらいたい。
「お前は今のローマをどう思う?」
ライオン頭はいきなり政治哲学問答をしかけてきた。
「はぁっ!?」
「いうまでもなく、堕落して腐りきっている。その元凶はなんだ?」
「知るか! さっさと失せろ!」
びくびくしていいなりになると、ろくなことにならない。手足はひっきりなしに震えているが、なけなしの勇気をふるって怒鳴った。
「キリスト教だ! キリスト教こそあらゆる腐敗の温床なのだ! いまこそローマは共和制に返って神々の恩寵をとりもどさねばならん!」
喚きちらしつつ、ライオン頭は剣を振りまわして戸口に幾条もの斬り傷をつけた。
「やめろ! いい加減にしろ!」
肉体的には、フェリスはほとんどなんの訓練も受けてない。ましてや素手で武装した相手と戦えるはずがない。
それでいて放っておくわけにもいかない。あとずさりしながら、腰を落として石くずを拾った。
「さあ、私と一緒に真のローマを……」
ライオン頭……ひいては当人の顔……めがけ、フェリスは石つぶてを投げつけた。狙いがずれて相手の右胸に当たった。ぽこんとまぬけな音がして、石は床に落ちた。
「おおおっ! なんたる乱暴! 真理を説く人間に石を投げるとは! さてはお前もキリスト教の味方か!」
「最初からキリスト教徒だ! お前が暴力に抗議できた義理か!」
二つ目の石くずを拾いながら、フェリスは怒鳴った。
「私は寛大な人間だ。だから、もう一回だけ機会を与えよう。真のローマを……」
二個目の石つぶてはまあまあましな結果になった。ライオンの牙に命中し、顎から抜けて石とともに床を小さく鳴らした。
「愚か者め! まっとうな人生を回復する機会を無駄にしおって! もはや勘弁ならん!」
ライオン頭はずかずか屋内に踏みこんだ。三歩目で、さっき顎から失われたばかりの牙を踏んづけた。ちょうど、尖った部分が天井をむいていた。
「痛えっ!」
靴底を貫き、牙はライオン頭の右足の裏にグサッと刺さった。思わず右足を跳ねあげて手でかばい、弾みで剣を落とした。
図らずも生じた隙を逃さず、フェリスはライオン頭に突進した。みぞおちに頭をめりこませ、二人そろって床に倒れ伏す。
「思い知ったか、この……」
腹だちを抑えられず、ライオン頭に馬乗りしたフェリスは拳を固めた。しかし、殴る前にライオン頭は身体をひねってフェリスをはがした。
「くそっ、今度こそ……」
身を起こすついでに剣を拾ったライオン頭は、半瞬遅れてたとうとしたフェリスの膝を蹴った。
「うぐっ!」
ひるんだフェリスは、次に脇腹を蹴られてたまらずふたたび床に横たわった。
「そこまでだ!」
開けっぱなしになっていた戸口の外から太く響く制止が、ライオン頭の動きを止めた。
新たにやってきたのは三人の男達だ。二人は明らかに兵士とわかる。
「私は街の参事会員、タキピオ・ドゥカヌス! もう逃げ場がないぞ!」
三人の中で残る一人は、さっきライオン頭を制止したのとまったく同じ声で高らかに宣言した。フェリスよりさらに若く、にもかかわらず参事会員とは……田舎街とはいえかなりな名家の出身なのだろう。
「おおお……真理はかくて衆愚に滅ぼされる。だが! 私は最後の光明を自らに灯す! いにしえの神々よ! ご照覧あれぃーっ!」
絶叫したライオン頭は、持っていた剣を己の首筋に当てた。誰もが小指一本動かす暇もないまま、刃を滑らせるようにしてぶつんと頸椎寸前まで斬りこませる。
「うがあああぁぁぁーっ!」
ライオン頭の断末魔に応じるかのように、傷口から血がほとばしって戸口や床を汚した。あっという間にライオン頭は膝を折り、こときれた。
「ケガはないですか?」
タキピオなる若き参事会員は、一転して柔らかい口調になった。
「はい、お陰様で」
目の前で人が死ぬのは……まして自分を脅迫した犯罪者が自殺するのは……生まれて初めてだ。
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