第2話 幽世エマ
「や~い! お兄さん、引っ掛かった~!」
「あはは、あははー」
なんなんだ、こいつは?
「ひーかかった、ひーかかった、あはは、あはは」
さっきからずっとこの調子で、社の後ろでしゃがんで……バタバタと、こんな具合にはしゃいでいる。
俺はそれを社の横から覗き込むように見た。
「おいお前!」
「はいな? あたし?」
「お前しかいないだろ。ここには!」
「あはは。そりゃそーだ」
パンパンとその女が立ち上がって、腰やお尻をパンパンして砂をはらう。
「お前、なんなんだ?」
「はいなー! あたし? あたしはなんなのでしょう?」
「……じゃあ。もういいや」
「ちょちょーと待ってよ、お兄さん!」
俺の袖をおもいっきり掴んで引き戻してくる。
「離せ」
「離さないって!」
「なんでだ」
「なんでもです」
こいつ変だぞ? 絶対に変だ。
俺は袖の手を振り払って、振り返ってそいつの姿を睨み付けようと思った。
「お前誰だ?」
「はいな、はいなー! あたし? あたしは
「名前を聞いているんじゃない」
「じゃあ、何が聞きたいのお兄さん?」
「お前はどうして、この社の後ろにいたんだってのを聞きたいんだ」
「そんなこと聞いてどうするの?」
「純粋に疑問を感じたから聞いているんだ。お前はこの神社の関係者か?」
「関係者? んーどうかな? まあ関係者というよりも……そのものっていうか」
「お前は賽銭泥棒なのか?」
「賽銭……何それ?」
「社の後ろでじーっと隠れて参拝客が賽銭箱に入れた賽銭を……」
「ああ、これのこと?」
……いきなり賽銭箱に手を入れて、しかも物理学の常識をふっとばして、スーッと賽銭箱に手を入れて中から賽銭を、更にはお札を握りしめて、はいっていう感じで俺の目の前に出して見せつけた。
「へえーこの世界のお参りって、こんなのここに入れて拝むんだ。ふっしぎー」
「おいこら! お前、いいからその賽銭を早く戻せバチが当たるぞ!」
「バチってなに?」
「バチってのは」
「ああ刺されると痛いやつ」
「それは蜂だ! バチってのは神様を怒らして罰を受けることだ」
「神様? ああ
「はいなー!」
と言って、賽銭を賽銭箱に入れた……。
「あの神族ってのは、神様のことか?」
「ええ。あたしのいる世界ではそう言ってるの」
「あのう……もう一つ聞いても」
「はいなー」
「あたしのいる世界ってのはどこですか?」
「ここじゃない世界だよ」
「それはそうでしょ。で、どこなんだ。」
「うーん説明するのが難しいな……。実は、あたしもよく分からないんだ」
「は?」
「あたし今日の朝にこっちの世界に到着したから」
「到着?」
「寝台特急に乗って、今日の朝にこの国へ着いたばかりなのよ」
どこかよく分からない?
着いたばかりだから?
こいつ、旅人か何かか?
「なあ、お前」
「あたしの名前は幽世エマ! エマって呼んでね。それとお兄さんの名前は何? 名前くらいあるでしょ?」
俺はエマに自分の名前を教えた。
「へぇ……御山ウネビっていうんだ。変わった名前ね」
お前に言われたくない。
「……エマ?」
「はいな、はいな、はいなー!」 (多分、これは返事なのだろう……)
「お前はあれか……幽霊みたいなものか? だって賽銭箱の中から賽銭を手品のように取り出して」
「ああ、こんなの言霊使いだったら、これくらいできるって!」
言霊使い?
「あはは、あはは。あたしは幽霊じゃないって! んーどう言えばいいんだろう。これでもあたし寝台特急の中でこの世界のことを予習してきて……」
「妖怪か?」
「それもちがーう。あああれだ!」
エマがスーっと宙に浮いて、社の屋根の上へちょこんと座った。
「あたしはこっちの世界でいう……、お稲荷さんのお使いのキツネかな?」
あたしの位は、
八百万神族稲荷大明神矛治の巫女
(やおよろずのかみぞく いなりだいみょうじん むちのみこ)
なげ~よ……。
「幽霊でもないし妖怪でもない。列記とした神族の守護者、言霊使いなんだな、これが!」
「その言霊使いってのは……なんなんだ?」
「んー? ウネビのいる世界で例えれば、呪文とか魔法とかかな?」
ご親切に、でもこの世界には呪文も魔法もございません。
エマの寝台特急で勉強した教材を知りたい。
「おい、お前!」
「はいな!」
「お前は何しにこの世界へ来た?」
「ああ、そうだった!」
エマが社から、またスーッと宙に浮いて俺の目の前へ降りてきた。
……で、なんで俺の手を握るのかな?
「思い出した、思い出した! ありがとうウネビ! 永遠に忘れるところだったよ。『破門言霊使い退治』なんだよ! ウネビ!」
分からん。
「もう数日前から大変なんだよ。困っているんだよ」
「何が?」
「
まだ分からん。
「あいつ、ずーっと前までは、あたしと同じ神族に使える優秀な言霊使いだったのだけれど、それが突然凶暴化して神族の世界を荒らしまくっているんだから!」
「だから?」
「だからその背中!」
「背中?」
「背中に背負っているそれだって!」
「これが何か?」
「とうとう見つけちゃったんだな! これが!」
「何が?」
「伝説の盾使い!
タテの勇者か?
(パクるな……)
「へーそうなんだ。そりゃよかったじゃん」
「もうウネビ! あんたのことだって!」
「なんで?」
「だから、その背中に背負っているそれ!」
「これ?」
――とうとう見つけたんだから! あたしが。
さあ! こうしちゃいられないって、早く戻って闇蔵と戦わないと。
闇蔵の炎を耐え忍べるのは、ウネビ!
あんたが背負っている盾しかないんだから!!
「さあ行くよ」
「行くって何処へ?」
「来る時は寝台特急で時間が掛かったけれど、帰りはこの言霊を言えば、すぐに帰ることが出来るんだから」
「それ来る時には使えなかったのか? エマ」
「……あんたの住んでいる世界で例えれば、遠くまで行って街について、そのあと呪文を唱えてぎゅるーんぎゅるーん! って飛んで帰るやつ」
それはこっちの世界でも現実じゃありませんから。
「じゃ行くわよ! しっかりつかまっててね」
話を聞いていない。
“今夜の晩飯 なにかななにかな?“
“きつねうどんだ さあ帰ろう!”
エマが言霊を言った。すると、
ぎゅるーんぎゅるーん!
……って!
俺とエマが空を飛んだのだ。ほんとに飛んだのだ!
一体なんなのこの展開。
そもそも、俺は人間嫌いを治すためにこの神社へと。
そういえば、エマに一つ言い忘れたことがあった。
俺が背中に背負っているこれは、リュックです。
はいな、はいな、はいなー!
ウネビ! すぐに到着だよ!
*
行ったらコンコン 来るかなコンコン
揚げを揚げても きつねもコンコン
エマ姉さんを いつも見送り
僕はいつでも 待ちぼうけ……
エマ姉さんにあこがれ続ける こんな僕は一番弟子
まだまだ まだまだ 未熟な僕は
今日も明日も明後日も
修行 修行 修行の毎日
お腹がすいたら揚げを食う!
揚げもほどほど 冷めては揚げぬ
煮詰めた揚げは コンがりと……
ん?
ぎゅるーん! ぎゅるーん! と 誰かが来たぞ
背中に背負った大きな何か? あれはもしやの伝説の?
こんな僕は言霊使い――
「はいな、はいなー! 到着したよ、ウネビ!」
「……あの一つ質問をしてもよろしいでしょうか?」
「なになに?」
「ぎゅるーん! ぎゅるーん! する前に“きつねうどん”がっていう発言があったと思うのですけれど……」
「ああ言霊のこと?」
「言霊?」
「あたし、こう見えても言霊使いだから当然!」
「何が当然?」
「言霊使いは霊力を使用する時には、必ず言霊を言わなければならないの! 言霊を言うことによって、八百万の神族から力を授かる。授かった力で霊力を使用することができる。分かった?」
「……その言霊でぎゅるーん! ぎゅるーん! できたってことか?」
「うん! そういうことだよ」
「もう、一つ質問があります」
「ええ、喜んで!」
「ここは何処ですか? 勿論、日本の何処かですよね?」
「いいえ違います。ここは八百万の神族が生きている世界。ウネビが生きていた世界では、神族は崇め奉られる象徴的な存在でしかないけれど、この世界では実際に八百万の神族がいる。実在している」
「つまり日本じゃないと」
「はいな! 言うなれば、ここは神族の世界です♡」
――エマからそう教えられて俺は辺りを見回した。
空は青い。
地面は草が生えて土があって、その草は緑色、土は茶色、俺が知っている日本の風景――山深い場所にある農村とそっくりだった。
だから、どこをどう見ても日本の農村の風景に見えた。
でも違うらしい。
「あの本当に神族の世界なのかな?」
「はいな、はいな!」
エマがそう言うと、両手を幽霊画の幽霊のように胸の前にもってきて……でも幽霊とは違って手のひらはグーの形にして、そして俺を見つめてニッコリとそう返事した。
「そ、そのポーズは何ですか?」
「大明神の言霊使いの礼儀だよ」
「稲荷大明神…………? ああ、きつねのポーズってことか?」
「はいな!」
以後、このポーズを“きつねポーズ”と呼ぼう――
「あのさ、エマさん?」
「もーエマでいいって、ウネビ」
「……エマ、早速で申し訳ないのだけど、日本に帰してほしい」
「えー! どうして?? あたしにはウネビが必要なのよ。ようやく伝説の盾治を見つけ出したんだから、苦労したんだよ」
「……だから、俺はそう言うのじゃないって」
「なけなしのお金で寝台特急の切符を買って、っていうか神族の言霊使いの長達から、今までずっと小言を言われ続けて……」
俺の話を聞いていない。
*
――エマの回想。
「幽世エマよ、お前は言霊使いとしては、まだ未熟だ。今まで一度でも破門言霊使いを倒したことがあったか?」
「はいな!」
「ウソを言うでない」
「……お言葉ですが長さま、この前倒した破門言霊使いは簡単に倒せましたよ! ……まあレベル1くらいの強さだったのですけれど」
RPGで最初に出てくる誰でも倒せるモンスターだろ、それって――
「あはは! 長さまでもね! こう見えても、あたしちゃんと修行してるんですよ。本当ですよ」
「……ああ。エマよ。ちょ……ちょいと待機しておいてくれ。こっちで話が――」
??
……ヒソヒソ? 長同士で何やら相談している。
「あの……長さま?」
「もういい! 何も反省しない未熟な言霊使いよ。だから、お前を破門する!」
「……ちょっとやめてくださいよ!!」
「今度は、お前がレベル1になって倒されればいい」
お前はレベル1程度だったのか?
「ち、ちょっとやめてくださいよ。あたし、ちゃんと修行してるんですってば」
エマが涙目になった。
「……と言いたいところだが、幽世エマよ、お前にチャンスをやろう」
「チャンス?」
「お前、日本に行ってこい」
「日本?」
「ようやく有力な情報を手に入れたんじゃ、例の盾治の言霊使い」
「まさか伝説の? それが日本に?」
長が無言で頷く――
「その者がいなくては、あやつは倒せん。それは分かるな、エマ」
あやつって……。ラスボスみたいのが……いるのだろう。
「その者を見つけて連れて来れば、破門の話は無かったことにしてやる」
「ほんとですか? 長さま?」
「神族に誓って、言霊使いに二言は無い」
「はいな!」
「じゃあ、早速日本に行って探してこい。日本へは今日の深夜の寝台特急に乗れば、明日の朝には到着出来ると思う」
ところで、その寝台特急ってどういう仕組み?
神族の世界と日本をつないでいる列車って?
「古来からずっと続いている、神族が運営している鉄道なんだよ」
と、エマは回想シーンの中から教えてくれた……
「じゃあ、エマよ、これからも励みなさい」
「はいな! 長さまありがとうございます」
「言い忘れたけれど、切符は、お前が自腹で買うようにな」
「……はいな」
エマが、しょぼんと落ち込んだ。
*
「ということでした。分かったウネビ?」
「分かるか! さっさと俺を日本に帰してくれ!」
「それ無理!」
「なんで無理?」
「なんでもです。無理。……だってあたしさ、もうお金無いもん。だから、切符買えないんだもん!」
エマが言葉を強めてそう言い返すと、ウネビに背を向けてしゃがんで。
しょぼんと……草を毟り出した。
「ふっ、そうよ……あたしはそうですよ。ど~せ貧乏ですよ。そりゃ修行して一人前の言霊使いになったら、長さまたちから、た~ぷり退治料を貰えるんですけれど。……ふっ、こんな未熟な言霊使いのあたしが、貰える退治料なんてレベル1程度だし」
とかなんとか、いじいじと草を毟っている。
「そりゃお前はレベル1だからな。しょーがないか。……ってグチるな!」
「……ちょっと待て!」
ウネビが何か閃いて、エマに駆け寄って行った。
「今、退治料って言ったな」
「言ったよ」
「その退治料を稼げば、また寝台特急の切符が買えるのか?」
「はいな」
――ここで俺は考えた。
このまったく頼りない言霊使いに、無理やり神族の世界にぎゅるーん! ぎゅるーん! されて来て。
でも、日本に帰るためには、寝台特急の切符を買わなければいけないとは、いかがなものか!
エマは未熟の言霊使いで……おまけに貧乏だ。
だから、このままでは俺はどうやっても日本に帰れないだろう。
……いや待て日本に帰ってどうする。極度な人間嫌いの俺だ。
日本に帰ったら、またショック療法をしなければいけないんじゃないのか?
「?」
エマがウネビの顔を見て、頭の上に疑問符を浮かべる――
こいつは人間じゃない。いうなれば妖怪のたぐいだ。
今、俺がいるこの世界は神族の世界だ。
つまり、この世界には人間がいないってことになる。
だからエマと、こうして気軽に会話が出来ている。
これはミラクルラッキーな展開なんじゃないか?
だから、これ使える!
ショック療法から治療法の変更だ!
人間がいないこの世界で、見た目は人間っぽいけれど実は妖怪のたぐいの言霊使い。
その言霊使いとコミュニケーションをしていけば、俺の極度な人間嫌いも緩和されるんじゃないのか?
つまり行動療法に使える!
俺の計画はこうだ。
エマは俺を必要としている。
俺が日本に帰るためには切符を買わなければいけない。
その切符のお金は、退治料を稼げばいいらしい。
一方、俺は妖怪のたぐいのエマと行動療法によって、人間嫌いを疑似的に緩和させていく。
エマが俺をここに連れてきた理由は、破門言霊使いを退治するため。
……で、そいつを倒せば退治料をもらえる。つまり一石二鳥!
俺は珍しく笑顔になった。
「エマ、分かった。お前に協力してやる」
「ほんとウネビ! ほんとに、ほんと!」
エマが俺に飛びついた。
「お前近いって、離れろ……」
「いいじゃない。これくらい!」
「よくないって」
「いいって」
「だから、よくない」
「もー、ウネビさーん!」
「何がもーだ!くっつくなって、離れろよ……」
「……あの、エマ姉さん、おかえりなさい」
「あ、うん! ただいま! ギン」
――見ると俺やエマよりも歳が若い男の子が、俺達のすぐ後ろに立っていた。
「ところでエマ姉さん。誰、その人は?」
「ああこの人ね! はいなー! この人は、かの伝説の盾治の言霊使いの御山ウネビ! そんでもって、あたしの許嫁だよ♡」
こいつ、どさくさにまぎれて何言ってるのかな?
続く
この物語は、フィクションです。
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