第22話

「センセー、フューと、ユリネルさんはどうしたの?」


 朝一番、呼吸機能に不調を起こしやすいブランカは、聴診器を胸に当てるトリッシュに向かってたずねた。シャツを顔が隠れるまでもちあげている。心臓の音を聴き取ったあと、こんどは背中に聴診器を当て、肺の音に耳をすませる。空気の流れを診察するトリッシュは、内心、こっちが知りたいくらいだぜ──と毒づいた。診断結果を診療録カルテに記入し、引きこもり状態のフューシャを心配するブランカに、ユリネルが処方した薬の有無を確認した。さいわい、まだ残量があり、すぐに調合する必要はなさそうだ。薬師として、少年たちの服薬ふくやく指導を担当するユリネルが不在では、トリッシュとしても気がかりである。


「そうだ、センセー。さっきここへくるまえ、デューイくんがお手洗いの個室で、うーうー云ってたよ。だいじょうぶ? って訊いても返事がないから、どこか痛いのかも……」


 思春期のデューイは、ユリネルに自慰じいの初歩を教わったがうまくできず、朝勃ちなどの処理が不得手な少年だ。トリッシュは「教えてくれてありがとさん。おれがようすを見てこよう」といって、ひとまずブランカを安心させた。診察は終えたが、ブランカは、じっと、医者の顔を見つめてくる。


「どうした」


「う、うん……。あのね、シェリィって、センセーとユリネルさんの子どもなの? もしかして、そうなのかなって……」


 いきなりである。6歳のブランカは質問の意味を深く考えず、興味本位で口走っている。幼子おさなごの目には、男同士でも夫婦に見えるらしい。生殖行為の基本的な知識が身にそなわっていないためか、ユリネルでも赤ちゃんが産めると勘違いしている。トリッシュは悩ましい疑問点にどう答えるべきか、眉をひそめて長考した。事物じぶつの原因をとらえようとして、必然的推理の結果、なんら結論がでない状況では、沈黙するしかない。

 

「センセー? だいじょうぶ?」


 無垢なる少年は、性別によって身体の発達区分に至る過程を飛びこえ、トリッシュに父性を、ユリネルに母性を見いだしている。自由な発想は個人の生活の水準をあげるが、人間はどのような場にも通用する常識を学ぶべきであり、対人的かかわり合いの傾向を意識できなければ、孤立状態をまねいてしまうおそれがあった。トリッシュの立場は医者につき、あるべき現実を説かねばならない。


 ところが、ブランカはもう夫婦の話題に興味をなくしていた。食堂からグレリッヒが煮込むコンソメスープのにおいが漂ってくると、ぴょんっと丸イスから立ちあがり、「朝ごはんの時間だ!」といって、元気に笑う。子どもらしい一面を発揮されたトリッシュは、無意識に苦笑した。


「ああ、腹が減ったな。先に行っておいで。おれは、デューイを見てこよう」


 トリッシュは首からさげる聴診器を机の抽斗ひきだしにしまうと、ブランカといっしょに診察室をでた。それから、自慰に苦戦するはずのデューイを励ましに手洗い場へ向かうが、なんとか自力で対処を終えたようで、個室に姿はなかった。そのころ、一番乗りだと思って食堂の席につくブランカは、デューイと顔をあわせ、「あれ?」と首をかしげた。



✓つづく

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