第15話

 虎嵩とらたかが異世界へ召喚されたのは、今から8年前の夏である。ところが、こちら側は季節のめぐり方が異なり、夏服姿で吹雪ふぶき冬山ふゆやまに落とされた虎嵩は、本気で遭難(凍死)するかと思った……。


 

 フューシャは、トリッシュと会話をするうちに平静を取りもどし、ふたたび勉強机に向かった。昼食までの自由時間は意外と長い。トリッシュは、落ちついて勉強する少年の背中をしばらく見まもった後、持ち場である診察室へ引き返した。そして、数日後におこなわれる健康診断の準備に取りかかった。現在、入所している子どもは5名である。さらにふたり増える予定もあり、ユリネルが置いていった新しい名簿を確認した。


「フューシャ、デューイ、スフィーダ、ブランカ、シェリィ、……それから、ライエルに、アッシュか」


 後者のふたりは、まだ手続きの段階であったが、遅かれ早かれ、ユリネルが連れてくると思われた。念のため追加の診療録カルテを用意しておき、試験管や紙コップの在庫を調べた。身長や体重を測る器具は、備品室にあるものを使うとして、注射器の数が足りない。備品の購入に関しては、ユリネルに相談したあと、町で暮らすグレリッヒが調達してくることになっている。もちろんトリッシュも外出は可能だが、なるべく遠くへいかないよう過ごしていた。医者という立場上、万が一に備えるに越したことはない。


 トリッシュは懐中時計で時刻を確認すると、温室おんしつへ向かった。薬師のユリネルは、調合室や温室にいることが多い。注射器の注文用紙を手に、玄関をぬけて鶏舎の脇を歩いていく。温室のなかをのぞくと、ユリネルは庭師のグレリッヒと会話中だった。そば耳をたてるほど野暮やぼではないため、シロに庭の雑草を食べさせ、時間をつぶした。


「なんだ医者、そんなところにいたのか」


 しばらくすると、グレリッヒがもどってくる。いつもの作業服を着ていたが、トリッシュはたくましい胸もとが気になった。まじめに庭仕事をこなすグレリッヒだが、ときどき内側のポケットから小さいものを取りだし、熱心に見つめていた。診察室の窓からでは、手もとは不明だが、大切なものであることはまちがいない。グレリッヒの性格を考えたとき、お守りを持ち歩くような印象は受けないが(偏見だったら、すまん……)、それはたしかに、彼の心の支えになっていると思われた。


「そっちこそ、ユリネルとの密談は終わったのか」


 庭師にたいして、トリッシュは素っ気ない口調に変わる。当初より、互いに敬語は使わない。ごく自然にそうなったが、どちらも気にしなかった。トリッシュは「メェー」と鳴くシロの頭をなでると、このさいとばかり、グレリッヒの顔を見据え、ポケットの中身をたずねた。



✓つづく

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