第12話

 異世界の心療内科は、身体医学にも視野をひろげ、さまざまな心理的要因が精神面だけでなく、身体にも症状があらわれる点を重視し、ひとりの人間の全体をていこうと実践する療法である。結果的に、トリッシュは、内科と外科の専門知識と技術を有する医者となり、診察項目は多岐にわたる。


「ねえ、なんでトリッシュは医者になったの?」


 と、いきなり話しかけてきたスフィーダは、国語が苦手で算数が得意な少年である。ふちのないメガネをかけていたが、目が疲れるといって、よくはずしてしまう。トリッシュは眼精疲労を緩和する薬草をユリネルに調合してもらい、それを台所のグレリッヒに渡し、パンの生地きじにまぜて焼いてもらった。視力が低下ぎみのスフィーダ用のおやつだが、たまに食堂へしのび込むデューイにより、作り置きが消失する。


「なんでだろうな。ほかにやりたいこともなかったし、そうなるべきだと、早くに実感したからかもな」


 備品室で、使える道具がないか探していたトリッシュは、物音が気になったのか、なかをのぞき込むスフィーダと会話した。少年は近くにあった木箱のうえにすわり、腕まくりをする医者の横顔を見つめた。


「トリッシュって、ちょっと変わってるよね」


「そうか?」


「うん。初めて顔を見たとき、こ、こわいひとなのかと思った……」


「今は平気なのか」


「うーん、痛いことされるのはこわいけど、トリッシュはお医者さんだから、しかたないよね……。前にいたひとより、ずっとかっこいいし、同じ男のひとでも、ユリネルやグレとも全然ちがうし……」


 子どもの視線とはいえ、遠慮なく全身を見つめられたトリッシュは、微かに眉をひそめた。スフィーダいわく、トリッシュの前任を務めた医者は、小太こぶとりのおじいさんだったらしい。20代と70代の見た目では、たしかにトリッシュのほうが若々しい容姿につき、ほめられた気分ではない。人間ひととして、ユリネルやグレリッヒと異なる要素があるとすれば、トリッシュの生まれた環境が理由かもしれない。笹沼ささぬま虎嵩とらたかは、日本人である。


「なんでだろう。トリッシュを見ていると、すごくふしぎな感じがする」


 スフィーダに意外な洞察力を発揮されたトリッシュは、小さく笑みを浮かべた。


「きみは、案外、おれに似ているのかもな」

「じ、じぶんが? どうして?」

「そのうちわかるさ」


 真意をはぐらかされた少年は、ますますトリッシュの顔を凝視ぎょうしした。古びた彫刻刀を見つけたトリッシュは、ふたを開けて中身を確認すると、適当に話題を変えた。 


「きみは、動物が好きなようだな」


「それって、シロのこと?」


山羊やぎだけでなく、庭で遊ぶとき、森のほうから聞こえてくる野鳥のこえに、耳をそばだてているだろう」


「うん。いつもピーヒョロロッてなくの。なんの鳥かなぁ」


とびか、たかか、猛禽類もうきんるいっぽいな」


「もうきんるいって、なに?」


「動物を捕食する習性しゅうせいがある鳥類で、するどい爪と、くちばしを持っている」


 虎嵩が生態系の食物連鎖を授業でならったのは、小学6年生のときだった。10歳のスフィーダに聞かせるべき内容かどうか迷ったが、誤った手順で衝撃を受けるより、予備知識があったほうが無難ぶなんだろうと判断した。加工肉を摂取する人間も、捕食者に分類される。スフィーダは数秒ほどだまり込んだが、こわい話として受けとめず、感心した。


「じぶんも、トリッシュみたいなお医者さんになりたいなぁ」


 数日後、少年は獣医の資格に興味を示すようになる。



✓つづく

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