第9話

「なにやってんだ、おまえら」


 フューシャに呼ばれ、調合室にやってきたグレリッヒは、わざとらしくため息を吐いた。23歳と27歳の男が、胸もとをわしづかみあい、なにやら口争くちあらそいに発展している。薬師はテーブルへ押し倒されたが、負けじと両足でトリッシュの胴体に巻きついた。下半身が密着したが、互いに意識はおよばない。


「いいかげんにしろよ、このメルヘン薬師。なにもかも引き受けていたら、この診療所は破綻するぞ」


「いいかげんではありません。わたしなりに、考えて行動しています」


「どこがだよ?」


「いつもです!」


 ふたりは至近距離で見つめあい、「ふんっ」と鼻息をもらす。完全に見境みさかいをなくしているため、グレリッヒは両者の後頭部を同時にポカッと、こぶしで軽くたたいた。先に冷静を取りもどしたのは、ユリネルだった。


「わ、わたしはなんてことを……。トリッシュくん、だいじょうぶですか……」


「おれは納得いかねーからな」


「す、すみません。ですが、つづきはあとでお願いします。あの……、わたしは、もう行かなければ……」


「行けよ。勝手にしろ」


 軽口であしらわれたユリネルだが、白衣のえりをととのえると、グレリッヒに「お騒がせしました」といって退出した。トリッシュは、乱れた前髪を指でかきあげ、「くそ」と、つぶやいた。人が良すぎても、損をするだけである。ときには、切り捨てることも重要だが、その見極めは至難しなんである。途惑とまどうフューシャと目があったトリッシュは、「悪い」と謝罪した。


「まったくだ。はじを知れ」


 と、グレリッヒに説教され、「すみません」と反省もする。ユリネルのあいまいさが怒りの原因だが、それはトリッシュ側の感情であり、相手が望んでいる結果ではない。気分転換のため温室にいく予定を変更し、トリッシュとフューシャは、庭師の手伝いをすることにした。


「からだを動かせば、頭もすっきりする」


 というグレリッヒの提案により庭ヘ向かうと、スフィーダと山羊シロが芝生のうえで寝転がっていた。


「気持ちよさそうだな」


「トリッシュ、フューシャ、グレ!」


「シロも、元気そうだ」


 スフィーダは、近づいてくる足音に気がつき、ムクッと起きあがった。トリッシュに声をかけられ、にこっと笑う。


「トリッシュのおっぱいも、シロみたいにミルクがいっぱいでるの?」


「まさか、おれはでないよ」


「じゃあ、フューシャは?」


「え? ぼ、ぼくにも無理かな」


「じゃあ、グレは?」


「でるわけないだろう」


 3人から否定されたスフィーダは、「ユリネルは?」とつづける。一瞬、トリッシュとグレリッヒは(でそうだな)と思ったが、身体構造の詳細しょうさいを知らないフューシャは、「でないよ」と答えた。男性の乳腺は女性ほど発達しないため、とくべつ役に立つことはない。しかし、年齢に関係なく、少量の乳汁が分泌ぶんぴつされる事象もあり、ユリネルの乳首を口唇にふくむシェリィの姿が眼裏まなうらに浮かんだトリッシュは、ありえない想像を払拭ふっしょくするため、庭師から鉄アレイ(部屋にもどってから、ばかなことを考えたとき用)を借りた。


 丸くなっていたシロは「メェー」と鳴き、地面の雑草を食べはじめた。スフィーダの関心はミルクからはなれ、シロを観察する。診療所は長閑のどか山間やまあいにあり、囲いも門扉も天然素材の木目調で作られている。牛舎でもあれば牧場にも見えるほど坪数つぼすうはひろい。大きな葉をしげらせる常緑樹が、必要悪なものから視界をさえぎるようにして診療所は建っていた。



✓つづく

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