第8話
「温室に? それは
「いっそのこと、おまえもいっしょにきたらどうだ」
フィッシュボーン(魚の骨)ってなんだよと思いつつ、ユリネルのことばをさえぎるトリッシュは、白衣を脱いで椅子の背もたれに掛けた。スーツベストの内側からハンカチを取りだし、ホワイトシャツの袖をまくると、水道の蛇口をひねり、ていねいに指を洗う。温室にはいる前は、両手や靴底を消毒する必要があった。空気中には、目に見ない細菌やウイルスが無数にただよっている。それらの
トリッシュと同じくフューシャも調合室の水道で
「少し痩せたか?」
トリッシュは、ユリネルの顔色を気にかけた。もともと筋力のつきにくい体質のようだが、さらに手首が細くなっている。横から顔をのぞき込まれたユリネルは、くすッと笑い、温室の鍵を差しだした。
「ご安心を。わたしなら至って健康です。さあ、これをどうぞ」
「おまえも来いよ。ついでに薬草の話をフューシャに聞かせてほしい」
トリッシュは、かたわらのフューシャを親指で示す。ユリネルは、申しわけなさそうな表情をした。
「すみませんが、わたしは行けません。このあと来客がありまして……」
「また契約の説明か?」
「ええ、そうです」
トリッシュが住み込みで働くまえから、新たに2名の入所相談があり、管轄の行政機関に申請書が提出されていた。そのうちの1名が、シェリィである。もうひとりの手続きはなぜか遅れていたが、すでに決定事項につき、空き部屋のそうじは子どもたちが順番におこなっていた。そこへ、さらにもうひとり増えるかもしれない状況である。施設の2階には、大部屋がひとつあり、シングルベッドを4つならべれば、いちどに13人まで受けいれることは可能だ。
「体力と気力に余裕がなければ、断るしかないだろう」
トリッシュは正論を述べたが、ユリネルは首を横にふる。
「できるかぎりのことはします。これまでもそうしてきたように、きっと、なんとかなります」
「あぶない考え方だな。ぎりぎりの計算ならやめておけ。責任者が倒れたら、うしなうもののほうが多くなる」
ユリネルは、トリッシュの雇用主でもある。事務的な内容に口をはさむつもりはなかったが、疲れぎみの薬師を
「トリッシュくんって……」
「なんだよ」
「いいえ、なんでもありません」
「待て、最後まで云え」
来客を理由に立ち去ろうとする薬師の上膊を、トリッシュがつかんだ。ふたりのあいだに不穏な空気が流れると、フューシャは庭師を呼びにいった。ちょうど、玄関ホールに姿を発見し、「グレさん!」と呼びとめる。あわてたようすのフューシャを見たグレリッヒは、痴話げんかを仲裁した。
✓つづく
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