第7話

 トリッシュとフューシャがシェリィにミルクをあたえ、ユリネルが調合室でブランカのために薬草を煎じ、スフィーダが庭で山羊シロと遊ぶころ、食堂に姿を見せたのは、デューイである。14歳の少年で、突発的な衝動しょうどうを抑制できず、思いついたままに行動してしまうため、他者を困らせることが一定の間隔でくりかえされている。


 だれもいない食堂にやってきたデューイは、庭に面した大窓を避けて歩き、こっそり戸棚をあけた。おやつの焼き菓子に腕をのばすと、「そこまでだ」と、頭上から野太のぶい声がかかった。


「げっ、グレリッヒ!」


「またおまえさんか、デューイ」


「い、いつからそこに……」


「たった今だ。しかったな。手洗いは廊下の突き当たりだぞ」


「うるさい、しれっと云うな!」


 両手に買いもの袋をさげたグレリッヒは、少年の下半身へ目をとめた。ちょっとした刺激や興奮で生理現象が起きやすいデューイは、しぶしぶといったようすで廊下にでる。グレリッヒは買いもの袋をテーブルへおき、背中を丸めて歩くデューイを追いかけた。


「協力してやろう」


「は? なにを?」


「遠慮するな。やさしくしてやる」


「ふざけんな! 必要ない!」


 思春期のデューイは、ユリネルに自慰じいの初歩を教わったがうまくできず、お手洗いの個室に引きこもることがあった。事実、グレリッヒのほうが手淫(しもの世話)がうまい。多感な年頃としごろのデューイは、ムッとして頬をふくらませた。いくら性教育とはいえ、敏感な部位に話題がおよぶと、気まずくなる。ノーマルのグレリッヒに他意はなかったが、デューイは腹を立て、逃げるように姿を消した。


「……あいつ、反抗期か?」


 グレリッヒは独り身につき、父親の経験はない。しかし、施設に出入りする庭師の彼には、恋人と呼べる存在がいた。彼女はユリネルとも顔見知りで、3人で過ごす夜もあった。グレリッヒは食材を冷蔵庫へしまうと、念のためデューイのようすを見にいった。廊下の突き当たりに、男女共用のお手洗いがある。いちばん奥の個室から、デューイの息づかいがもれていた。いくらか苦しげな呼吸をくりかえしていたが、グレリッヒは声をかけず、しばらく耳をそばだてた。多少の困難は、自助じじょ努力で乗り越えてこそ成長につがる。


 ドアの近くにいたグレリッヒは、出てきた少年に「だいじょうぶそうだな」という。


「な、なんでいるんだよ!?」


「用を足しにきただけだ」


 またもやしれっと云うグレリッヒに、デューイは怒りがこみあげてきた。庭師に詰め寄ろうとしたが、小便器の前で作業服のチャックをおろすグレリッヒの態度に青ざめ、ふたたび逃げるように姿を消した。デューイは、平然と下半身を露出する庭師に嫌悪さえした。もっとも、定期健診の日は近い。トリッシュが〈エレメンタリーハーツ〉に転職してから、初めての健康診断がおこなわれようとしていた。


 同時刻、ミルクで満腹になったシェリィを寝かしつけたトリッシュは、フューシャと温室へ行くことにした。ユリネルが薬草を育てる場所で、見学には許可と専用の鍵が必要だ。


「ユリネルさんは、どこにいますかね」


「まだ調合室かもな。ブランカのために薬草を煎じてもらったんだ」


「ブランカが? きのうは元気そうだったのに……」


「心配するほどじゃない。免疫力には個人差があるからな。診たところ風邪の初期症状だし、安静にしていれば治るよ」


 トリッシュの口調はよどみなく、フューシャは安堵あんどした。訳ありの子どもたちにとって、医者による正確な診断と、薬師による適切な処置を受けることができる状況は、理想的な空間だった。



✓つづく

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