第4話

 1歳未満の赤ん坊は、乳飲子ちのみごと呼ばれることもある。生存には援助が必要であり、か弱い存在だ。また、排泄機能が未発達につき、おむつが必要になる。


 ユリネルの腕のなかで泣きだす赤ん坊は、肌着の下に布おむつを巻きつけていたが、どうやら大便のほうをもらしたようで、尻のあたりが茶色く湿しめっていた。どんなときも状況判断をまちがわないトリッシュは、ユリネルが持ち帰った荷物を引き受けると、そうじしておいた個室へ移動し、バケツに温水を用意した。


「替えをよこせ」


 赤ん坊をハイタイプ式のベビーベッドにあお向けで寝かせ、腹部に巻いてある布おむつを交換する。トリッシュの手ぎわのよさに、ユリネルはホッと胸をなでおろした。悲しげに泣いていた赤ん坊は、すっかりごきげんなようすで、軽快に手足をバタつかせている。子育ては環境によって異なるため、一般的な参考はあっても、正解はない。


「元気な男の子だな。見たところ健康そうだ」


 医者らしく触診しょくしんで脈搏をとらえたトリッシュは、笑みを浮かべた。穏やかな表情で赤ん坊を見おろすユリネルは、「あなたがいてくれてよかった」と、ささやいた。青年は聞こえないふりをして、よごれたおむつをバケツのなかで洗った。


 〈エレメンタリーハーツ〉は入所型の施設で、ユリネルの曽祖父の代より、未成年者を対象にした心療内科(診療所)を兼ねるようになった。グラフメロは、かつて王族に重用された家系だが、薬師としての活動は、高い水準の医療が受けられない地方をたずね、比較的安価あんかな薬草による緩和療法が基本的な方針である。つまり、王族のためだけに尽くすことは、初世がさだめた信条に反する行為こういでもあった。


「先生って、子どもがいたんだ」


「そう見えるか? だれかに産ませた覚えはないぞ。だいいち、そんなヘマはしない」


 庭で布おむつを干していると、2階の窓からフューシャが顔をだし、トリッシュの後頭部に向かって話かけた。声の調子で少年がだれなのか判別可能につき、トリッシュはふりかえらない。かごのなかの洗濯物を干しながら、会話に応じる。


「先生は、子どもがきらい?」


「だとしたら、こんな場所で働くかよ」


「ひどいいかた。……でも、うそをつかれるよりはマシかな」


 少年の声音こわねが微妙に変化したことに気づいたトリッシュは、かごを脇にかかえると、2階の窓を見あげた。フューシャの手首には、細い針のような傷痕きずあとが、いくつも残されている。〈エレメンタリーハーツ〉の子どもたちは、よく怪我をする。とはいえ、やや強面な医者がきてから、手当てを受ける患者は減少傾向にあった(まじめな話)。



 進化の過程で言語げんごを獲得した人間は、感情や思想を音声や文字によって伝えることができる。しかし、語意ごい(ことばの意味)を正しく理解する養育者は少ない。ことばを育てる環境に恵まれなかった子どもは、対話による自己表現がうまくできず、ことばで処理しきれない不快な心の状態が長引くと、それを打ち消す行為をせざるを得なくなる。薬物療法は根本的な解決にはならないため、人間関係を通しての成長を目ざし、社会で生活できるようになるまで継続的な支援が必要だ。



「落っこちるぞ」


 フューシャは、木製のサッシに腰をかけている。風に揺れるカーテンへ、軽く手を添えていた。トリッシュにうながされて室内にもどると、こんどは階段をおりてきた。少年は衿つきの白い長袖を着ている。ズボンも下着も、無地の同系色をこのむようだ。



✓つづく

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